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外交官 執筆を終わるに当たって

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官
2017年7月12日

執筆を終わるに当たって

2013年に書き始めたこのメルマガをようやく閉じることになった。
読者の皆様には長い間にわたり私の駄文にお付き合いいただき、
心から御礼を申し上げます。

外交官生活を振り返って思い出すことや感じたことを書いてみたが、冗長だったり、そんなことわかっているよと思われた個所もあったかもしれない。説教調に「外国をもっと見よう」という趣旨をくどくど書き過ぎたかも知れない。その点はどうかご容赦をお願いしたい。
それには、次のような背景があることを理解していただければと思う。

外交官の仕事は面白く、お陰で楽しい有意義な人生を送ることができたと感じている。それは、海外に行って目が啓けた、視野が広がったと思うからだ。海外に行ったことによって、これまで気が付かなかった日本の良いところ、悪いところにも気付いたりした。日本にずっといて同じ思考形態、生活パターンで生きていたら気が付かないことが多かっただろう。海外を見たり知ることの重要性を読者の皆様にお伝えしたいという気持ちが強かったからである。

北朝鮮は論外だとしても、最近の中国や韓国を見ていると、政府や国民が自国の独善性に気付かないかのように振舞っている。国民が国際感覚を持っていれば、政府の独善を正すことも可能になるが、政府が独裁的な政権ではそれも許されない。国の制度が民主的であり、制度や精神が開放的で多様性を受けいることは重要なことである。

日本はかつて国全体が独善的な方向に引っ張られてしまい、客観的国際情勢が見えなくなったかのように道を誤ってしまった。アメリカは民主制度は確立しているものの、トランプ政権のもとで客観的な国際情勢とかけ離れた独善性に陥りかけているように見える。国民の賢明な国際情勢把握と国際協調精神が不可欠である。

我が国も広い国際的視野に立つと同時に、日本が軍縮や核不拡散、開発援助や文化・技術などで果たしている世界への大きな貢献に誇りをもって、一層の国際協調の道を歩むことを国の目標にすべきで、そのためにも国民の海外への関わりの重要性を強調してもしすぎることはないと考えるものである。

花 (Elantis,  Snowdrops)(2005.2.26.)
花 (Elantis, Snowdrops)(2005.2.26.)



筆者近影

【小川 郷太郎】



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外交官 第30話(最終回) 国際人を育てる

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官
2017年7月5日

第30話(最終回) 国際人を育てる  

これまで、自分の体験をもとにいろいろお話してきたが、私が言いたかったことはおよそ次のようなことである。

①世界の国々はそれぞれ歴史や文化が違う。
しかし、「違い」はとても面白いし刺激となって、そこから学ぶことが多い。

②歴史体験や考え方が違っても、結局付き合っていけばどこの国でも人間の心は同じであるので理解し合えるし、相手の立場に立って考えることが重要である。

③近年グローバリゼーションの進展によって世界各国間の相互依存関係はますます深くなり、これからは日常生活においても仕事においても外国人と接する機会が普通のことになりつつある。

④日本は世界から尊敬されている大国であるが、
近年内向き傾向になり国力も衰退している。

⑤日本を取り巻く安全保障環境が緊張をはらむ状況になってきている。とくに近隣国との関係をどう改善していくかが緊急の課題である。

そこで、「私が総理大臣になったら」というこの章の最後の政策として、これからの社会を背負っていく若い人を中心に国際人を育成することを提言したい。
「国際人」とは、英語など外国語を身につけることも必要だが、たとえ言葉が話せなくても世界の情勢、各国の歴史や国民性などに関心をもって大まかにでも把握して、日本の置かれた状況やなすべきことについて正しい感覚や判断力を持てる人、さらには外国人との接触や交流に躊躇や違和感を感じない人のことである。

もちろん、国民全員が国際人になることはできないし、必要でもないだろう。総理大臣が指導力を発揮して国民に呼びかけ、政策を実施することが必要だが、国民は総理や政党に任せるのでなく、みずから「国際人」になる必要性を理解し、そういう意識をもって対処していくことが望まれる。
ここで、私が考える国際人育成支援のためのいくつかの施策を例示してみたい。


1.学校教育の革新
(1)まず、英語教育の改革である。その中心は「耳から入る英語教育」で、幼稚園、小学校低学年の生徒を対象に毎日30分程度、英語のアニメなどのビデオを反復して見せること。
幼児はじっと見ていて何ヶ月かすると映像の動きで自然に音や意味が解ってきて、それが進むと綺麗な発音で話すこともできるようになる。デンマークの子供や若者の英語能力はそういう経験に育まれたようだし、自分の息子もモスクワで毎日テレビで現地のロシア語のアニメを見ていたが、ある日突然ロシア語を喋ってまわりを驚かせたことがある。

日本の中学、高校、大学のレベルでは文法教育に時間をかけすぎていることが弊害をもたらしている。英語の文章を日本語で分析して、これが主語でこれが目的語だとか、この関係代名詞はどこにかかるかなどと考えているので、英語を聞き取ったり話す能力が進歩しないのである。英語の文章を頭の中で日本語で論理的に考えるのではなく、そのまま丸ごと覚えることが大事である。

私は、いつもまとまった文章のかたまりを何十回と反復して音読する練習をした。ほとんど暗記できるくらいまでに繰り返し音読すると正しい文章が自然に口を突いて出てくるようになる。「括弧の中に正しい前置詞を入れよ」などの試験問題が出ても、頭で考えることなく正しい前置詞が口調で自然と出てくるようになる。

(2)中学、高校、大学レベルでは、発信力、自己主張の能力を養うための新しいカリキュラムを作成する。アジアを含む海外では発信力や自己主張能力の高い若者が多い。外国人の自己主張の前で黙っていることは負けである。それを避けるためにも気持ちの持ち方も含め学校教育の中で発信や議論の仕方を教えることにしたい。

(3)外国人と議論をしたり主張するには議論するテーマについて知識がなければ不可能である。だから、外国人と話題になる可能性の高い問題についての教育が大事である。韓国や中国との「歴史認識」摩擦では、歴史的事実について日本人の知識が乏しいところが問題になっている。
だから、中学、高校では中国や韓国と日本との近現代史や日米戦争のこと、現代の国際関係情勢などを必修科目にすべきで、入試でもこれらについて問題を出すことが必要だ。

もう一つ重要なものは、日本についての知識だ。外国人は日本の文化に関心が高い。仏教や神道、歌舞伎や能、禅、茶道のことなどについてよく聞かれる。基本的なことを学んでおくことが欠かせない。知識を持っていて説明をすれば、相手の信頼感や親密感が大いに増す。
限られた教育課程ですべてを教えることは不可能であるので、結局は他の教科との関連で取捨選択して新たなカリキュラムを作成するべきだ。国際化時代を考慮して選択科目を増やして再編成すればよい。


2.異文化学習支援:外国人と接する機会を増やす
(1)「百聞は一見にしかず」で、外国のことを理解するためには直接海外の人々と接することが不可欠で、かつ、それが最も効果的である。だから、政府としてそのような機会を提供したり、民間の努力を支援したらよい。どんなことが現実的にできるか。いくつか挙げてみよう。

・例えば、高校1年次に各校が海外修学旅行を行う。アジア諸国は費用の面から便利だけでなく、日本にとっての重要性からも格好の行先だ。中国や韓国に行ってみると、報道などを通じて考えていた相手の国の状況と随分違うことがわかるだろう。

行ったら現地の高校生たちと話し合ったり、日本と違う文化や経済状況を知るための日程を入れる。相手の学校と交流することも面白い。これを実施するには先生方の意識改革が求められるだろうし、適当な学校を探すのに現地の日本大使館が側面支援することも大事だ。

・毎年日本に海外から何百人もの高校生が来日する。その多くが1年ほど日本の高校に通う。日本の高校が積極的に外国の生徒を受け入れ、日本の家庭が海外の生徒を家族の一員として受け容れるホストファミリーになることがよい。案じるよりやってみると面白い。

外国人と身近に生活することで、思いがけない多くのことを学ぶ。問題も生じうるがそれを解決すること自体が異文化学習として貴重な体験になる。外国人の生徒が家庭に入ると、親だけでなく子供たちにも海外への関心や異文化理解の点で様々な刺激を与える。政府や自治体・教育委員会がホストファミリーを大いに応援するべきである。

・第1次安倍政権の2007年、総理が「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS)」を提唱した。これに基づき、2012年までの5年間に毎年6000人の東アジア地域(アセアン、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランド)の若者を日本に招聘した。

短期の日本滞在が主であったが、日本の家庭でのホームステイや学校訪問も日程に組まれた。私もその一部の交流に関わったが、東アジアの若者の親日感増進だけでなく、日本の若者の海外への関心や親近感醸成に非常に大きな効果があった。このような事業は継続的に行われてこそ効果が出るものである。この種の計画を、日本人青少年の海外派遣も含めて毎年実施すべきである。

(2)さらに効果が高いのは高校留学である。同じ留学でも高校時代の留学と大学留学とでは、大いに意味が違う。大学留学では学問や研究が主目的になるが、高校留学では外国の学校に通ったり外国人の家庭にお世話になって生活する。感受性が強く異文化吸収能力の高い高校生の成長過程では人間形成に絶大な好影響を及ぼす。非常に多くの高校留学経験者が異口同音に、留学がその後の自分の人生に決定的影響を与えたと言う。

留学をする場合、国内に高校留学を推進するしっかりした組織がいくつかあるのでこれらの組織を活用できる。日本の大学受験のために高校留学を断念する人も少なくないが、教員も親も生徒自身も国際化時代の生き方を念頭に若者の人生の進路を考えるべきだ。

(3)海外から来日する若者と日本の若者との交流会などを観ていると、海外の若者が展開する活発な話題提供や意見表明に日本の若者が付いて行けない事例を目にすることが少なくない。

今の日本の学生たちは大学入試のために高校時代に大変な時間と労力を費やす。やっと大学に入りしばし自由を謳歌できたとしても大学生活の後半は今度は就活にエネルギーを注ぐことになる。諸外国の実情や変化する世界の実態に関心を持ったり、それらに触れる機会が少なく、視野や思考が内向きになる傾向がある。若いうちに海外を体験することは視野を拡げ人間形成に役立つ。

若者自らが意志をもってその機会を作ることが大事だが、実際にそこまで行けない人が多い現実があるので若者の海外体験支援が必要で、官民それぞれの立場からそれを応援することが望ましい。

韓国の一流企業のいくつかは新入社員を早期に海外勤務に出すそうだ。海外での事業展開や外国企業との連携が増える時代であるので、日本企業も若手社員にどんどん海外体験をさせるべきだ。
国の途上国援助機関である国際協力機構(JICA)や海外で活動する日本のNGOで日本の若者をインターン体験させることも効果がある。JICAではすでに実践しているようだ。政府もそれを奨励したり支援することが望ましい。


3.政府の役割
安倍政権になって、「働き方改革」のように総理が積極的に音頭をとって生き方を変えようとしていることは大いに評価される。

私が総理だったら、国際人育成を目指した官民の意識改革にも先頭に立って旗を振ると同時に政府が必要な予算措置をとるよう指示する。人的交流の抜本的拡充のために、第29話で提示した「国際協力費」の予算を創設する。人的交流の対象に青少年だけでなく、教員や報道陣も加える。

これまでも述べたように、こうした政策に必要な予算額は必ずしも大きなものではない。前述の「21世紀東アジア青少年大交流計画」の予算は5年間で350億円だそうだ。

社会保障費、防衛費、公共事業費など数兆円から40兆円ぐらいの国家予算費目の間で調整して、例えば毎年500億円程度の国際交流予算を捻り出すのはさほど困難ではない。国策としての重要性を考えて費用対効果の観点から是非実現したい。

花 (木瓜、ムスカリ)(2005.5.1.) 
花 (木瓜、ムスカリ)(2005.5.1.) 



筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第29話 日本の安全保障をどう確保するか (その3)幅広い安全保障の網を編む

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官
2017年5月17日

第29話:日本の安全保障をどう確保するか  

(その3)幅広い安全保障の網を編む
安倍政権のもとで「積極的平和主義」が唱えられ、一連の新しい政策がとられてきている。外務省が作成した資料に掲載された積極的平和主義の具体的内容を示す項目は概ね納得できるが、実際とられた措置は集団的自衛権行使容認、防衛装備移転三原則、平和安全法制の整備など、どちらかというと軍事的側面における安全保障の体制整備に重点が置かれているようにみえる。それはそれで必要だとしても、より幅広い安全保障の網を編むことにもっと力を入れる必要がある。

ここで、私が総理大臣だったら、「幅広い安全保障政策の展開」を唱えて、アジアを中心に次のような方向に政策を展開したい。それは、上に述べた外交の力を今まで以上に積極的かつ多角的に展開し、ソフト面や経済面での安全保障の網の目を広く構築することに注力する。その目指すべき具体的方向は次のようなものである。

(1)中国の国際経済戦略とアジア経済のダイナミズムとの融合:
壮大な戦略と経済力を駆使して展開する中国に影響力を行使するのは容易ではないが、例えば、我が国も中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)に加盟したり、ADB(アジア開発銀行)とも連携しつつ、「一帯一路政策」にも適切な形でかかわることも検討に値する。

(2)アジア経済圏拡大支援:
2015年12月31日に「アセアン経済共同体」が発足した。この共同体はアセアン地域の経済を統合するものであるが、まだ制度として残された課題もある。さらには、地域経済の一層の統合に向けたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)や FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の交渉も行われている。 我が国が一層のイニシアチブを発揮して地域の経済統合に向けた制度造り支援に注力することが、我が国と地域の安全保障に資することになる。

(3)アジアにおける人的大交流計画の展開:
ちょうど10年前の安倍第一次政権で、安倍首相は「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYSプログラム)」を発表し、実施した。これは5年間にわたり、東アジアやインド、オセアニア諸国の青少年を毎年6000人招聘して日本の青少年と交流する計画である。当時、私もその一部の委託事業に参画したが、その大きな効果を目の当たりにした。
このような規模の大きい人的交流を長期にわたって継続することが極めて重要である。青少年だけでなくジャーナリストや教員も含めれば波及力は大きい。留学などで外国を知り、その国に親近感を持った者の気持ちはずっと続き、相互理解や友好関係の増進に大きな力となる。これも安全保障にとって大きな力だ。


「国際協力費」の創設
幅広い安全保障の網を広げるとの観点から、さらに新しい予算費目「国際協力費(仮称)」創設を提唱したい。これは従来の政府開発援助(ODA)を止揚する概念で、世界に誇る日本の「ソフトパワー」を通じて、対外依存度の高い我が国が世界の平和に貢献し、世界との安定的関係を一層強めるための予算である。「積極的平和主義」の重要な要素とし、当面GDPの0.5%程度の予算を充てるべきである。

私は外交官としての経験から、日本や日本人が世界の殆どの国々から好感と敬意をもたれていることを常に感じ、誇りに思ってきた。尊敬される背景には、ODA、平和外交、文化の力、科学技術力、そして日本人の人間的資質がある。
援助については、特別の政治的意図を持たず相手国のニーズを考えながら対話を通じて行う日本的アプローチが感謝され高く評価されている。また、日本が平和憲法のもとで国連を中心に核廃絶をはじめ軍縮や不拡散などの分野で様々な活動を主導してきたことは世界から広く認知されている。イラクに自衛隊を派遣しても民生支援に徹し、一発の銃弾も発せずに帰国したことが称賛された。
安保理常任理事国がすべて核保有国で占められる中で、平和外交を推進する日本がさらに影響力を行使することが必要である。

文化については、能、歌舞伎、生け花、浮世絵等の伝統芸術の優れた独創性、緻密で洗練度の高い工芸品、世界無形文化遺産になった和食などの食文化、世界中に浸透している柔道、世界の若者を引き付けるポップ音楽や漫画、コスプレ等々。これだけ多岐にわたるジャンルで注目され愛される文化を有している国は世界でも他に類を見ない。

さらに、我が国の持つハイテクや環境技術、先端医療技術等を通じて世界に貢献することができる。日本人の資質についても、6年前の大震災における日本人の冷静で秩序ある行動や忍耐力は世界中から驚きをもって称賛された。どれも米国や中国などの大国も真似のできない日本独特のソフトパワーであり、偉大な資産である。

「国際協力費」はこの資産を活用するための予算で、主な使途は①従来のODAに加え、②平和外交推進(例えば、広島等での平和・軍縮に関する国際会議、啓蒙活動、核廃絶運動支援)、③様々な文化や人物の交流(中国や韓国を中心に有識者、メディア、政治家等の交流の大幅な拡充、留学生増大、教員の異文化体験、スポーツ交流、日本文化紹介事業、日本の発信力強化のための活動等)、④科学技術協力(環境・医療分野など)である。

冷戦終了以降、主要国がODA予算を増やした。民族紛争の頻発や地球温暖化、国際テロなど地球的規模の問題が顕在化したからだ。中国も急速に対外援助を拡大してきた。我が国はこの世界の動きに逆行し、ODA予算は1997年をピークに15年間で半減してしまった。日本の対外影響力は減少し、中国などのそれが高まってきた。国家戦略の大きな誤りである。
GDP の0.5%は防衛費の約半分だ。財政問題を考慮する必要はあるが、高額と考えるべきではない。日本への親近感と信頼感を増進させ、日本の安全を増進する。将来財政赤字が減少すれば、GDP の1%にもするくらいの国家戦略的思考が必要だ。

「国際協力費」構想は、安全保障を確保するための各種政策手段の中で、軍事的側面での対応と非軍事的側面での対応との間のバランスを現在より後者の方に重点をシフトさせるべきとの私の主張に財政的基盤を付与するものである。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第29話:日本の安全保障をどう確保するか (その2) 不確実性

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官
2017年5月3日

第29話:日本の安全保障をどう確保するか  

(その2)不確実性が増大する世界と日本の選択
冷戦終結後の1990年代末以降世界は混とんとしてきたが、最近の10数年間で不確実性は一層高まってきた。世界各地での紛争は収まらないどころか拡大または持続する傾向にあり、テロの拡散、難民の増大などにも繋がり、対応は一層難しくなっている。
さらに悪いことに、最近の4〜5年、日本の安全保障が損なわれる危険性がより現実なものになり、また、将来の経済発展への障害も増大してきた。

安全保障の面では、中国の高飛車な姿勢や北朝鮮の異質で奇怪な行動などで脅威や緊張が増してきた。これに対してトランプ大統領の強気の政策が実施されると、日本近隣での軍事衝突も排除できない情勢になって来た。集団的自衛権行使容認に伴う日本の新たな政策のもとで、日本が軍事的衝突の一部に関与する事態も覚悟しなければならない状況になった。

経済面から見ると、英国のEU離脱やトランプ大統領によるTTP(環太平洋パートナーシップ協定)離脱、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉政策などは、日本にも実質的に多大な不利益をもたらす。
英国やトランプ政権のこれらの政策は誤った政策と考えるが、それらが他国にも大きな影響を与える点で深刻である。とくに、地球温暖化対策として重要な「パリ協定」の合意をトランプ大統領が破棄したことは、世界にとって極めて不幸であり、実に愚かで嘆かわしい政策だ。

しかし、このような状況が現実のものとなり覆すことができないとしたら、日本は今後どのような政策を進めるべきかを考えてみたい。ただ、名案があるわけではない。名案があるなら、すでに多くの国が実施していたであろう。私にできることは、方向性を模索する材料を提示することぐらいであろう。


北朝鮮にどう対応すべきか
深刻で喫緊の問題は北朝鮮だ。北朝鮮が核やミサイル開発推進の姿勢を変えないことに対し、トランプ政権は軍事作戦などの強硬策を含めたあらゆる手段をちらつかせ、実際にも空母「カールビンソン」を朝鮮半島近海に派遣して「本気度」を示している。このような姿勢は、軍事力を重視する北朝鮮にとって脅威を与えるものであり、一定の効果がある。

しかし難しいのは、北朝鮮の軍事力が決して侮れないものであることに起因する。大量の大砲や戦車を38度線近くに配置して直ちに韓国を攻撃できる態勢をしいていることや、近年のミサイル開発によって日本や米国にも届く兵器を保有するに至っていることも留意しなければならない。米軍が圧倒的な軍事力で叩いたとしても、北朝鮮が反撃すれば韓国や日本にも甚大な被害が生じる。
北朝鮮は、世界中が自国を攻撃しようとしている戦争状態の中にあるとの認識なので、アメリカの「本気度」もさることながら、北朝鮮の「本気度」の方がもっと凄いのである。

オバマ政権の「戦略的忍耐」政策はもちろん、それ以前のクリントン政権時代からの北朝鮮との対話や融和的政策も結局成功しなかった。
だから、北に対しては強い姿勢を堅持することは重要だが、強硬姿勢一辺倒では軍事衝突に進みかねない。強い姿勢を堅持して表向き喧嘩をしながら、他の方法も模索するべきだ。すでにいろいろ試みが行われているかもしれない。水面下で、というよりもっと地中の奥深くに穴を掘るぐらいの秘密接触(「モグラ作戦」?)をやって、ギリギリの接点を探る努力が必要だ。

北朝鮮が核やミサイル開発を進めるのは、内心強く恐れているアメリカの軍事力によって自分たちの体制が潰されるのを防ぐための対抗策である。北朝鮮の体制を潰さないことが保証されたと信ずれば、北朝鮮は政策を変える可能性がある。
北朝鮮と日米中韓との間の接点を探る高度の「モグラ作戦」での秘密交渉では、金正恩指導部の生存保証と引換えに核ミサイル政策の放棄を含む体制の転換などが核心となろう。

北朝鮮との関係では、よく中国の役割が大きいと言われる。中国は北朝鮮の生殺与奪の権を握っているからだ。北朝鮮の貿易相手国は、輸出でも輸入でも中国が90%以上を占めている。中国が北朝鮮からの石炭の輸入を完全に止めたり、石油や重油などの戦略物資の提供を完全にやめれば、北朝鮮は体制維持が難しくなる。
しかし、実際には中国はその役割を果たせないでいる。それは、北朝鮮が中国の言うことを聞かなくなっていることと、もうひとつの重要な理由は、北朝鮮の体制が崩壊した場合に生じる大量の難民流入や混乱が中国の政権が最重要視する国内の安定を乱してしまい、中国自身の体制維持に困難が生じるからである。
だから、中国の役割行使に大きな期待はできないが、今まで以上に対北朝鮮石炭輸入や原油等提供の大幅な削減を求めることは重要である。

