改訂版 新・スラム街の少女 ―灼熱の思いは野に消えて― 第三十話 「第10章 灼熱の思いは野に消えて 4」

愛は国境を越えてやってきた。

不思議な力を持つスラム街の少女プンとともに、 日本人駐在員は愛と友情をかけて、 マフィアと闘う。

女剣士・小夏 ―ポルポト財団の略奪―

プーから今日から大和で働くと、電話があったのでお祝いにプーと夕食を一緒にすることにした。

待ち合わせはタニヤプラザ(タニヤ通りにある専門店ビル)の前だ。

「木村さんありがとう。私と兄の減刑の嘆願書を出してくれたでしょう。

兄の刑も被害者からの減刑嘆願書だから減刑されると思うの」

「ふーん、ところでさあ、プーちゃん、日本のお鮨を食べたことがある?」

「スーパーで巻物はあるよ」

「じゃあ、鮨屋に行こうか」木村とプーは、タニヤ通りにある鮨屋に入った。

「プーちゃん、日本酒飲もうか」

「この間、ちょっとだけで、酔っちゃたからどうしようかな」

「たくさん飲んでも酔わないよ。日本では水代わりに飲むんだよ」

・・・・・・水代わりは俺だけかもね。

「イカとサーモンとトロを二人前ずつ握ってそれとエンガワね」木村はプーの分も一緒に注文した。

「あーおいしかった。こんなにおいしいご飯を食べたのは初めて」

プーは嬉しそうな顔をして木村を見た。

鮨屋を出て、プーと大和に入った。

「オッ同伴だね、うちは同伴料高いよ。パーッとドンペリニオンでも開けるかい?」小ママのミィアオが嬉しそうに笑う。

「あらまあ、プーちゃん赤い顔してもう酔っているね」

「木村さんが日本では日本酒を水代わりに飲むって言うから」

「悪いことしよう思ってだいぶ飲ましたな。パンツの中身が見たくなったね、このスケベ日本人」ミィアオは木村に日本語で言った。

・・・・・・プーちゃんは日本語がわからないから安心だ。

つい、うなずいてしまった。

「最近毎日、日本語を勉強しているんだってね、プーは頭良いから少しは覚えたかい?」

意地悪そうにミィアオは俺を見ながら言った。

「だいぶ分かるようになったよ」とプーは日本語で答えた。

「そういうことは、早く言って欲しいなぁ。ドンペリでも開けるか」

カウンターで好みのブラディーマリーを飲んでいると、携帯がなり電話をとると、シーアからだ。

「木村さんか?」

「俺だ、シーアだな。電話を待っていたよ」

「ビッグベアの娘の居場所を教える。その代わりに条件がある」

「金か?金なら出さない」

「いや、ビッグベアの家に行って直接話したい。プンにも謝りたい」

「えっ」予想外の言葉だった。

「とにかく明日、朝10時頃クロントイのスラム街まで行く。入口に迎えに来てくれないか」

「わかった。10時に待っている」

・・・・・・何かの罠だろうか?しかし、受話器の向こうから伝わってきた雰囲気は嘘ではないような気がする。

携帯でビッグベアとニンに連絡し、明朝マイの家に9時に集合することにした。

翌朝、マイの家に皆が集まった。 ビッグベアは興奮して眠れなかったのだろう、目が赤い。

「もう行こう。ビッグベアは立った」約束の30分前である。

俺たちは、クロントイスラムの入口でシーアを待っていた。

約束の10時にクロントイスラムの入口に車が停まり、一人で来たシーアをビッグベアと一緒にニンが待っているマイの家に連れて行った。

ニンが口火を切った。

「約束を守ったわね」

「あの子がそうさせた。俺の良心を引きずり出したのさ」プンを指さしながらシーアは穏やかな表情で言った。

シーアはゆっくりと5年前を振り返り、話し始めた。

「俺は親父に捨てられ売春宿で育った。

売春宿の主人はカンボジア国境やイサーン地方(東北地方)に女の子を買いに行って、売春婦として働かせていた。

俺は18歳になると、主人の運転手として女の子を買いに地方に行くようになった。

そこで、俺は臓器売買のシンジケートの連中とも接触するようになった。

そして、俺はシンジケートの手先になったのさ。俺は貧しい臓器提供者をシンジケートに渡し、信用ってやつをつけていった。

臓器が欲しい奴はあきれるほど多く、いくらあっても足りなかった。

