外交官 第6話 「フランス人とは (2/2)」

2013/07/19

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第6話 フランス人とは(2/2)

フランス人と渡り合うには、言葉と論理を研ぎ澄ましてどんどん話していかないと自分の立場が不利になったり、社会的に存在感を維持できなくなることを学んだ。
個性もフランス人の特色だ。子供の時から個性を生かす教育をしている。自分で考え意見を述べる訓練がなされ、他人と違う独創的なことは評価される。

二度目のフランス勤務は、結婚して妻と二人の幼い娘を伴っての赴任だった。長女は小学校1年、次女は幼稚園だったが、いずれも現地校に通わせた。
家族とフランスを訪問した母 (パリ、1986年)
家族とフランスを訪問した母 (パリ、1986年)

週末など、長女が時々家に友達を連れてきて遊んでいるのを見ていると実に面白い。小さいのにみな我先にと進み出て、それぞれ子供らしからぬほど気の利いたことを喋ったり、面白い仕草をしたりする。
ある子は暗記した詩をジェスチャーを交えて朗読する。他の子は自分の経験を表情豊かに得意げに説明する。ああ、これがフランスの教育なのかと納得する思いだった。

娘もそうした学校の雰囲気が好きなようで、友達と同じように溌剌と振舞っていたが、4年生の3学期に日本に帰国して初めて日本の小学校に通学した。
我先にと行動するフランス風の態度は融和を旨とする日本のやり方と合わず、後からわかったことだが、級友から相当ないじめを受けて苦しんだらしい。先生も「お宅のお子さんは個性が強すぎて・・」と否定的に評価していた。

フランス社会では個性を尊重するから、妙な考えでもそれを排斥せず、何故それをいいと思うか説明させるように躾けている。
だから、他人と意見の違う場合でも堂々と論理を展開して譲らない。100人が賛成して自分だけが孤立しても臆することなく堂々と反対論を述べることも多い。

そうした態度は国家でも同じだ。国際会議で孤立しても反対の時は徹底的に反対する。困るのは他の国で、何とかフランスと妥協しようとする。

前回この欄で、フランス人はコスモポリタンだとの趣旨を述べた。世界を広く多角的に見る。アジアなどで出会ったフランス人の中には、何年も祖国を離れてアフリカやアジアの国に住んでいる人が相当数いた。

それぞれの国で「面白さ」を発見してそこに長く住む。そこからさらに他の国に転勤を望む人もいる。何年も故国に帰らないで、みずから途上国勤務に手を上げて、そこでの生活を楽しむ人たちだ。すぐ日本に帰りたがる傾向のある日本人とちょっと違うところがある。

愛国心が強く、フランス語やフランス文化に強烈な誇りをもっているが、けして排他的でない。自分の文化の良さに確信を持つがゆえに、他国の文化にも関心を持ちそれに敬意を払うのだろう。
新しい建築物をつくるときに設計を国際入札にかけ、国籍にかかわらず一番いいと思うものを受け容れる。

17世紀頃の伝統的な建物であるルーブル美術館の中庭に作ったガラスの斬新的なピラミッドの構築物も中国系アメリカ人のデザインによるものだ。
文化に関する好奇心と理解力が優れているフランス人にとって、日本は高い関心の対象である。

私は、日本が文化の深さでフランスと並び、その多様性においてはフランスを凌ぐ、世界にも稀な文化大国だと思っている。 だから、日本人とフランス人とは相互に理解し合い親密になる。相性がいいのだ。

19世紀後半のフランスに「ジャポニズム」が起こり、今日でも日本の懐石料理からインスピレーションを受けて「ヌーベル・キュイジーヌ」という新たなフランス料理のジャンルが生まれたことも、こうしたことが背景にあると言える。

柔道は世界でフランスが最も盛んだ。創始者嘉納治五郎の考えや柔道の持つ倫理的精神的価値を深く理解しているからだ。
60万人と言われる柔道人口の主要部分は子供や若者である。
フランスの親たちが、礼儀や精神力などを養成する柔道の価値を子供に身につけさせたいと思って道場に連れてくる。

東日本大震災が起こった直後、フランスの柔道雑誌「柔道の精神(L’Esprit du Judo)」がいちはやく「私たちは日本人だ」と題する特別社説を1ページ目に掲げた。

要旨は、「我々は柔道を通じて日本の素晴らしさや日本人の心をよく知っている。柔道の稽古を通じて日本人と同じような気持ちを持つようになっている。我々は日本人でもある。今回の信じられないような悲惨な災害は我々に起こっているような気持になる。心から支援したい。」というものだった。  

日本では、フランス人を自分勝手で利己主義的だと見る人が多い。あるとき、フランスを知る私の友人に「フランス人は親切だ」と言ったら驚かれたことがある。実際私の知るフランスの友人は皆とても親切だ。親身になって付き合ってくれる人が多い。

最初はある程度礼儀を守りながら付き合うが、すぐに打ち解けて親密になることが多い。フランス勤務時代に子供が通っていた学校の保護者同士として、あるいは近所同士として、気軽に食事で家に呼んだり呼ばれたりする友人が何人もいた。
そういう人と、30年40年経った今も昔と同じように親しくしている。

フランスに行くというと、誰もが「家に泊まって」と言ってくれので、ときどきお言葉に甘えて泊めてもらう。
東日本大震災で原発事故が起こったとき、多くの外国の友人たちが心配してくれたが、「日本は危ないから家族を連れてきてしばらく我が家にいてください」と言ってくれたのはフランス人が圧倒的に多かった。    

もちろん、フランスやフランス人のすべてが素晴らしいわけではない。社会の秩序や清潔さなど、日本の方が優れているものも多い。それでも事実は、フランスには目に入るものが美しく、口にするものが美味しく、感性に訴えるものはしばしば知的で刺激的で、人間性にも温かみがあるというのが私の印象である。

次回は、最初の滞在で4年を過ごしたフランスを私がどういう風に学んだかについて語ってみたい。


筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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