北朝鮮に対処するに当たっては、米だけでなく韓国との連携も不可欠だ。現状では日本と韓国の関係は良くないのでやりにくいが、むしろ対北朝鮮対策が喫緊の重要課題であることを活用して関係改善を図る努力をすべきである。

今後北朝鮮の情勢がどのように展開するかを予測するのは難しいが、当然さまざまな事態を想定して検討するべきである。北朝鮮の崩壊に伴う混乱は回避すべきであるが、非軍事的な解決が実現する場合に北朝鮮の経済社会の建て直しには国際社会による支援態勢が不可欠である。日本の担うべき役割についても考えておかなければならいない。


日米同盟関係堅持と米国への助言的役割
北朝鮮の軍事的脅威が現実のものになっている状況に、我が国だけの防衛力では対応できないのは明らかである。日本は日米同盟の当事者として行動するしか自国を守れないし、集団的自衛権行使容認もやむを得ないと考えるが、集団的自衛権行使にあたっては日本が攻撃を受けることも覚悟しなければならない。
今後トランプ大統領のもとで米中関係がどのように展開するかは予断を許さない。軍事的衝突が起これば日本は甚大な被害を受ける。そうした事態を極力避け、あるいは被害を最小限にするため、常に我が国の利害を踏まえ日本が持つ情報や分析を米国との間で共有し、必要と思えば軍事力行使をためらわない米国の行動に対する助言も含め、緊密な協議を維持することが不可欠だ。

日米同盟強化は中国との関係からも日本にとって必要である。中国は、資源確保の必要性や大きな戦略構想に基づいて、尖閣諸島や東シナ海・南シナ海での領有権を主張して軍事力を強化している。これらが自国の核心的利益であると一方的に宣言して譲る姿勢が見えない。
中国が軍事戦略としていわゆる「第二列島線」を超えて太平洋で米に対峙しようとしていることを念頭に、日本は常に米との間で政策を綿密に調整していくことが肝要である。

朝鮮半島の事態や中国の行動によって我が国の安全保障上の脅威が増大している現在、我が国は日米同盟に頼らざるを得ない。ただ、この場合でも日本が過度に軍事的に攻撃的側な面に協力するのではなく、適切な役割分担を模索すべきである。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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第29話:日本の安全保障をどう確保するか (その1)「安全保障」は広い視野で考えよう:三つの要素

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官
2017年4月19日

第29話:日本の安全保障をどう確保するか  

(その1)「安全保障」は広い視野で考えよう:三つの要素
どの国においても自国を守ることは国家としての最重要な事柄だが、どのように守るかは極めて難しい問題である。自国周辺の状況、国内の諸条件、国民の意向など、様々な要素の中で考えていかなければならないからだ。単一の答えはないが、はじめに「安全保障」を考える基本姿勢について触れてみたい。

まず、「安全保障」を考える場合には幅広い視野をもちたい。一般的に安全保障というと軍事力のことが頭に浮かぶ。たしかに、強大な軍事力を備えている国に刃向うのは実際に難しい。「備えあれば憂いなし」で、強力な軍事力は抑止力になる。また、強い軍事力を持つ国が弱小な国を侵略したり併合する例もある。だから、それを防ぐための一定の効果のある軍事力を備えることは大事だ。

しかし、軍事力は必要であるが、多額のお金がかかる。しかもある国の軍事力が強大だと、他国はそれに備えて自分たちも軍備強化に走る。現在の日中関係にもその萌芽があると言ってよい。中国の高飛車な姿勢での軍事力強化に対処するため日本は防衛力整備を余儀なくされ、防衛予算も膨らんでいる。
軍拡競争を続けるのは多くの国にとって財政的に持たない。結局、軍事力を持続的に増大していくことは難しいし、軍事力だけで安全保障上の安心が得られるわけではない。

軍事力という物理的な要素を「ハード面」と呼ぶなら、ソフト面からも安全保障を考えなければならない。美術、音楽など文化芸術が高いレベルに達し世界から評価を受けている国があるとしよう。あるいは、社会保障制度が完備し国民が豊かで安定した生活を送っている国があるとしよう。
そしてこうした国が他国を攻撃する姿勢を見せず平和的外交を進める場合に、他国から攻撃される可能性は少ない。そんなことをしたら世界中から非難されるだろう。だから、世界から敬意を受ける文化や制度を持ち平和な外交を推進することは安全保障にも寄与するといえる。

世界には無知や誤解や偏見が満ち満ちている。とくに、民族が違うことがきっかけとなって、誤解や無知や偏見が拡大し、国家間・民族間の憎悪を生み、紛争を惹起させ、あるいはこれを助長することがある。政治指導者は自分の目的に沿ってそうした偏見を増幅させようとすることが多い。

誤解や無知・偏見をなくすには、人と人が直接出逢って相手の人柄などを確かめ合うことが最も重要だ。文化交流などを通じて相手の国の素晴らしいところを知ると親近感や信頼感が生まれてくる。国民と国民の間にこういう関係が生じれば、国民の側から戦争に反対する機運が出てくる。

早い話、今日の日韓関係にもこうしたことがあてはまる。日韓両国民が、お互いの悪いところを見ていがみ合っているが、直接会って付き合えば、お互いの良いところがたくさんあることを知る。実際、交流に参加した人たちは、皆このことを体感している。直接交流をし、信頼・友好関係を築くことができれば、それが安全保障に寄与するのは明らかだ。

補足的に述べれば、貿易や投資などの経済関係を緊密にすることも安全保障に貢献する。以前にも指摘したように、現在中国や韓国で作っている製品の多くに日本からの精密部品が多量に使われている。相互依存関係が強まると、経済の盛衰についても運命を共にするような関係になる。
経済関係は経済の論理で動くものだが、切っても切れない関係が出来れば、徹底的な対立は双方にとって利益にならないから、争いを緩和する効果もある。

ソフト面での対応を強化して一定の成果が出れば、ハード面(軍事・防衛)での対応を緩和する余地を生み、高額な防衛費の縮減にも役に立つ。予算的にはソフト面での対策はハード面での対応より遥かに少ないもので済む。

安全保障を確保するための三つ目の要素として、外交の力が挙げられるべきだろう。世界には力を信奉する国があるのも事実だ。第二次大戦中、ヒトラーとスターリンが密約を結んで、バルト三国を強引にソ連に併合してしまった歴史が思い出される。最近の例では、ロシアが国際社会の非難にも拘らずクリミヤ半島を力で併合したことが記憶に新しい。

こうしたことを避けるには、充分な情報収集をして相手国の攻勢や威圧を阻止する行動が不可欠であり、また、不測の事態に備えての同盟国や友好国との連携を構築しなければならない。それは、どれも外交力に依存する。だから、外交にも相当の力を入れて強化すべきことが理解されるだろう。

外交には謙虚さと毅然さとしたたかさが必要になる。謙虚さは、とくに対途上国や近隣国との関係において重要であり、毅然さとしたたかさは高姿勢で出てくる相手に対するときに必要になる。
高姿勢といえば中国、ロシア、北朝鮮などが思いつくが、アメリカに対しても、経済や貿易関係で理不尽な要求をする場合には毅然さやしたたかさが必要になる。 外交においては「パワーポリティックス」が現実である。悪知恵やしたたかさも備えなければならない。

オバマ前大統領は平和的な解決を志向した。イラク、シリアをはじめとする中東政策やアジア太平洋の安全保障政策において米軍の撤退や融和政策をとったことなどにより、「力の真空」が生じ、そこに「力の信奉国家」が進出してきて、平和や安全を損なう結果になったことが批判されている。
強く出るか、柔らかく対処するか、外交は実に難しいが、正確な読みと果敢な行動が不可欠で、大きな軍事力を持たない我が国は、とくに外交の力が大事になる。

自国の安全保障を確保するために、軍事力=防衛力、友好協力関係の強化、外交の力の3要素をどう組み合わせて構築するかについて考えることが重要になってくる。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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第28話 生き方や考え方を変えてみよう

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第28話 生き方や考え方を変えてみよう  

首相が国民の生き方や考え方を変えるという発想は、そもそも好ましくない。人それぞれに自分の生き方や考え方があるので、政治指導者は、そうした考えや生き方が社会に迷惑を掛けない限り、それを尊重し、支援するべきである。
しかし、社会全体に何らかの問題があり、それが国民の生き方や考え方にも基因する場合があるのであれば、一般論としてはそれを変えるために政治が指導力を発揮することは許容されるべきであろう。

では、日本にそのような問題があるか?長い間世界を渡り歩き、内外から日本を見詰めてきた経験からすると、日本人の生き方、行動様式には次のような点で多くの国と違うところがあり、それが日本が世界の変化に果敢に付いて行けないことの背景にもなっていると思われる。

(1) とても慎重で、急激な変化や変革が得意ではない
(2) 過保護の傾向があり、自立心が失われつつある
(3) 仲間と一緒にいることで安心感を持ち、自分があまり突出しないように気を使う
(4) 自己主張をしないため、日本人は何を考えているかわからないと言われることがある
(5) 視野が内向きである

何事も複雑なので単純には割り切れないが、細かい理屈は抜きにして、総理大臣になったら、国民を次のような方向に誘導したい。


石橋を叩きながら急いで渡ろう
日本人には、「石橋を叩いて渡らず」という傾向がある。石の橋が堅固であるにもかかわらず、大丈夫か叩いてみるが、万一のことを考えて渡らないことにする類だ。原発の再稼働のような問題については充分慎重であっていいが、日常的なことで慎重になりすぎて何もしないことが多いのは問題だ。

例を挙げると、農業保護の問題がある。かつて牛肉やオレンジの輸入問題で日米間に大きな摩擦が起こった際、日本は、少しでも開放すると日本の農家に壊滅的被害が生じると主張して懸命に防戦をした。コメの輸入問題でも長い間歴代の首相は「一粒のコメも輸入させない」と主張して農家の保護に固執した。いずれも選挙対策からだ。その後強い外圧を受けて、ごく一部に小さな穴をあけて輸入を認めたが、日本の農業が引っくり返るようなことは起こらなかった。
この間、農民や農業組合の主張を受け容れて保護主義を続け国全体が思考停止に陥ってきた結果、日本の農業生産性は他国に比して著しく低下していった。サービス業の分野でも丁寧に人手をかけすぎる日本固有のやり方でやっているので、国際比較でみると、日本の生産性は相当低い。

TTP に関してもいまだに国内に抵抗があるが、安倍首相はようやく舵を切って、日本の農業の強みを生かして競争力の強い農産品を育成して輸出しようとしている。人口減少で縮み行く日本市場から大きな世界の市場へ農業を展開する戦略で、正しい道である。世界が動いているのにそれに対応せず、いつまでも自分の殻に閉じこもっていてはジリ貧になるばかりである。