中国やフィリピンって国では、政府の役人が臓器売買の制度化に動いているそうだ

あんたの国でも、ドナーとかいうのからもらった内臓移植が、毎年千以上あるってさ。それは上面の数字だよ。

実際はアメリカでもヨーロッパでも日本でもばれたらやばい臓器売買による臓器移植が ほとんどだ。日本人は、東南アジアに来て売買された臓器の移植手術をする。

タイの地方の農家ではいくら働いても借金が増えるだけだ。

借金の利息でまた借金が増える。手っ取り早い現金収入は子供を売ったり、大人は自分の臓器を売ることだ。

誰も喜んだりしない。それしかねえんだ。

子供を手放す時は、前の晩に子供に餅米と好きなおかずを食べさせるんだ。 子供を手放す親の心はあんたら日本人と同じだよ。母親は一晩中、泣き明かす。

家族の誰かが犠牲になり、誰かを生かすためだ。

その悲しみとやるせなさは人の心から希望と勇気をつぶしていくんだ。

がらにもなく、ちょっとしゃべりすぎたな。肝心なビッグベアさんの娘の話に戻そう」

シーアは出されたお茶を飲んで話しを続けた。

「あの日、シンジケートから急ぎの注文があり、金はいくらでも出すので至急子供の腎臓が欲しい、生体移植をするので子供を一人確保するようにとの指示だった。

時間がなかったのでクロントイスラムの子を確保しようと俺は思った。

俺は仲間二人とクロントイに行った。そこでたまたま一人でいたノックをさらった、すまなかった」

「その先を話せ」ビッグベアは堅く拳を握りしめ、シーアを睨んだ。

「シンジケートの指令は倉庫の裏の船着場に船を着けるからそこで受け渡しをするようにとの指示だ。

船は時間通りに着き俺達はノックを入れた木箱ごと渡して現金を貰った。

普段と違ったのは、いつもとは違ってシンジケートの奴らのほかに二人の男がついて来たことだった。

俺はその二人が警察か軍に属する組織的に訓練された男だとすぐに分かった。

上官と思われる男が言った「急げ」という命令にもう一人の男が「了解です」と言って敬礼をしたのだ。

上官はそれを見て舌打ちし、こちらを見たんだ。

俺はなんかやばそうだったので気がつかないふりをしたよ。

俺達がノックを引渡し、倉庫に戻って来た時、お前が来た。

連中が去って5分も経っていなかった。その後はビッグベア、あんたの知っている通りさ。

俺はあの時、捕まって刑期10年を言い渡された。

しかし、いつの間にか刑期が大幅に短縮されて4年ちょっとで放免された。

しかも、預金を調べて見たら毎月2万バーツずつシンジケートから振込みがされていた。

俺はおかしいと思った。

ひょっとして、俺は知らないうちに何か重要な鍵を握っているのかも知れないと思った。

いくら考えても何も思い当たらなかった。

ただし、シンジケートのやつらと一緒について来た男達の想像はついたよ。

現役の陸軍部隊だ。

俺は国立図書館に行き当時の新聞記事やら雑誌記事等を読みあさった。

新聞記事には何も書かれていなかった。

俺は帰り際にゴシップ雑誌を買ってぺらぺらめくっていたら、元女優の陸軍最高幹部婦人が孤児院を見舞いに行った記事が載っていた。

同行した10歳の養女のサパロット(パイナップル)の写真も一緒に写っていた。俺は、軍、養女、十歳・・・・・・ひょっとしたらと思った。

調べたら陸軍最高幹部の家は、バンコク市内にあるナウタニゴルフ場の近くにあった。

俺は陸軍最高幹部の家の近くで聞きこみをしようと思った。

ひょっとしたらうまい儲けになるかもと思ったんだよ。

ゴルフ場につながる道路の両側には洋館が立ち並んでいたよ。

駐車場には、ベンツとか高級車がごろごろしていた。

俺は陸軍最高幹部の家の近くにある雑貨屋のばあさんに、チップをやって聞き込みをした。

陸軍最高幹部の末娘は小さい頃から身体が弱かったらしい。

なんでも七歳の頃、小児腎不全で心血管病の合併症で死んだそうだ。

亡くなったと同時に今の養女サパロットが来たそうだ。

おそらく、なくなった末娘の容態が急変し腎臓移植前に死んだのだろう。

詳しい事情は分からないが、養女のサパロットは、ノックに間違いない」

