愚息の独り言「幼年時代の旅行 第4話 中華料理」


愚息の独り言 「幼年時代の旅行 第4話 中華料理」

2013年9月13日


バス停で待つこと30分位経ったころであろうか。

バットマンのバットカー、まるで羽が付いたような自動車(クライスラー)が3台バス停の前に横付けされた。

降りて来たのは3等室にいた人気者の中国人のおばさんだった。凄く感じの良いひとで日本人が大好きのようだった。

「日本人なら誰でも良かった、日本人最高!」

??変なおばさん、だと思っていた。

すぐに多くの町の子が車を取り囲みべたべた車を触っていた。

その凄い車に乗り込み 中華料理を食べに行った。

出てくる料理はどれもこれも凄く美味しい!しかも食べた事の無い料理ばかりだった。

3等室のおばさんの親友あるいは姉妹だろうか?

もう一人の中国人のおばさんが札束を200~300枚二つ折りにしてわしづかみして持っている。

お金持ちだ!!! 自動車もそのおばさんの持ち物のようだった。

僕の姉はその時の事が忘れられないようで,いまでもハンドバックに何○○万も現金で持ち歩く。

カードで払っていたらポイントだけで世界を何周も出来るだろう。

しかもファースト・クラスで。

何故見ず知らずの僕達に良くしてくれるのか。その理由を母から聞いた。

そのおばさんは第2次世界大戦中インドシナで敵味方隔てる事無く傷病者を看病したそうだ。戦争が終わって世話になった旧日本兵が皆でお金を出し合って彼女を日本へ招待した。

そのことにいたく感激して船で仲良くなった日本人達を片っ端から招待しているということだ。

まるでハネムーン・旅行のように!

彼女は世界平和と結婚したようだった。

後年、3等室のおばさんを探した。 しかし名前すら分からないひとだ。

手立てがなかった。

もう一度会ってお礼が言いたかった・・・!

戦時中は相当な思いで看病されたのだと思う。想像を絶する!

看病しながら亡くなった方も多いと聞いた。英雄は皆死んだ!

逃げ回った奴が勲章を貰っている。

特攻隊の生き残り?嘘をつけ!

特攻隊に生き残りはいない。

生き残ったのは事務をやっていた類の者だと言う人もいる。

まあ、そんな事はどうでも良い。

名前を残そうなどと思った人ではなく、真に、心から、人の為そして世の為に戦ってきた人達がいる。

決して安っぽい考えの下で生きているわけではない。

自己宣伝はしない人達だ。

そのおばさんは決して美人ではないが輝いていた。

人から施し物を受けてはいけないと言われて育った自分は最初緊張と遠慮でお箸が動かない。

使い慣れない象牙の黄色い長い箸から食べ物がするりと抜ける。

何故割り箸が無いのか!

いつも出前の長崎ちゃんぽんと一緒に付いて来る割り箸!

葛藤してるところへ輝いてるおばさんが来て笑いながら箸の使い方を教えてくれた。

僕が2024年現在までに食べた中華料理で一番美味しかった。

美味しく感じるには理屈が必要なのだろうか?

あの感動は今も忘れる事が出来ない。胃袋よりも魂に!

【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。