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「古武士(もののふ)番外編 ボルドーの古武士 4/5」



「古武士(もののふ)番外編  ボルドーの古武士 4/5」


■ビール瓶みたいだったヘーシンク
■まじめな性格を買い、ガンガン鍛える
■東京五輪Vには少し複雑

【1955年からオランダ柔道協会の最高技術顧問に。その教え子の中に、後に世界を制し、日本柔道界に衝撃を与えたアントン・ヘーシンクがいた。】

 オランダで教えるようになったとはいえ、二ヶ月おきのペース。フランスで指導を続けていましたから。そこで、模範となる柔道家を一人育てようと思いました。私がいない時、その一人を他の人がまねればいいと考えたからです。

 ある青年が目に止まりました。198センチで82キロ。ひょろりとした体で、やたら首と顔が長い。まるでビール瓶のようでしたね。それが当時二十歳のヘーシンク。まじめな性格が印象的でした。それで彼しかいないと思ったのです。オランダ人は勤勉な国民性で知られますが、彼はずば抜けていた。走れといえば、他の人の三倍走る。打ち込みも止めるまでやめようとしない。細かった首も体も、だんだん太くなっていきました。

 こんなこともありました。彼の家は練習場のアムステルダムから30キロ離れていましたが、来る途中で車が故障してしまった。オランダでは遅刻すると、畳に上がれない規則がある。そこで、彼は車を路肩に置き、家まで走って戻り、自転車で駆けつけた。それでも遅れてしまい、「畳に上がるな」とオランダのコーチが時計を見ながら言う。事情を聞いた私はそれを制し、「上がりなさい」と言ったのです。彼はいつもそんな感じ。何でも一生懸命やるので、技の上達も早かったですね。

 オランダの柔道関係者は、英才教育に反対でした。当時はまだ階級社会の名残があった。ヘーシンクの父は水路荷役、彼自身も建築労働者。「階級が低い」というのです。私としては到底納得できません。「言うことを聞き入れないなら、もう来ない」と抵抗し、やっと説得した。そこからガンガン練習させ、負けることを知らないようになっていきました。


【61年、へーシンクは第三回世界選手権(パリ)で優勝。64年の東京五輪でもすべて一本勝ちで無差別級を制し、お家芸だった日本は覇権を失った。】

 正直なところ、少し複雑な気持ちでした。もともと、私が海外で指導したいと思ったのは、世界選手権にしろ、オリンピックにしろ、外国の柔道家にタイトルを取らせようという動機ではなかった。日本古来の武士道の精神を理解してもらいたいと思い、海を渡ったのです。日本柔道界を混乱させるために鍛えたわけではありません。

 ヘーシンクは気が弱いところがあった。東京五輪の時は、見学させようとフランスから連れてきた約百人の柔道家と鎌倉(神奈川県)のお寺で寝泊まりしていて、私は試合の日、テレビで見るつもりでした。ところが、彼から人を介して、「不安だから、試合場にいてくれ」と。それで急遽、会場に駆けつけ、間近で見ることになったのです。

 嬉しかったのは、決勝戦で神永(昭夫)君に袈裟(けさ)固めを決めた後の彼の態度でした。喜びのあまり、畳の上に上がろうとするオランダの関係者を制し、まず神永君、そして日本の皇太子ご夫妻、オランダの女王に丁寧に礼をして試合場を後にした。

 何より大事にしてほしいと願っていた武士道の精神を、そこに見ることができました。あの場面を見た人たちの多くが、彼は立派な柔道家だと感じたのではないかと思っています。

(聞き手は 運動部 岩本一典)
日本経済新聞(夕刊)/2002年7月25日(木)掲載



【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。
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