小泉内閣はずいぶん規制改革に注力したが、十数年経った今日でも依然として医療や介護などいくつもの分野で「岩盤規制」と呼ばれる強固な既得権保護が維持されている。安倍首相も「必ずドリルで岩盤に穴をあける」と言っているがその歩みは遅い。
歴代内閣で「規制改革委員会」なるものが設置され議論を続けてきたが、これまで政治力の強い生産者組織が幅を利かして現状維持を勝ち取ってきた。農業にしろ医療にしろ、生産者と消費者などそれぞれの立場で利害は相反する。一定の時間をかけて審議したらあとは多数決で結論を出して、迅速に改革を進めていきたい。


過保護をあらため自立心を涵養する教育を
団塊世代の頃からだろうか、日本では幼児のときから老人に至るまで実に丁寧に保護されるようになり、そのため自立心が希薄になっている。明治はもちろん、戦中、戦後にかけて子供たちはしっかりした行動がとれていたと思うが、最近は心もとない。過保護の弊害なのかもしれない。

子供でも高齢者でも必要な時には保護の手を差し伸べることは当然必要だが、今日では過度に保護を与えている。スポーツをやる場合でも、「危ないから」と言って通常学ぶべき運動を控えさせる傾向が強い。
「柔道は危険」と言っているから、親も子供もそれに近づかなくなる。柔道は投げられたときや負けた時を想定して、「受け身」の練習から始める。受け身をしっかり身につければ、投げられても痛くない。日常生活で転んでも、また場合によっては車にはねられた時でさえ、受け身を知っていると怪我もしないし、怪我の度合いを軽度にすることができる。柔道は他のスポーツと違って、身体を強くし、精神力を養い、礼節も身につけることができる。「危ないから」が先に来て、柔道の素晴らしい利点を見失ってしまうのは過保護の弊害である。
一般に、最近は子供に苦しいことや危ないことをさせないので、子供たちはますます運動能力を低下させていく傾向にある。風邪をひかないようにといつもマスクをしたりマフラーを首に巻いていると、寒さへの抵抗力はますます低下する。寒風にさらす鍛錬も必要で、過保護は禁物だ。

中学・高校においても、受験指導には重点が置かれる。生徒は、この学校は合格が難しいから、こちらに受験しなさいと指導されたり、滑り止めにこの大学を受けなさいと言われる。親も子供も、先生の助言で学校選択を考える傾向が強い。
ここで問題なのは、先生たちが、世間一般の学校の評価を基準にして助言していることだ。先生方に有名校に対する自校の合格率を高めたいという思惑があることもある。それでは、個々の生徒の特性や将来を見据えた指導ができなくなるであろう。教師も親も生徒も、自分で考えて行動するより世間の評判や他人の意見で進路を考えることになりがちだ。
私の高校時代にアメリカに留学しようとしたとき、先生から大学受験が大事だから留学はやめた方がいいという助言を受けたことがある。結果として、高校時代に留学したことが私の人生に計り知れないプラスの意義があったことを付言したい。

ついでに言えば、マスコミも問題だ。例年3月から4月にかけて週刊誌が競って全国の「有名大学」合格者の出身高校別ランキングを発表する。これとて世間一般の大学評価を前提として受験競争を煽ることになっている。
日本の大学の世界でのランキングは低下傾向にある。海外留学を通じて国際人材を育てることより、国内基準で今までと同じ行動をすることは、思考停止と言ってもいい。マスコミも含めて、日本人に自立心が欠けていると言わざるを得ない。

しばしば勤労者の過労死のニュースが伝えられる。日本は他国よりも長時間労働する者が多く、それも自分の意志で積極的に働くより、自ら欲せずに長時間労働を強いられている例が多い。会社や上司の方針に反逆するくらいの自立心がもっとあった方が良い。

日本の幼稚園や小学校では、子供たちは丁寧に守られながら教育を受ける。危険を避けたり他人との融和を重視するあまり過保護にすると、自立心が育たない。先生の言うとおりに行動する子が良いとされがちだ。もっと自分で考えて意見を表明し、それに従って行動することを助長すべきである。先生は問題があるとき是正するが、出来るだけ本人の自由意思で行動する方向に誘導したらよい。

デンマークやフランスでは子供のときから、自分で考えて意見を述べ行動するように育てられている。デンマークにおいては、幼児時代の教育のお蔭か、高齢者になっても自分の意志で行動する傾向が強い(第14話参照)。「三つ子の魂、百までも」である。日本では高齢者も過保護にして高齢者の自立心が乏しい傾向が目につく。

世界を周ると、若者を含め自分の考えを明確に表明し主張する人たちが多いことを知る。アジアでもその傾向は顕著だ。意見を表明しない日本人を不思議に思うようだ。海外から来る人たちと日本人が交流しても日本側がおとなしくてしているので先方が戸惑うことがある。

スポーツのルール造りでも海外勢はこぞって自己主張し、自国に有利なルール造りを競い合う。日本人は黙っていて、日本に不利なルールが決められてもおとなしくそれに従い、損をしている。

こうした状況から脱したい。学校や家庭で幼児時代からの自立心を涵養する教育を進め、健全な自己主張を勧奨するべきだ。


スローガン:視野を内から外へ、行動を固定から変化へ、保護から自立へ
経済成長期だった1970年代から80年代は、日本人はもっと海外に目を向けて積極的に行動していた。「失われた20年」を経て経済停滞期になって、日本人の視野が狭くなり、内向き傾向が高まってきた。

近隣国を見ると、中国人や 韓国人には率直に言って独善的なところはあるがよく海外情勢を見ている。東南アジア諸国でも海外へ目はよく向けられている。韓国や東南アジア諸国、それにヨーロッパのデンマークなどは、国の市場規模が小さいことや隣国と国境を接していることなどもあって、政治的、経済的に国の発展や生き残りを海外市場開拓や対外関係の改善にかけている。だから、海外をよく見ているのだ。近年の日本の内向き傾向は、日本の国力衰退に拍車をかけている。

もっとも「内向き」は日本だけの現象ではない。超大国アメリカの国民一般は概して内向きである。クリントン候補とトランプ候補の大統領選挙戦でも、市場を開き自由な世界貿易を拡大するTPP については、2人とも国内事情から反対を表明したばかりでなく、世界の将来にとって深刻な地球温暖化問題は議論の焦点にさえならなかった。ブッシュ大統領の時代には、国内経済への規制や拘束を嫌って地球温暖化は存在しないと主張する人々が少なくなかった。世界全体を見る目に乏しいのである。
トランプ大統領になると、保護主義的経済政策がとられる可能性が高い。日本が他国と協力して、アメリカに開放政策を呼びかける必要が出てくる。

こうした状況から脱するために、私は政策スローガンとして、「視野を内から外へ」「行動を固定から変化へ」「過保護から自立へ」を掲げて国民的キャンペーンを展開したい。具体的政策は、もちろんこのスローガンに沿ったものを作っていく。 国民がこうした姿勢を身に付けるために世界を見ることが重要である。
その手段として、例えば、高校生の海外留学を大規模に応援する、企業に若手社員の海外勤務や研修を実施することを勧める。知らない外国でひとりで生活することは自立心の向上に絶大な効果を発揮する。親は干渉しないで黙って見守ることが必要だ。

海外に行かなくても国内でやれることもある。海外からの旅行者や留学生の増大傾向、さらにはオリンピック・パラリンピックもあり、日本人家庭が外国人のホストファミリーとなることを勧め、そのための支援策を講じることとする。自分の家庭に外国人を受入れ一定期間生活を共にすることは、視野を拡げ、異文化を理解し学習するうえで極めて有効である。

国内の学校でも外国人の来訪を積極的に受入れて交流することや、日本の学校の修学旅行の行先に海外を選ぶことなども良い。いずれも海外に目を向けて海外への関心を高めることにも繋がる。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第27話 人口減少・高齢化社会への妙薬は?

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第27話 人口減少・高齢化社会への妙薬は?  

いまの日本の社会にとって最大の課題は、人口減少・高齢化にどう有効に対応するかということであろう。世界でも最先端を行く日本の人口減少や高齢化は、日本の国としての活力を相当失わしめつつあるからだ。
安倍内閣は保育・託児所の増設、産休・育休の充実化、子ども手当の拡充などを推進し、さらに働き方改革にも踏み込んでいる。女性が仕事と結婚・育児を両立できるようになれば、生き甲斐も増して人口減少にも歯止めをかけられるばかりでなく、女性の労働市場への参入増加によって人手不足解消や税収増にも寄与する。

安倍政権の対策は方向性としては良いと思うが、私が総理大臣になったらもっと大胆にその方向を進めたい。働き方改革は容易ではなかろうが、現在の安倍政権においてもその兆候が見られるように、総理大臣が繰り返し信念と政策を示せば、社会は少しずつその方向に動いて行くものである。
首相が国民に向かって繰り返し「ラッパを吹く」ことが必要だ。総理大臣として自らテレビや国会、講演などで話すが、有識者も総動員して国民の説得にあたることが重要だ。

具体的政策としては、デンマーク社会などの経験にもヒントを得ながら、例えば、次のようなことを実施したい。


税制改革の推進
世界でも群を抜いて高い日本国の借金比率は、国債や財政・金融政策に対する市場の信任を失わせかねない危機的状況にある。しかし、10%への消費増税は、景気への悪影響を考慮してまた延期された。
私はそれに異を唱えるものではないが、出来るだけ早期に増税を実行する必要がある。10%でも財政赤字解消や追加的な社会保障政策実施には不十分であることは明らかであり、すでに10%超の消費税の必要性も説かれている。

民意が強く反対する増税は実施困難ではあるが、増税と社会福祉・財政赤字改善の中期的な展望を国民に懇切に繰り返し説明することが不可欠だ。国民がそれを理解できるようになれば増税を受入れることができる。

所得の約半分が税金でとられ、消費税(付加価値税)が25%のデンマークでは、社会保障が充実している結果、国民の満足度が極めて高い。
ある自治体で、福祉サービスが低下したときにそれを改善させるために増税せよという声が一部にあったと聞いたことがある。徴税者と納税者の間に信頼感があるからだ。我が国の現状は、政府と国民の間にそうした信頼感が醸成されていない。
その一因に、これまでの政権が議論は延々と続けるが明快な展望を示せずに年月を費やしたことがあると思う。政権が安定している現在のような時期に作業を加速化したい。

消費税増税に伴う税収増の一部を職業訓練の拡充や多様化に充てる。解雇を容易にし、労働者個人の希望や適性に沿った転職・再就職を支援し、労働市場の柔軟性強化に資する。非正規労働者の減少にも役立つことも強調したい。

税制改革として、例えば2世代、3世代が一緒に住める住居建設を大胆に推進してはどうか。小さな子を持つ母親が自身の親に子供を預けて働く例が多い。親が至近距離にいることが重要なので、それを税制面から支援する。

また、都市にある大型マンションなどには、育児所・託児所、保育園、さらには介護施設などの新増設を促進する税制も活用したい。そこには保育士や介護士が必要になるが、後述するように、外国人保育士等の雇用も推進して不足を早急に解決する。2世代、3世代が共同して生活すれば、祖父母による孫の世話、子による親の介護の両面で対応を容易にする。

