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外交官 第4話 「8カ国、23年間の海外勤務」

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第4話 8か国、23年間の海外勤務

 海外勤務は、私の場合、外務省約40年間のうち23年を占めている。勤務地は8箇所、すなわち、フランス(2回)、フィリピン、旧ソ連、韓国、ホノルル、カンボジア、デンマーク、リトアニアである。歴史や文化体系の違う国ばかりなので、それだけ面白かった。

3人の子供たちが大学生になるぐらいまではいつも家族一緒に海外赴任。子供たちにも時には大変なこともあったようだが、小さい時から海外の体験をしたことはその後に役立っていると思える。

ソ連では、日ソ漁業交渉の政府代表代理も務め毎年延々と長丁場の漁業交渉でソ連側とやり合う。ソ連式の高圧的な交渉術を現場で体験した。

韓国では、国内の強い反日世論に対応する一方で日韓関係を文化の面から強化していくのが広報文化担当公使としての主な仕事だった。根拠なき反日の誤謬記事には編集委員との議論や、新聞社への抗議、新聞や雑誌への投稿、講演などで反論し、誤解を解く努力をする。時には緊急記者会見をして、反日記事の間違いを説明し韓国のマスコミ批判をしたこともある。
事実に基づいて論理を尽くして話せば、反発でなくて理解してくれることも知った。これも結構面白い仕事だった。

フィリピン時代には総務担当に加えて領事も兼任していたが、日本人が巻き込まれる殺人事件や飛行機の墜落事故も含めた邦人援護活動が多く忙しかった。

ホノルルでは総領事、カンボジア、デンマーク、リトアニアでは大使としての仕事であり、それだけにやりがいが多かった。とくにカンボジアでは、ポルポト時代の内戦などで国土や人材や社会制度が破壊された後のこの国を再建するうえで日本が先頭に立ってやったので、40年間の外交官としての仕事の中で最もやりがいと達成感があったと感じている。

フランスやデンマークは先進国で、ともに日本は良好な関係を維持している。これらの国で生活することによって、彼らの生き方や社会の制度について多くのことを学んだ。それは日本人の生き方にも大いに参考になるものであった。

外交官としての最後の仕事は、「イラク復興支援担当大使」として、戦争後のイラク復興を日本として支援した。この間一時アフガニスタン復興支援も担当した。
現地に何度も行き来して、戦争と破壊の不条理さに思いを致した。

出張ではアフリカや中南米、中東にも行ったので世界中を回ったことになる。お蔭で、日本だけにいた場合にはわからない多くのことを学んで視野が広くなったと思う。

国と国が良い関係にない場合でも、相手の国の人々はとても人間的で優しくていい人たちだと思うことも再三あった。実際、世界は無知と誤解と偏見だらけだ。だから、中国や韓国との関係が緊張しても一方的に相手の国全体を否定的に考えることには慎重であるべきだとも思う。

考えてみると、外交官の仕事は森羅万象を扱う。仕事の対象は結局どれも人間に帰する。語学力や専門知識は重要だが、個々の事象についての知識だけでなく幅広い視野と柔軟な姿勢も不可欠である。

国内外を問わず、交渉には粘り強い説得力や何日も徹夜で議論できる体力も必要になる。大事なことは、喧嘩したり対立しても誤魔化したり嘘を言わないで議論することだ。時には本音を吐露して、実は困っているんだとこちらの事情を白状したりすると相手がわかって同情してくれることもあった。
信頼感ができれば、かつての喧嘩相手の某省の元高級官僚といまだに付き合っている例もある。

何の職業でもそうだが、人と接するためには人間性が大事である。総合的な「人間力」と言ってもいいかも知れない。

外交官には高邁な仕事もあれば、泥臭い僕(シモベ)のような仕事もある。それでもやりがいは、日本の国をどうしたらいいかの視点でものを考え、国のことを念頭に仕事ができることだと思う。

ちょっと話が抽象的になってきたので、次回からはもっとエピソードなども交えて話していきたい。
フランスから始めます。


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【小川 郷太郎】
現在





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