シーアはそう言って、持ってきた雑誌を出してノックが写っているページ開いた。

ビッグベアは雑誌を奪い取るようにして写真をくいいるようにして見た。

ビッグベアの目からどっと涙があふれ出た。

その子はピンクのワンピース姿で長髪を後ろで止めている。

白いソックスにワンピースと同じ色の靴を履いている。

「間違いないノックだ。小さい頃に俺がミルクをやったあの口元、母親にそっくりな目と口元だ。

俺の子のノックだ・・・・・・大きくなった」

ビッグベアの雑誌を持つ手が震えている。

「ノックだ、きれいなお洋服着ているね。あたしもこんな洋服着てみたいな」雑誌をプンが覗き込んで笑って言った。

「おい、すぐに取り戻しに行こう」俺はビッグベアの肩を叩いた。

「一人にしてくれないか」ビッグベアは立ちあがるとそう言ってプンの家を出て行った。

「どうしたんだ?」ニンの顔を見た。

「ノックの育った環境と自分の今の環境を比べて差がありすぎるからノックにとってどちらが幸せか考えたのでしょう」

「なーに考えているのだ、あほか。ビッグベアはノックの親だぜ」

皆が止める間もなくビッグベアを追った。

初めて入ったビッグベアの家はきれいに片付けられている。

棚にはノックと母親の写真が立てかけられていて、その横の壁には5歳のノックの洋服がかけられている。

ニンとプンが心配をして木村の後を追ってビッグベアの家に入って来た。

「ビッグベアどうしたんだ、ノックに会いに行こう」俺はビッグベアを見つめ静かに言った。

「ノックちゃんに会いに行こうよ」プンはビックベアの手をとって言った。

ビッグベアは俺の顔を見ながら顔を横に振った。

「何故、会いに行かないんだ?ノックがいい暮らしをしているからか?」

「ノックにとって俺が現れないほうがいいような気がした。

大きくなったノックをそっと見ることができればそれでいい」ビッグベアは自信がなさそうに言った。

「ビッグベア、親の経験がない俺が言うのもおかしいが、 親になる資格ってないよな。誰でもなれるよな。

でも親でいる資格はあると思う。・・・・・・それは子を思う、子を愛する心を持っていることだと思う。

俺の家は貧しかった、両親は働いていた。子供4人を食わせるのがやっとだった。

毎日、ご飯のおかずはお袋が働いていたスーパーの残り物だ。

でも、3人の子供の誕生日は豪華だった。必ず好きな食べ物とケーキを買ってくれたよ。

俺の誕生日にはもちろん大好きなウインナーをいっぱい焼いてくれた。

そしてわたしの子が一年間無事に育った、大きくなったってお袋が喜んでくれた。貧しかったがうれしかったぜ。

ビッグベア、そこに掛けている服はノックのだろう。毎日、毎日見てきたんだろう。

お前には親でいる資格がある。さあ、連絡しよう」

シーアがビッグベアの家に入って来た。

「すまなかった。俺は親の愛情を知らない。木村の話しを聞くと親っていいなと思った。

親から子供を奪った俺の罪は重い。自首する前に役に立つことがあれば何でもする。

それとこの預金通帳の金を使ってくれ。これはビッグベアとノックのものだ。俺は刑期を終えたら仏門に入る」

差し出した通帳には、50万バーツもの大金が預金されていた。

「お前からの金など受け取れねえ」ビッグベアは吐き捨てるように言った。

俺は預金通帳とキャッシュカードをシーアから受け取り、ビッグベアに渡して言った。

「受け取ってやれ、ノックの役に立つ」

ビッグベアは黙って頷いた。

 いきなりビッグベアから連絡をするより、わたしが代わりに連絡するわ。シーア、電話番号は分かっている?」ニンはシーアに言った。

 「調べておきました。陸軍最高幹部の自宅の電話番号です」

シーアは電話番号の書いた紙をニンに渡した。

ニンはちょっと考えて携帯を取り出し、ダイヤルをプッシュした。

皆は緊張した面持ちでニンを見つめている。

「陸軍将軍閣下のお宅ですか?」

「はい。どちら様ですか?」家政婦が電話に出た。

「私はスーパンサーと申しますが、閣下夫人はご在宅ですか?」

「どのようなご用件でしょう?」