日本では伝統的な家族観があって非嫡出子への社会的対応は遅れている。日本ではシングルマザーが苦闘しているが、フランスやデンマークなどでは事実婚や離婚後の親の子育ては法律的、社会的に不利にならない。それが出生率向上にも貢献しているのも事実である。それぞれの親の事情もあろうし、生まれた子供に責任があるわけでもない。
離婚や事実婚を促進する結果になることは慎重に回避しながらも、非嫡出子を含めた人道的な子育て支援や多子化を促進する対策を検討すべきである。

まだまだ少子化対策に工夫を凝らす余地はある筈だ。知識人からだけでなく、公募で国民的な知恵を出してもらう。


さらなる生き方、働き方の改革:男子の家事・育児参画
働き方改革は安倍政権の主導によって徐々に民間企業等に浸透し始めている。企業がテレワークなどを通じた在宅勤務を許容したり、育児や介護のための休暇を支援するようにもなりつつある。リクルート社では、男性の育児休暇取得を必須化したと聞く。

女性が結婚し、仕事と子育てを両立させることができる環境をつくるには様々な施策が考えられるが、とりわけ大事なのは男子の家事・育児参画である。子供手当の増額などより遥かに重要である。言うまでもなく、生まれて間もない幼児の世話はとりわけ大変である。母親でなければできないことは多々あるが、母親だけに任せて父親が職場で仕事をしていては母親が十分役割を果たせないだけでなく、離職も余儀なくされかねない。だから、父親は育児だけなく家事への従事も必要になる。
男性も含めた育児休暇などについては法律は出来たものの、日本の男性の取得率や取得期間は、意味をなさないほど低く短い。幼少の子供を複数持つ場合、男子も含め年単位で育児休暇を取ることが必要だ。

これを可能にするには、長期育児休暇制度などを推進する企業等に対する財政支援も必要になろうが、企業・職場の自助努力として、幹部が仕事の仕方をゼロから見直したうえで抜本的な合理化、生産性改善策をとることが有益だ。
いくつかの国における勤務形態は日本よりはるかに合理的で生産性が高い。日本では仕事の様々な局面に過剰な数の人間がかかわりすぎる傾向がある。経団連のような組織が、各国の仕事の仕方に関する調査団を派遣して研究してみてはどうか。

「シニア版ベビーシッター」ともいうべき構想はどうだろうか。働く親の支援のため、市町村や地区の行政が地域に在住する退職者やボランティアを動員・組織化して、幼稚園児や小学校児童を放課後から親の帰宅する時間まで世話をする仕組みを全国的に展開してみたい。
経験豊富なシニア層が、近所の子供たちの勉強を見てやったり、一緒に遊んだり、経験を話すことができれば、シニア層のやりがい、子供たちの学び、働く親たちへの支援、地域社会の絆強化などにとって役に立つことになるはずだ。行政や学校等が積極的に公民館、公園、学校などの場所や道具・機材を提供して応援する。


外国人労働者の大幅導入
我が国では、他国に比べ、外国人に対する暗黙の忌避感や閉鎖性が強いように見える。もう20年ぐらい前だろうか、高齢化社会にともなう介護士や看護師の人手不足に対応するため外国人介護士等の導入が議論されていたころ、こうした問題の複数の担当官庁の幹部と話したことある。私がいくら効用を説いても、彼らは様々な理由を挙げて消極論を展開した。その背景は、勝手に頭の中で想像して「外国人は言葉も文化も違うから分かり合えない」「外国人多数の存在は社会の安定を損ないかねない」などと考えているようだった。
結局条約を結び、フィリピンやインドネシア等から介護人材等を導入することにはなったが、導入数を制限したり、厳しい資格認定試験を設定したりで制限的に運用されている。だから、ますます深刻になる介護人材不足という大きな社会問題解決に目立った進展はないままだ。

私はフィリピンに勤務した際、家で住込みのお手伝いさんたちに随分と世話になった。皆明るく優しくて、お手伝いという仕事に職業意識を持っていた。だから、昼間も夜の外出時も幼い娘二人を安心して任せておけた。娘たちもよくなついた。フィリピンからフランスに転勤した時は、そのうちの一人に一緒に来てもらったが、家事から子供の世話まで一人3役ぐらいの仕事をしっかりしてくれたので非常に助かった。
しっかりした資格を持つフィリピン人看護師も世界で多数働いている。東南アジアの人たちには明るく優しい人が多いので、資格と意志をもっていればたとえ日本語が完璧でなくても、立派に日本で介護や看護の仕事をこなせるのは明らかだ。良いところをあまり見ないで過剰防衛意識や過度の慎重さで考えると、外国人に警戒的になってしまうのではないか。

最近は、都市や地方でよく外国人を見るようになったから、誰でも彼らに気軽に声をかけて見るとよい。言葉が通じない場合があっても臆せず笑顔を向ければ、必ず笑顔が返ってくる。片言でも声をかけて何度か付き合えば、人間としての良さもわかってくるものだ。
私は世界の7つの国に住み、出張などで5つの大陸に旅してみたが、人間はどこでも同じ感情を持っている、多くの人が優しい心や日本に対する強い関心や親近感を持っている、自分が心を開けば必ず相手と親しくなれるなどと感じた。いまでも海外を回りながら、それは間違っていないと思う。

高齢化社会に対応できていない状況は危機的で待ったなしだ。
私が首相になったら、もっと大々的に外国人労働者の導入政策を進めていく。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第26話 安倍政権について思うこと

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第26話 安倍政権について思うこと  

前章では、グローバル化の急速な進展、近隣国の実情、混迷する世界などについて語った。ひとことで言えば、世界が急速に変化している中で日本がずいぶん遅れをとってしまっていることと、最近の世界情勢はますます混迷を深め、どの国にとっても対処が非常に難しくなっているということを言いたかったのである。

世界的に、政治の指導力の重要性は以前にも増して益々大きくなっている。ただ、政治の指導力が重要だと言っても、指導力さえあれば良いというものではない。力があっても、国内外の期待に反してとんでもない政策を実行している例もあるからだ。


日本の政権、世界の政権
「政治の指導力」とは、明確な方針のもとで一貫した政策が実施されることと考えれば、間もなく4年になる第2次安倍政権では政治の指導力はかなり発揮されつつあるように見える。他方、ここ数年間、強権を揮う中国やロシアなどの指導者を除き、政治の指導力発揮は欧米主要国では低下している。これが世界の混迷に拍車をかけている。

日本ではこの四半世紀の間、政治の指導力が著しく欠けていたと言わざるを得ない。実際、私は日本社会の変化のなさを嘆き続け、その背景にある政治の不作為に怒りを感じてきた。全体観、使命感や行動力を欠く政治家たちに大いに失望をした。
特にバブル崩壊後の政治は、政党が重要な政策課題を棚上げにしたまま選挙目当てに互いに足の引っ張り合いを演じてひどいものだった。小泉内閣でやっと政治の指導力が見えてきたが、その後の頻繁な政権交代で、状況は以前にも増して悪くなった。

2012年の第2次安倍政権が成立してからは、ようやく明確に政治の指導力が発揮されるようになり、遅れた日本の社会に様々な改革の試みが始まったことに一抹の安堵を覚えている。
最近の世界を見回すと、アメリカでも政権末期のオバマ大統領への失望感が強いだけでなく、次期大統領候補者であるクリントン氏、トランプ氏のいずれについても米国内外から大きな不安感が表明されている。フィリピンの新しい大統領ドゥテルテ氏についてもその言動がふらついていて、内外からの懸念も強い。国内では強い支持を受けている中国やロシアや北朝鮮の指導者も、その強権的独裁制や軍事力重視傾向が国際社会の大きな懸念材料になっている。欧州主要国であるドイツ、フランス、イギリスの指導者も最近の国内基盤は決して強くない。

そうしてみると、安倍首相は国内的に安定し、一部の近隣国を除いて海外から懸念視されているわけではなく、結構いい線を行っているとも言える。


安倍政権の良いところ、そうでないところ

ここで、私自身の安倍首相に対する感想を披露してみたい。安倍総理は第2次政権成立のあと、目を見張るような力を発揮して「安倍1強」とも言われる政治状況を創り出した。

率直に言って、以前の安倍氏からは想像できないほどの力量を示してきた。「女性が輝く社会」とか「一億総活躍社会」など、少し言葉が先走りして政策が追い付かないように見えるものの、全体観を持ち、政策目標を繰り返し明確に宣明して迅速に行動することが奏功していると言えよう。前政権で失敗したことから学んでいる節も見られる。

私は、政治指導者は信念に基づいた(正しい)政策を繰り返し表明して国民を説得し、「抵抗勢力」とは論争または妥協をしつつ、粘り強く政策目標を達成するべきだと思う。
ちょっと脱線するが、小池東京都知事も明確な政治意志と優れた政策構想力を持ち、目的達成に至るための周到で幅広い根回しをする点が凄いと思う。環境大臣時代に「クールビズ」を定着させた手腕は、その好例である。小池さんは、さらに、政治的「勘」と行動力があり、いざという時は退路を断って「崖から飛び降りる」ことまでするが、並みの政治家にはできないことで、以前からその胆力に高い敬意を表している。

ともかく、第2次政権での安倍さんは、それまでの何代かの首相に見られなかった政治指導力を発揮している。ただ、「指導力を発揮している」と言っても、当然その内容には好感できるものとそうでないものの双方がある。
私が好感している点は、三つほどある。

第一に、これまで歴代の首相が棚上げしてきた国内経済社会の難しい改革課題に取り組み始めたことである。日本人の生き方を変えることにまで踏み込んだ働き方改革、成長策の一環として官民連携でのインフラ輸出や農業の輸出産業化などの農業改革に取り組もうとしていること、延期を余儀なくされているとはいえ消費増税を決定したことなどは、最近の歴代内閣にはなかったことだ。

第二に、日本にとって極めて重要な外交政策に首相自ら大変な意欲と精力を注いでいることで、その積極性によって国際的存在感や影響力を増している。最近中国がきわめて日本に神経質になっていることは、中国の高圧的な海洋進出に対する国際連携による「安倍効果」だと思う。

もうひとつは、政策遂行の迅速性だ。それ以前の政権に比べて行動や政策決定がかなり速い。「安倍1強」の効果ではあるが、そのような状況を創ることも政治の力である。もちろん、これらのそれぞれにうまくいっているところと壁に当たっているところがある。うまくいかないところがあるのは、そもそも政策課題が複雑で達成困難なことや海外との関係のように制御しがたい要因も少なくないので仕方がない。それでも、日本は全体としてこれまでの遅れを取り戻す方向で動き始めつつある。十分ではないが、日本が変わり始めていることは、とてもいいことだ。

安倍政権の政策の中で、私としては好ましくないと思う点もいくつかある。
それらの点は、第27話以下で触れてみたい。

27話以下では、「もし私が首相になったら(・・・なりっこないのでまさに「仮想現実」ではあるが・・・)日本をこういう方向に導きたい」という思いを語ってみる。政策方針を掲げるが、その達成手段を詳細に論じるには紙面の余裕もないので、主として政策の方向を示すにとどめたい。
それを、このメルマガの第1章から書いてきた内容を下敷きにした私のメッセージとしたい。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第25話 混迷を深める世界 (その2)内向きではいられない

