名人のこだわり「料理へのアプローチ」

FOND

名人のこだわり
「料理へのアプローチ」

「ワインに合わない料理は作らない」

「FOND」で大事にしている事です。
フランス料理はワインがあっての料理、と捉えています。

そして、料理は「材料は8割、残りが調理」
調理の部分はそれくらいしか入れないものだと思っています。
材料が良くなければ、やりようが無いのです。

フランスのソムリエと生産者を見ていますと、
ソムリエは「このワインはこう、この品種はこう、飲み頃は」
など、よくそんな事を覚えているな、と言う事まで覚えています。
一方の生産者は、「何年の何がどういう味だった」という事は
意外と覚えていない。
ただし、「こうすればこういった味、香りになる」という部分は
しっかりと見ているのです。

私の料理の作り方のベースですが、
「どう味や香りを整理していくか」と考えているうちに
ワインと料理でも「この香り」「この味」に
どのように合せるか、合せるようにどう作っていくか、
という感覚になってきました。

ワイン作りと似たようなところがありますが、
「香りはこうしたい、味をこうしたい」という
完成した料理が先に頭にあって、
ではそれをどう作る、と調理法を考えていくのです。

調理法から料理を作るのではなく、
完成した料理の「味と香り」からさかのぼるのです。
反対のアプローチですね。

もちろん「ソムリエ的」な、この味がどうだった、香りがどうだった
という事も整理する上では手掛かりにするのですが、
実はそのやり方を調理に持込んでしまうと、失敗する事が多いのです。
あくまでも調理は「生産者」の視点で行っています。

淡路島由良の鱧とハモンイベリコ 丹波黒豆の枝豆

淡路島由良の鱧とハモンイベリコ
丹波黒豆の枝豆



道上の独り言
以前、西村さんの言葉に
「修行は意味が無い物ではないか」
とありましたが、
それは「作業」を覚える事の無意味さでは無いでしょうか。

このレシピのこの料理をいかにうまく作るか、という事は
詰まる所、如何に「作業」をうまくこなせるか、という事になってしまいます。

「フランス帰りのシェフ」が人気が出ても2、3年で廃れてしまったり、
「以前は美味しい料理を作っていたシェフ」が
めっきりと美味しい料理を作らなくなったりします。

その根本は同じ部分で
「フランス帰りのシェフ」はフランスで、一定の「作業」を覚えてきただけ。
「優秀だったシェフ」も、クリエイティブに料理を作り出していたのに
いつの間にか自分で作った物の「作業」をこなすだけになってしまう。

「作業」、「コピー」の料理という物は、だんだんとずれていきます。

西村さんは、
「作業」を「修行」しても意味が無い
と仰っているのかもしれません。



次回は「器具について」をお送りします。



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