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「古武士(もののふ) 第34話 番外編  講道館柔道への爆弾宣言」



「古武士(もののふ) 第34話 番外編 講道館柔道への爆弾宣言」

2014年10月10日



2010年頃、最近「柔道は如何したのでしょうか?」
「色んな問題を抱えているようですね。不祥事が続いていますが」と聞かれる。
その度に愚息は「柔道は終戦とともに消滅してしまったのですよ」と答える。

柔道は講道館がつくったと言われているが、戦前すでに起倒流柔術は柔道と言っていた。全ての主な形(型)は大日本武道専門学校(武専)で作られた。戦後講道館がつくったものは利に適っていないとされている。

嘉納治五郎は、ある秘密結社に属していたと言われている。
彼は同秘密結社の一員であるピエール・クーベルタン男爵に直訴し、戦前日本へのオリンピック誘致を成功(戦争の為中止)させるも帰路の途中カイロ発の船上で死去。

彼は、ピエール・クーベルタン(近代オリンピックの創始者)に対しては、
柔道はスポーツではないのでオリンピックの種目には入れたくないと発言している。

柔道を愛する一方なかなかの策士、政治家でもあった。
空気投げの三船、姿三四郎など宣伝も上手だった。
また嘉納がオリンピック誘致に尽力したため、戦後GHQに武道が禁止された中、
次男の加納履正が講道館柔道はスポーツだと言って柔道を復活させた。

しかし、息子嘉納履正、孫嘉納幸光、と柔道の経験が薄いだけではなく、政治能力も無い者達によって116あった中の一町道場であった講道館が御家元制度という形で復活してしまった。

それは日本では通用したが、世界では全く取り残されてしまった。
長年、国際柔道連盟の理事に日本人の名は無かった。

オリンピックというものは、ピエール・クーベルタンの理想とは異なり、現在ではビジネスとなってしまった。世界の青年スポーツ省(日本では文部科学省にあたる)の上にオリンピック委員会が位置しその上に立つのがメディアである。
ルールも視聴率がとりやすいように変えられて行く一方、視聴率の取れない種目、又、少数国のみが勝ち続ける種目は廃止を余儀なくされる。

しかし多くの日本人が柔道に対して戦前の武道イメージを未だに引きずっている。
1963年まだ講道館が国家権力に近い勢力を日本で保持していた頃
文藝春秋は道上の手記を載せた。
大変勇気のある行動を当時の安藤直正編集長はとった。


※次回より数回に渡り、「講道館柔道への爆弾宣言」を配信させていただきます。 是非、ご覧頂きたく思います。



【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。




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