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第25話 混迷を深める世界  

(その2)内向きではいられない
以上お話しした通り、いま世界に起こっている様々な変化は、今までにない複雑な現象で、しかもその影響力には計り知れないほどの強さがある。
当然のことであるが、その影響力は日本にもすでに及んでいる。それに備えるにはどういう姿勢が必要だろうか。先ほど触れたイギリスのEU 離脱の問題を例にして考えてみる。

多くの国際機関や知識人が指摘するように、イギリスの国民が選んだ「EU離脱」によってイギリスの経済や国際的地位が今後相当低下することになろう。

EU のメンバーだから、英国で造った製品はEU 域内に無税で輸出できる。英国企業だけでなく、日本の日産をはじめ世界の多くの企業も生産拠点を英国に置いている。今後は基本的に関税なしの輸出の利点は享受できなくなり、進出企業も戦略の見直しを迫られている。
ロンドンに発達した高度の金融市場もEUメンバーだからという要素もある。EU 離脱に備えて、これからは企業のイギリスからの撤退や資本の流出も起きることが予想される。離脱に伴うマイナスを補う措置も取られるではあろうが、今回の国民の選択は、英国の衰退の始まりを告げるものになる公算も小さくない。
そして、離脱の負の影響は日本を含む多くの国の企業や経済にも及ぶ。言ってみれば、英国民は取り返しのつかない選択をしてしまったように見える。

(出所:bing.com/images

この国民投票では賛否が拮抗して、イギリス国民、保守党内部、イギリス社会のさまざまな階層(例えば、エリート層と民衆、高齢者と若者など)を分断した。
例えば、高齢者の大多数が「離脱」を望み、若者は概して残留を選択した。接戦の末、「離脱派」の数が僅かに「残留派」を上回ったが、離脱派が勝利した後に、離脱を主張したリーダーの中には離脱の理由として挙げた根拠は間違っていたことを認めて撤回する人も出た。
若者たちを中心に国民投票のやり直しを求める多数の署名も集められて、混乱が見られる。

離脱を望む人たちの主要な理由には、EUから課せられる様々な制限を脱しイギリスの主権を取り戻したいとか、移民を制限したいという思いがあった。
このいずれの理由もそれなりに理解はできるが、短期的な視点に基づく内向きな考え方である。この議論の欠点は、イギリス自身もグローバル化と相互依存関係の不可分の一員であることを忘れているか、それを軽視した点にある。

クローバル化と相互依存関係が進む国際社会で各国各地域との連携は不可欠である。アメリカのような超大国でさえ、世界と緊密な連携なしでは立ちいかない状況に身を置いている。「主権」や「難民」を理由にEUとの連携から脱するという判断は、地域と連携することによって得られる巨大な経済的・政治的利益を犠牲にする内向きで短期的視点から来るものである。

レベルが違う話なので適切ではないかもしれないが、私は今回のイギリス国民の選択を見て我が国の第二次世界大戦の経験を思い出した。
当時日本人は軍国主義的指導者の主張に従い、神国日本を信じ「鬼畜英米」を唱えて戦った。世界の客観情勢に思いを致す余裕もなく、国全体の視野が狭く内向きになったときの大きな危険を教訓としなければならないといつも思っている。

だから混迷が深まる世界の中でどうすればいいのか。
私は、「眼を外に向けよ」「内向きではいられない」「世界との連携が重要だ」と主張したいのである。TPPを巡る論議にもそういう姿勢が重要だと思う。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第25話 混迷を深める世界 (その1)世界にはどのような変化が起きているか

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第25話 混迷を深める世界  

(その1)世界にはどのような変化が起きているか
世界は常に変化する。73年も生きていると、10年、20年の単位で日本も世界も随分大きな変化を遂げているものだと実感する。

世界の変化については、第23話で述べた加速するグローバリゼーションや深化・拡大する世界の相互依存関係がある。これらの現象はどちらかというと世界を結びつける要素であるが、他方で近年世界を混迷させるような新しい要素が目立って増えてきた。どんな現象があるか。

例えば、問題が顕在化して久しい地球温暖化、感染症など地球的規模の問題がある。温暖化は世界各地で予想しない時期に予想しないような大雨や洪水をもたらす。間もなくオリンピックを迎えるブラジルを中心に広まっているジカ熱も不気味だ。

自然現象だけではない。人間に起因するテロやサイバー攻撃、大量の難民発生などの問題も深刻化してきた。テロはどこで起こるか予想できないところで突如発生して多数の犠牲者を出し、観光、交通、行政に多大な影響を与え社会生活をかく乱する。
日本人7人が犠牲になった7月1日にバングラデシュのダッカで起きた人質テロ事件では、信じられないような残虐非道なものであり、テロの脅威が我々日本人にも無縁でないことを改めて示した。

世界や社会がますます広くインターネットで繋がれ、工場や発電所や機械・車などあらゆるものがインターネットで繋がる「IoT」が現実になった。
しかし、そこにサイバー攻撃を掛けられると社会が大変な混乱に出遭う危険が身近にある。生活がとても便利になった一方で、新しい脅威が隣に同居しているかのような生活には不安が付きまとう。

個別の国に目を向けると、中国、インド、ブラジルをはじめとする新興国の勃興とその副作用ともいうべき現象があげられる。
これら新興国の勃興は経済が成長し発展している段階では世界全体に好ましい影響を与えるが、最近のように世界の成長を先頭に立って引っ張っていた中国の景気が減速すると世界全体に大きな負の影響が出る。

さらに第24話でも見たように、目覚ましい経済発展で力を得た中国のような国が軍事力を強化し南シナ海や東シナ海を自国の領域と宣言して近隣国に不安を与える政策をとるようになると、これも世界の波乱要因にもなる。
中国だけではない。ロシアもクリミア半島を併合するなど、国際法に反した行動をとり国際社会の懸念や反対を全く意に介しない。軍事力によって自国の意志を通そうとする中国やロシアの行動を「新帝国主義の時代」と懸念する声もあるが、深刻で大きな問題だ。

(出所:bing.com/images

先進国でもまさかの重大な事件が起きた。6月23日に行われたイギリスのEU 離脱の国民投票の結果は、今後10年余り世界に計り知れなく多大な混迷をもたらすに違いないが、現時点ではそれがどのように展開していくかが実に不透明なのである。

世界全体をマクロ的に見ると、「国家の変貌」ともいうべき現象が見られ、それがこれまでの国際秩序を大きく変えつつある。
先ほど挙げた中国やロシアが、国際法や国際社会の批判をものともしないで軍事力や政治力で自国の目的を実現していく「新帝国主義」的行動をとるようになった。
これまで世界の秩序維持に主要な役割を果たしてきた唯一の超大国アメリカが「もはや世界の警察官ではない」と自ら宣言して中東などから兵力を削減しようとすると、そこに生じる「力の空白」にすかさず他の国やISのような過激なテロ組織の勢力が入り込んでくる。シリアの状況はまさにその典型的事例だ。

まずいことに、こうした動きとほぼ並行して世界の多くの国の政権の統治能力が著しく弱体化している。多くの主要国で政権の支持率が低下し、生き延びようとする指導者や政党が世論迎合型の政治を展開し、本来推進すべき政策から離れていく現象も見られる。
「ポピュリズム」という傾向で、いったんポピュリズムに落ち込むとそれを反転させるのは一層難しくなる。ポピュリズムがはびこる背景には、多くの国で国民間の経済的格差が生じていることがある。それまで中間層と呼ばれる人々の中のかなりの割合の人の生活が苦しくなり、不満層が増えていくわけである。

アメリカの「トランプ現象」にもそうした背景がある。数年前は毎年のように首相が交代していた日本は、安倍首相になってようやく政権基盤が安定してきた。ポピュリズムに陥ることなく、本来あるべき政策について国民各層を説得しながら進めてもらいたいものだ。

国家に注目した変化とは別に、世界共通の、あるいは国を超えて進行している現象もある。その例として、脱化石燃料化の動きと「プラットホーム化」と言われる流れに触れてみたい。

読者の皆さまご存じのとおり、昨年12月、パリに国連気候変動枠組条約加盟国が参集しCOP21と呼ばれる会議を開いた結果、この条約に加盟する196ヵ国を拘束する地球温暖化に関する重要な条約(パリ協定)が採択された。
この条約は産業革命前からの世界の平均気温上昇を2度未満に抑え、さらに1.5度未満を目指すという画期的なものである。

これに基づいて各国が排出量の削減目標を提出する義務を負う。このため、これから世界的に脱化石燃料化が進むことになる。日本は原発を巡ってまだ世論がまとまらないが、脱原発を決めたドイツは、再生エネルギー重視政策を進め2050年には電力の80%が再生エネに転換することを目標にしている。
再生エネのコストは世界的普及により低下し、原子力より安い価格で取引が始まるだろう。そうなれば脱原発の加速も進む公算が高い。日本も世界の流れをよく見て対応していかなければならない。

もう一つの流れは、総合研究開発機構(NIRA)が2015年10月に発表した「プラットフォーム化の21世紀と新文明への兆し」と題する研究報告が指摘するものである。この報告は、今後起こりうる様々な現象とそれへの対応の必要性を指摘している。

プラットフォームとは何かという点について私の理解を申し上げると、大きな課題に対応するための社会的仕組みのようなものらしい。この報告書は、これから起こる変化の現象と留意すべき点について、「超国家化」(環境破壊、サイバーテロ、経済のグローバル化などに対応するための超国家的な統治機構が必要になる)、「超産業化」(ビジネスの電子化・機械化が加速、人工知能などで人間を「無業」にする)、「情報化」(「超国家化」、「超産業化」で、国民としてのアイデンティティと勤労の価値を消滅させる危険もある。

「情報化」により、ネットワーク化された仲間たちや「人間化した機械」と共同、共生する。そのために適応する必要がある)などと指摘している。 ちょっと抽象的で難しいが、そういう変化が起こるだろうことはなんとなく理解できる。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 【第43回 絆サロン「世界をつなぐ、日本の文化」】

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第43回 絆サロン「世界をつなぐ、日本の文化」


皆さま、 関東は梅雨入りしたようですが、いかがお過ごしでですか。
これまで随時「絆サロン」のご案内をさせていただきましたが、
今回はちょっと新しい形式でサロンを開くことになりました。

文化をテーマとし、先ず私がこれまでの海外体験をもとに、 日本文化がいかに世界中の人々を惹きつけているかを具体的にお伝えし、 その背景や日本文化の役割を考えます。

この講演に続き、日本琵琶楽協会理事長の須田誠舟先生による 薩摩琵琶「川中島」の演奏があります。 薩摩琵琶の勇壮な語り弾きをどうぞお楽しみください。

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日時: 6月23日 18:30〜21:00
場所: 日本外国特派員協会(FCCJ)
     東京都千代田区有楽町1-7-1
     有楽町電気ビル北館20階 http://www.fccj.or.jp/about/access.html

演題:  「世界をつなぐ、日本の文化」
講師:  小川郷太郎
参加費: 7,000 円(懇親会での飲食費を含む)

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つまり、「絆郷」と一般社団法人「鴻臚舎(こうろしゃ)」と合同で行うサロンです。 鴻臚舎は須田先生のような一流の文化人の方々を役員にお迎えしています。

