私と柔道、そしてフランス… ー 第七十六話 スタイリング・ムース ”フリースタイル” 発売!ー

私と柔道、そしてフランス…
- 第七十六話 スタイリング・ムース“フリースタイル”発売! -


 待望のデイヴィッド・アシュレーが、ロレコス/コスメフランスの常務取締役として来日すると同時に、この二社も銀座から麻布台の「メソニック39森ビル」に移転し、ここでまた、新たな出発をしました。

 私は、アシュレーの補佐役として、ロレコスのみならず、コスメフランスの業務も担当することになりました。

 まだ30歳代(?)のアシュレーは、生粋の英国人ですが、フランス語をフランス人のように話し、おまけに、美声の持ち主で 、かつトロイ・ドナフュー張りの美男子でした。

その上、温厚な性格の持ち主ときていますから、あっという間に周りを魅了していきます。

  また、父親のシリル・アシュレーは英国・ロレアルの大幹部で、かつて、ロレアル/コーセー提携時にロンドンに滞在していた小林禮次郎氏が大変お世話になったという!

その影響か、息子のデイヴィッドはコーセーとの協力関係を深めたいという希望を公言して、小林社長を喜ばせました。

 そして、カナダからのお土産として持ってきてくれたのが、ムース(泡)状のスタイリング剤(整髪剤)でした。

 早速、コーセーのサロン事業部(美容室向け製品部門)に提案したところ、その時点では、興味を示されなかったので、ロレコスとして、一般市場で発売することに決定しました。

 これが、ロレアル自慢の“セット力のある”スタイリング・ムース“フリースタイル”なのです。

その当時の日本ではヘアムースは資生堂が販売していましたが、これは強いて言えば“艶出し”ムースで、”フリースタイル”のようなセット力のあるスタイリング・ムースは日本市場には皆無でした。

「ベタつかず、自然な感じにしっかりセットするスタイリング剤」がうたい文句でした!

スタイリング ムース “フリースタイル”
【スタイリング ムース “フリースタイル”】

 さて、日本では、エアゾール製品(注1)の製造は、エアゾール製造専門会社に外注しなければならず、その際、“企業の命”としている処方も開示しなければならないことから、日本での製造はあきらめざるを得ませんでした。

そして、英国・ロレアルのカーディフ(ウエールズ地方の首都)工場で製造し、完成品を輸入することになりました。因みに、このカーディフ市は、ラグビーのウエールズ・チームの聖地としても知られていますね!

 この輸入ムースは1984年夏に発売し、9月には、川島なお美を起用したCMを流し始めました。

それまでは、本社が指定する映像を日本語に吹き替えたものしか使えなかったのですが、アシュレーのお陰で、日本独自のCMを制作することができました。

CM撮影中
【CM撮影中】

手タレ(手のタレント=パーツモデル)活躍中
【手タレ(手のタレント=パーツモデル)活躍中】

 問屋ルート/制度品ルート共に、反応は上々で、第一回輸入分はすぐにアウト・オブ・ストック!輸入計画を大幅に練り直さなければならない事態になり、しばらくは空輸で凌ぎました。

  しばらくして、業界紙などで“フリースタイル”の成功が話題になった頃、コーセーの商標担当者から連絡がありました。

驚いたことに、仏語では一般名詞である“スタイリング・ムース”の“ムース”を、資生堂が商標として登録していて、我々が品目名として使用しているこの“ムース”が資生堂の商標権を侵害するというものでした。

できるだけ早く“スタイリング・フォーム”に変更するようにとの指示でした。

 社内では大騒ぎになりました。ところが、数日後に同じ担当者から再度連絡があり、商標管理が厳しい資生堂から「ロレアルには特別に“ムース”という言葉の使用を許可する!」との報告があったことを伝えられました。

理由は、“スタイリング・ムース”という新しい市場を創出した功績に対する“お礼”なのだそうです。

 資生堂の“大きさ”を感じた瞬間です。

 このとき、頭をよぎったのは、日本電子のパリ時代に知り合った当時の資生堂ヨーロッパの責任者・星野史雄さんのことでした。

彼とはこの頃も親しくしていて、この件では、恐らく彼が相当動いてくれたものと、今でも思っています。本人は否定していましたが。

 と言いますのも、1982、3年の頃、ロレアルのダル社長が「前年度もロレアルの連結売上げは化粧品業界では世界一」と発言した記事を、当時の資生堂社長が目にして異論を唱え、ロレアルに抗議せよと、外国部に指示したことがあったのです。

 星野さんも当時は既に帰国してこの外国部に勤務していて、私がロレアルにいることを思い出し、銀座のオフィスに訪ねてみえました。

 両社長が、主張を変えることは絶対あり得ないというのが二人の一致した考えでした。

やむなくこの問題は次世代に任せ、両社長にはそのまま仲良くつきあってもらおう、との結論に達しました。

そして 、星野さんの提案で、まず、相互の工場見学の実現を目指すことで合意しました。

 その後、ダル社長の来日の折に、資生堂の工場見学が実現しました。

このとき工場を案内してくれたのは、当時の外国部部長の福原義春氏。かの有名な後の資生堂社長です。

 お返しに、福原氏訪仏の折にはロレアルの工場見学も実現しました。

(注1)
エアゾール製品:気化した液化ガスまたは圧縮ガスの圧力によって、内容物を容器の外に自力で霧状や泡状などにして放出させる製品

次回は、「第七十七話 コーセーコスメタリーの活躍」です。

筆者近影

【安 本 總 一】
現在