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外交官 第8話 フランスを「全体的に知る」(1/2)

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第8話 フランスを「全体的に知る」 (1/2)

先に述べたように、フランスを知るのは言葉の勉強だけでは足りない。フランスの社会にできるだけ入り込む必要がある。

そういう観点から最も役立ったのは、やはり柔道であった。以前に書いたように、このボルドーには道上雄峰社長のお父上の道上伯先生が道場を構えて柔道を教えておられた。私にとっては何にも増して有り難く幸運なことであった。
ツール市の道場で道場主のジャン・クロード3段らと (1969年8月)
ツール市の道場で道場主のジャン・クロード3段らと (1969年8月)

この道場に通いお世話になり、連日のように道上先生から柔道の指導を受けただけでなく、稽古後の飲み会で温かいご薫陶を得たのである。

ボルドーに約50年在住され、ヨーロッパやアフリカも含め献身的に柔道を指導された伝説的な大柔道家である。1964年の東京オリンピック無差別級で日本の選手を破って優勝したオランダのヘーシンクを育てた人でも知られる。

柔道の技量では当時でも現在でも先生の右に出る人はいないほどであったし、精神性の面でも古武士のようなカリスマ性をお持ちであった。このような大先生に親しくご指導をいただいたことは私にとって生涯忘れえない有り難い経験であった。

御存じの方も多いと思うが、フランスは柔道が世界でも最も盛んである。1969年当時でもフランス全国のどんな小さな村に行っても道場があった。
日本では見られなかったが、女性も男性と一緒に稽古をしていた。道場に来るのは猛者風の若者だけでなく、まさに老若男女である。親に連れられてくる小学生から60歳を超えた御婦人までが柔道を楽しみながら学んでいた。

フランスでは、昔も今も柔道は「苦行」というより、忍耐力、自制心、礼儀、誠実さなどの精神性を養うと同時に強い肉体も鍛えられる「武道」として理解されているのだ。

道場にやってくる大人たちの職業も千差万別で、大学教授、医者、公務員、学生などのインテリから自営業、運転手、屈強な石工など様々な人たちがいた。そういう人たちと夕方から練習をし、稽古後はきまって近くのバーで大ジョッキーを数杯飲みながら1時間ほど駄弁る。

その後、奥さんが待っている恐妻家は家路に急ぐがそれ以外の人は場所を移し一緒になってレストランで食事をする。食事は延々と続き夜中を過ぎることもある。
葡萄酒の大産地だから普通のレストランには奥に樽が据えられていて、葡萄酒が陶器の容器になみなみと注がれて出てくる。空になってもすぐ次の器が満たされて出てくる。酒が心地よく胃袋を潤す。
話題は、周りの人の噂話から料理や酒についての講釈、凍結した道路で危ない目にあった運転などの様々な体験談、それぞれの人の家庭や仕事についての話、柔道談義、エッチな話など、豊富である。

こうして、私はいつもおしゃべりのフランス人たちと一緒にフランス語とフランス社会についての勉強に努め、ときどき日本のことを話すのが日常的になった。酒を楽しく飲めることは、やはり有り難い資質である。


続く


筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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