懇親会には鴻臚舎関係者も参加しますので、 新しい絆を作る機会になれば嬉しく思います。 場所は有楽町駅前で、交通至便です。

お申込等、詳しくは下記ホームページをご参照ください。 http://kizunago.com/salon_43.html

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「鴻臚舎」とは、能などを通じた国際的な文化交流を支援するために 昨年11月に設立された組織で、私が代表理事を仰せつかりました。
その名称は、平安時代以前から存在した「鴻臚館」に由来します。 「鴻臚館」は海外との交流を支える迎賓館的施設だったそうで、 今日でも大宰府、大阪、京都に遺跡が残っています。

その往時の役割を偲び、ささやかでも諸外国との文化交流の一助にとの思いで設立されました。

鴻臚舎の当面の仕事は、金春流能楽師の櫻間右陣先生が率いる櫻間會の 能を通じた国際交流を支援することにあります。

本年は日本とイタリアの外交関係150周年に当たります。
9月には記念行事の一環としてイタリア各地で創作能の公演を行い、 アイスランドでも60周年行事に参加します。

来年は同様に、デンマークとの150周年、 アイルランドとの60周年行事で公演します。 「鴻臚舎」はそうした活動を支えますが、 カンボジアの伝統舞踊団の日本招聘計画もあります。

御関心を持っていただけれ有難く存じます。


筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第24話 近隣国の実情と日本(その5 アジア、オセアニアの状況)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第24話 近隣国の実情と日本  

(その5:アジア、オセアニアの状況)
個別に近隣国の状況を描いてみたが、その他の国も含めて地域的に大きく捉えて考えることも必要である。その観点から、アジア全体とオセアニア地域に触れてみたい。
アジアも分け方によって、北東アジア(日本、中国、朝鮮半島、モンゴル)、東南アジア(アセアン諸国)、南アジア(インド、スリランカ、ネパール、ブータンなど)があるが、さらにオーストラリア、ニュージーランドをはじめとするオセアニアなども併せて見ると、全体としては、この地域はおおむね安定的で、世界の中でも経済成長の度合いが大きい。かつては英連邦に属したオーストラリア、ニュージーランド両国もアジア地域と一体となって進む方向が定着し、両国にアジア系の移民も相当増えている。

経済的見地から言うと、それぞれ人口13億、12億の中国とインドが依然として相当の成長率で発展しつつあり、昨年末には人口6億のアセアン10か国が「アセアン経済共同体」を発足させ域内市場統合に向けて前進したことや、日本を含めた数か国が環太平洋を包含するTPP加盟に向かって走っている。
アセアンの中では、インドネシアやタイ、フィリピン、ベトナムなどもほぼ順調に発展しているし、後発国のカンボジア、ラオス、ミャンマーも成長路線を続けている。南アジアの大国インドとの関係の一層の強化も重要だ。安倍政権が官民協調でこの地域を中心にインフラ構築を含めた関係強化を図っていることは正しい道である。

日本にとって極めて重要なこの地域が安定的に発展していることは喜ばしく、世界経済が不安定な中でこの地域との経済関係を大切にし、さらに強化したいものだ。ただ、日中韓3ヵ国とアセアンを包含した「東アジア共同体」構想は、日中韓関係の停滞で近頃話題にならなくなったが、重要な課題としてさらに追及すべきである。



フィリピン・オルモック風景
【 フィリピン・オルモック風景 】


アジア地域の主な流動的要素としては、日本を含む地域諸国と中国との関係、そして朝鮮半島情勢がある。先に述べたように中国との関係は最も難しいが、むしろ日本が主導権をとって東アジアの連携強化を進めることが望ましい。この枠組みで主導権をとろうとする中国とどう折り合いをつけるかは非常に難しいが、日本は信頼感を得ているアセアン諸国とさらに緊密な協力関係を築いてリーダーシップをとる方向で努力すべきである。中国との協調を目指しながら、一方でアセアン諸国と一層緊密化を図ることがカギになる。

北朝鮮とは、通常の論理では対応できない場合が多い。他国を破壊しうる軍事力を持つこの国への対応は、やはり日米韓を第一の要素として考えていくべきだ。中国の協力も得られれば良いが、最近の中国の北朝鮮への影響力は弱まっているし、我が国や韓国との利害が一致しない場合が多いのであまり多くを期待できないであろう。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第24話 近隣国の実情と日本 (その4 北朝鮮)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第24話 近隣国の実情と日本  

(その4:北朝鮮)
北朝鮮は、とてつもなく“凄い”国だ。
私は、1980年代末の旧ソ連邦末期の時代にモスクワに勤務して、ソ連共産主義体制の信じがたい人間不信の性格と驚愕するほど非効率で非合理な経済社会の仕組みを体験した。北朝鮮はその旧ソ連の制度を一層強固にしたのであるから、国民の生活を(そして外国人をも一層)厳しく監視し統制して、支配体制を揺るぎないものにしている。

国の政策の最も重要なものは「先軍政治」に基づく軍事力増強なので、国民の生活は二の次である。本来貧しい国が核兵器開発やミサイル開発に力を入れているから、民生向上に回す予算は極め乏しい。
国民が経済的不満を高めないように海外からの情報を徹底して遮断し、さらに国民間で相互に見張らせているようだ。そんな体制は長く続かず遠からず体制は崩壊するだろうと、もう40年ぐらい前から西側諸国が分析していたが、体制は崩壊どころか一層強固に固められ、いまやアメリカまで脅かすくらいの兵器開発に努めている。

遺憾なことに、その兵器が国の体制を維持する大きな力となっている。これも何十年か前のことだが、アメリカが密かに先制攻撃をして北朝鮮の核・ミサイル開発を阻止しようと検討していることが伝えられたことがある。
真偽のほどはともかく、それが起こらなかった理由の一つとして考えられるのは、米等の攻撃があれば直ちに韓国との国境線付近に配置された膨大な数の北朝鮮の大砲や短距離ミサイルなどが反撃の火を噴き、ソウルの街や韓国側にある軍事基地などが「火の海」となる危険性があるから、米、韓どちらも手を出せないのだと言われていた。

もちろん、軍事力は旧式で米韓との間で雲泥の差があっても、相手に甚大な被害を与えうる「実力」を持っていたのである。この軍事力は今日一層強化され、また、それを背景に理不尽ながらとんでもない外交術を用いて体制維持に成功してきた。

最近は核実験やミサイル開発のため、これまで北朝鮮を支えてきた中国から冷たくされてますます孤立を深めているが、それでも敢然として国を維持している。国際社会が一致して北を非難しても動じない。それどころか、テレビで北朝鮮から流される映像には国民(の一部)が熱狂的に金正恩第一書記を支持・礼賛している姿が映る。
我々の常識からは信じられない光景で、どうせ「ヤラセ」だろうと思ってしまう。ただ、頭の片隅にちょっと置いておいたほうが良いと思う事がある。彼我の間の絶大な認識ギャップの事実である。我々から見ると、北朝鮮の言動はあまりにも理不尽で自己本位で非常識であると写る。でも、北朝鮮から見ると、(自らの行動の結果ではあるが)アメリカをはじめ世界中の国が自分たちの祖国に敵対し戦争を仕掛けていると真面目に感じているようだ。だから祖国存亡の危機には捨て身であらゆる手段で国を守らなければならない、それが北朝鮮の常識である可能性がある。

指導者には世界情勢を客観的に捉えている部分もあろうが、指導者自身にも世界中が敵だと思う心理があり、それを喧伝するので、国民が「先軍政治」を支持し、核実験やロケット発射成功のニュースに狂喜する。同じものとは考えないが、日本も戦時中は「鬼畜米英」と叫んで、国家の指導者と国民が気持ちを一致させて「敵」に立ち向かい、若者が国のために特攻隊に志願した歴史もある。思うに、戦争は魔の世界で、人々の心理が狂乱錯誤する。

こんな心理状態もあるからだろうか、北朝鮮はこれまで嘘も方便に使いながら世界を相手に身を処してきた。核開発問題であれ拉致問題であれ、合意してはこれを破る。拉致のような極めて非人道的な犯罪行為を駆け引きに使うのは許しがたい。その責任を理不尽に相手に帰す。

そのため、我が国をはじめとする「飴と鞭」政策も韓国による「太陽政策」や「北風政策」も成功しなかった。核開発を始めてみせて、日米等が反対すると、それを中断することに同意して他国からの援助を獲得する。まるで、親が手に負えないバカ息子に悪いことをやめさせて駄賃をやるような愚を繰り返しているかのようだ。バカ息子はそれで増長してしまい、結局いい子にはなれない。

北朝鮮に対してどう「世界の常識」に適合するように差し向けていけるかは、本当に難しい。国際的な交渉によって、戦争を回避しつつ現体制のソフトランディングを保証して、新体制の樹立・移行に持っていければいいのだが。それができなければ北朝鮮自身の崩壊を待ち、あるいはそれを促進する政策を考える。それも時間がかかるかもしれない。
唯一、自信を持って言えるのは、戦争で解決する方法は避けるべきことだ。日本をはじめ、多くの国にあまりにも多大な犠牲や被害を与えることになるからだ。



筆者近影

【小川 郷太郎】
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外交官 第24話 近隣国の実情と日本 (その3 韓国)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第24話 近隣国の実情と日本  

(その3:韓国)
昨年末、ここ2〜3年続いていた日韓の難しい対立関係に漸く変化の兆しが出てきた。両国関係の喉に刺さったトゲともいうべき従軍慰安婦問題について、両国外相間で「最終的かつ不可逆的解決に合意」したからだ。

日韓間では、これまで幾度となく首脳間で未来志向の関係を築くことが合意されたものの、常に過去の問題が蒸し返され、「未来志向」は持続的には実現できていない。だから、今回の「最終的かつ不可逆的解決」が守られるかどうかにも大いに不安はある。

それでも、不正常な状態が続いていたなかで両国政府の意志として解決への合意が成立したことは短期的には重要な前進である。 日韓関係については以前にも書いた(第12話)ので繰り返さないが、ここでは日韓関係を持続的に良好に維持するために日本としてどうしたらよいかについて所見を述べたい。

第一に考えなければならないのは、日韓関係がうまくいかないことによって損をしている度合いは韓国より遥かに日本の方が大きいことだ。これまで繰り返し述べているように、国際社会の中での日本の評判は全体として非常に良いし、大多数の国の信頼を得ている。

しかし、韓国が世界的に展開してきた歴史問題についての日本非難や従軍慰安婦像設置などによって、アメリカをはじめとする多くの国の日本に対する評価が傷ついたことは否定しがたい現実だ。歴代首相の靖国神社参拝についても、世界の大多数の国が批判している。日本の言い分に理がないわけではないとしても、韓国などとの対立により、明確に日本に不利な状況が生じてきた。

だから、こうした問題を今後も引きずらないよう、日本としては何らかの方法で韓国と妥協や調整を図らなければならないのである。なお、誤解なきように申し上げるが、何でも韓国の言い分を呑めということではない。言うべきことを言うのはいいが、それは国際社会の衆人監視のもとでやるのではなく、2国間だけで冷静に議論することが需要だ。それが外交である。韓国も日本との対立が長引いたため、韓国にとっても必要な日本との協調が実施出来ず困ってきたことも事実だ。修復を図る時期に来ている。