「娘さんのサパロットの件でご夫人に直接お話をさせていただきたいのですが」

「お待ちください」

数分が過ぎただけであるが、気の遠くなるような時間に思えた。

「チャイキットです。娘のことでどんなお話でしょうか?」

「娘さんサパロットの実の父親がここにいます。娘さんと会わせていただけないでしょうか?」

ニンはストレートに切り出した。

「・・・・・・」受話器の向こうの沈黙が緊張となって部屋に広がって行った。

「確かなことですか?」

「はい、5年前に誘拐にかかわった人もここにいます」

「・・・・・・わかりました。そちら様は今どこにいらっしゃいますか?」

「クロントイスラム街です」

「両親はスラムの方ですか?」

「はい、母親は出産時に死にました、父親は今そばにおります」

「突然のことなので、いろいろと確かめたいことがあります。

今、娘のサパロットもおりません。主人と相談してそちらに電話します。よろしいですか?そんなにお待たせしません。」

「電話をお待ちします」ニンは自分の電話番号を伝えて電話を切ると皆に話の内容を伝えた。

「閣下婦人チャイキットは、上品に取り乱さず対応をしてくれたわ。電話を待ちましょう」

30分後ニンの携帯が鳴った、チャイキットからの電話だ。

「主人に話したら、主人がお目にかかりたいと申しております。夕方6時にこちらに来ていただけますか?」

「はい、それでは私とサパロットさんの父親と当時かかわった人と父親の友人の日本人とサパロットの仲の良かった子供の5名で伺います」

「家は分かりますか?」

「はい、わかりますナウタニですね。それではお伺いしますので、どうかよろしくお願いいたします」

「お待ちしております」

ニンはチャイキットからの電話の内容を皆に伝えた。思った以上にすんなりいった。

「5時過ぎにここを出ましょう。まだ時間があるわよね、ちょっと着替えしてお洒落しましょうね、プンちゃんもお洒落しようね」

「6時だって、夕食が出るかもね」俺はVサインを出して笑った。

「それじゃ、運転手はプラモートさんにお願いしましょう。5時過ぎにスラムの入口で待ち合わせね」

5時過ぎに皆はスラム街の入口の道路に集まった。

「ビッグベア、そのネクタイとシャツの色はどうかな?」

俺がつい言った本音をビッグベアは気にした。

「新しいシャツとネクタイを買ってきたんだけど、似合わないかな?」ビッグベアはがっかりして言った。

「そんなことないわ、すてきな色よね。黒いシャツに赤のネクタイっていいわよ」ニンが俺をつついてウィンクした。

「そうかな、俺にはどう見てもやくざにしか見えないけどな・・・・・・。まあ、服なんかどうでもいいよな。さあ、行くかプラモート、行き先はナウタニだ」

プラモートがレンタカーでワゴン車を用意していた。

ビッグベアが手配したワゴン車の後部座席に乗りこんだ。

その後にシーアが乗り込もうとした時、パーン、パーン、パーンと三発の銃声音が立て続けに響いた。

シーアが胸を押さえて倒れこんだ。10メートル後方にいつの間にか車が停まっていた。銃を撃った男が車に乗り込むと急発進して通り過ぎて行った。

俺は、急いで降りてシーアを抱え起こした。皆も急いで降り、シーアを取り囲んだ。

「しっかりしろ」

・・・・・・胸に二発、腹に一発命中しているプロの仕業だ。

プラモートを見ると顔を横に振った。

「救急車を呼ぶわ」ニンは震えながら携帯を取り出した。

「木村さん、もうだめだ・・・・・・空が青いなあ、まぶしいよ。何のために生きてきたのだろう。人に感謝されることを一度はしたかった・・・・・・プンちゃんありがとう」

「今日、いいことしたじゃあないか」

シーアは俺の言葉に、にっこり笑って目を閉じた。

「シーア、今度生まれてくる時は幸せになってくれ」

そっとシーアの目を閉じた。

・・・・・・貧しさと世の中に対する燃えるような憎しみ、シーアの灼熱の思いは、風に運ばれ、野に消え、亜熱帯に咲き乱れる赤い花になったのだろうか。  



泰田ゆうじ プロフィール
元タイ王国駐在員
著作 スラム街の少女 等
東京都新宿区生まれ