韓国雪嶽山(ソラクサン)風景
【 韓国雪嶽山(ソラクサン)風景 】


次に考慮すべきことは、日韓関係の「過去の問題」においては、日本は加害者側であり、韓国は被害者側にあることだ。一般論として、加害者側は自己の行為を忘れがちで、被害者はいつまでも苦しい思いを忘れない。日本人は、「もう何度も謝ったではないか、しつこいぞ」と思う。それも事実であるが、他方で、日本国内の政治家や知識人がときどき歴代の首相や天皇陛下のお詫びの気持ちに反することを言うので、被害者側の気持ちは収まらなくなる。さらに、日本人全体として過去の歴史的事実への知識や認識が不十分であることも否定できない。

だから、加害者側である日本としては、執拗な韓国からの批判にも耐え忍びながら、「大人になって」妥協に務めるべきである。そうでないと、日韓関係はいつまでも改善しない。
日韓関係が悪化していた最近の3年ぐらいの間に日本人の方に嫌韓感情が強まって韓国への渡航者数が相当減少したが、反日感情を繰り返し表明する韓国人の日本への渡航者数は大幅に増えている。韓国の日本への関心は本来強いのである。今日強まっている日本側の嫌韓感情を改善するためにも、韓国側の対日感情をより親日的にするにも、やはり両国間の人の交流を増強すべきだ。

日本人は嫌韓感情をしばし棚上げして韓国に行き、韓国の面白いところを探求して、韓国の文物や韓国人に一層触れてみることが良い。韓国人と触れてみると、巷間騒がれている激しい「反日感情」は実際にはそれほど強くないことや、逆に韓国や韓国人の魅力を発見することになる。イメージと現実はしばしば異なるのである。まず行って見ることだ。知らないことを見たり聞いたり、向こうの人たちと話してみるといろんなことが分かり、発見もある。とても面白いし、経費的には日本国内旅行より安上がりの場合が多い。日本人も肩の力を抜いて自然体でもっと韓国に遊びに行けばいい。

日韓関係を改善することは、国全体の立場からも極めて重要だ。日中関係と同様に、日韓にも切っても切れない密接な経済の相互依存関係がある。だから、関係改善を図ることは両国にとって好ましい効果をもたらす。経済だけでなく、政治や安全保障との関係でもきわめて重要だ。

北朝鮮の核開発への対応や軍事力を強化しアジアへの影響力を高める中国への対応などにおいて、韓国と協力することは我が国の安全保障にとって死活的に重要な要素である。日韓対立でこのように大事な対応ができなくなることはぜひ回避しなければならないのである。

日韓の良好な関係はアメリカにとっても重要で、日韓関係が改善することによって日米同盟関係の行使が一層円滑になる。

日韓関係はぜひ改善すべきで、政府だけでなく国民のレベルでも、双方が努力しなければならない。

韓国木浦(モッポ)儒達山(ユーダルサン)から海を臨む?
【 韓国木浦(モッポ)儒達山(ユーダルサン)から海を臨む】




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【小川 郷太郎】
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外交官 第24話 近隣国の実情と日本 (その2 中国)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第24話 近隣国の実情と日本  

(その2:中国)
これから10年ぐらいの間を見通すと、中国は日本にとって最も難しく、また場合によってはとても怖い国だと思う。強烈な国家の意志で20年、30年を見渡す壮大で明確な長期戦略を描き、国際社会の批判を意に介せず、時には国際法の原則を無視して、自己の戦略実現のために着実に行動している。とくに軍事力を長期間強化し続け、今や軍事的にアメリカと対峙する意図さえ垣間見せている。

自国の経済発展を維持するため世界中から資源獲得を目指して資源を持つ国々となりふり構わず協力関係を構築して行く。時には突如として島などの領有権を主張して他国の反対を無視してそこに軍事基地まで築いてしまう。

尖閣諸島についても中国は「固有の領土」というが、1970年代に国連機関の調査で資源の存在が明らかになってから領有権を主張し始めた。もっと昔に中国自身が発行した地図で尖閣諸島が日本領となっているものもある。

自国にとって大事なことを「核心的利益」と称して、他国が何と言おうと、論理がなくても、追求し実現していく。最近、アメリカが南沙諸島付近に軍艦を送ってけん制しても、やめようとしない。本年2月には他国との領有権争いのある西沙諸島の一部を埋め立ててミサイルを配備した。

中国広州珠江の朝
【 中国広州珠江の朝 】


中国の攻勢は軍事面に限らない。近年は増大した経済力を背景に「一帯一路」戦略を描いて、海と陸から「シルクロード」を構築して東南アジア、南アジア、中央アジアからヨーロッパにかけて中国の影響力を強化しようとしている。これに並行して、さらにアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立し、広範なアジア地域においてお金の面で中国主導のインフラ構築に乗り出した。実に見事な戦略構築と実行力と言わざるを得ない。

中国はなぜ近年対外姿勢を強くしているのか。様々な要素があるが、伝統的な中華意識をもつ国民が19世紀には帝国主義諸国に翻弄されて屈辱感を味わった。さらに第2次大戦中は日本の侵略を受けた。この経験をもとに現在の共産党政権が長年富国強兵を計り、近年膨大な経済発展を達成し、それを基盤に軍事力強化を進め、いまや中国主導の国際秩序形成を図ろうとするまでになったのである。

南沙諸島や西沙諸島を軍事化しつつある状況を国際社会がいくら批判しても阻止できない現実を前にして、アメリカの軍事的な抑止行動を期待する声もある。それも必要かもしれない。

しかし、驀進する中国のこれまでの勢いと姿勢が継続され、日本やアメリカにとってこれ以上容認できない局面に達すると、何らかの事態の連鎖で米国及びその同盟国と中国とが一時的にせよ武力で衝突する可能性も排除できない。いったん衝突が起こると、それを止めることが難しいのは、多くの事実が物語っている。そうなれば集団自衛権行使をせざるを得ない日本にも深刻で大きな影響が出かねない。

中国・漓江風景
【 中国・漓江風景 】


簡単ではないが、状況を良く注視しながら武力的衝突の危機を回避し、協調的関係を築くための不断の外交努力が日本にとっても重要である。何ができるか名案がないのが困るのだが、中国自身がそうせざるを得ないと思うように仕向けていくことを考えなければならない。
いくつかの方法をあげてみたい。

まずは、国際社会を広く動員して中国の自省を促す努力がある。中国との経済関係を重視する欧州諸国は、中国の一方的行為の実情をあまり認識しようとしない。欧州諸国と日米間で政策協議を重ね、また、その他アジア、アフリカ、中東、中南諸国に対しても、客観的・冷静で広範な問題提起を行うことが重要だ。
中国は世界的規模で強力な宣伝活動をしており、その中には反日宣伝も含まれている。それに対抗する姿勢ではなく、国際社会全体に中国に関する「冷静で客観的」な事実の広報に心掛けていくことが重要だ。

最近、中国からの訪日観光客が増えていることは日本の現実を知ってもらう上で大きな効果がある。これを引き続き増やす努力が必要だが、もっと知識人、ジャーナリスト学生を含めた広範なレベルでも交流し、知識人等による啓発を通じ大衆レベルでの相互理解を深めることが重要だ。世界における日本や中国の位置づけをお互いに知り合うことも重要だ。

ややおこがましいが、中国知識人の対日認識を強化することは、国家としての中国の成熟度向上にも資するだろう。民主党時代に人的交流や広報の予算がすぐに効果がないとの理由で相当削減された。相互認識の強化には時間がかかるが、こうした費目は巨額ではないので、戦略的見地から継続して増やすべきだ。

日本と中国は、「戦略的互恵関係構築」について合意している。争いが続くとこの点への考慮が薄くなるが、中国指導部にはこのことに対するしっかりした認識がある筈だ。貿易や投資などの実態経済での日中の結びつきは極めて幅広く深いものがあるので、正常な関係を続けることが双方にとって死活的に重要である。だから、日本から積極的に互恵関係強化を呼びかけてその具体策を実行するよう声をかけるべきだ。

例えば、AIIBでの協力関係構築やTTPまたは経済の自由化などで連携強化を呼びかけていくのも一案だ。これまで日本はAIIBに対し消極的姿勢で対応してきたが、今や多くの国が参加して発足しているので協調的姿勢に転じることは中国も歓迎するだろうし、日本にとっても悪いことではない。TTPにも中国は強い関心を持っている。統制的経済体制なのでTTPの参加は難しいであろうが、こちらから協議開始を呼びかけることは可能である。

日本は軍事や経済の規模では負けるが、中国との違いは技術力の高さ、経済制度や体制の洗練度ではるかに勝っており、また、世界中から好感を持たれている日本の精神性や文化も含めて、中国が関心を持つ要素を多く備えている。「歴史」や尖閣諸島問題で争いをなくすことはできないとしても、前向きで協調できる分野で日本側から呼びかけて関係強化の方に重点を移していくことが大事だ。対立を生みやすい尖閣諸島についての争いは「棚上げ」にして相互の行動を自制する方向で合意に努めるべきだ。

国際社会の中での日本と中国への評価や信頼度には差があることを中国が認識していることを期待する。仲たがいが報じられている日本と中国が協調関係に回帰すれば、世界も歓迎するだろうし、それは中国にとっても良いことであろう。
「大国」中国の自尊心を損なわないかたちで日本が中国に粘り強く協調を働きかけて、中国がこれに応じれば、中国も世界から信頼感を得られる。日本と中国が争うとアジア諸国にも戸惑いが深まる。日本は、広い視野から自分の特技を生かした外交戦略を立てて実行すべきである。


筆者近影

【小川 郷太郎】
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外交官 第24話 近隣国の実情と日本 (その1 ロシア)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
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外交官

第24話 近隣国の実情と日本  

世界全体を見渡すと、グローバル化の加速と相互依存関係の深化が進んでいる。さらに近隣国の状況も注視しなければならない。

ロシアを含むアジア・極東の情勢も近年相当変化している。もっとも重要な変化は、中国とロシアが国際社会の既存の秩序に挑戦するような異質で大胆な行動をし始めていることである。つまり、欧米諸国や日本が信奉する民主主義や法治主義に基づく国際秩序と対峙する度合いが強まっていることである。この新しい状態を「新冷戦時代」と評する向きもある。

一方、朝鮮半島では、北朝鮮が核開発や軍事優先政策を継続しており、安全保障上の深刻な脅威が存続している。いずれも日本の安全に大きな影響を与えるものだ。
以下は、わかりやすいように私がやや単純化して描く近隣国それぞれの状況である。


(その1:ロシア)
プーチンが支配するロシアの情勢は、国内政治的には安定しているが経済社会的には苦境にあり、国際関係でも大きな不安要素を孕んでいる。最近の世論調査によるプーチンの支持率はなんと89.9%である。
しかし、ロシアを客観的に見ると、石油価格の低下傾向が続き国内経済は悪化しているうえに、既存の国際秩序への挑戦に対する反発や制裁を受けて世界の中で孤立を深めている。孤立を緩和するために、同じ現行秩序に挑戦する中国と戦術的連携を図っている。シリアの内戦に関してもしたたかな外交を展開している。

国内の高いプーチン支持と国際的孤立のギャップが顕著である。その状況を私なりに分析してみよう。まずロシア民族の長きにわたる意識では、国の指導者は出来るだけ強い権力を持つことと国境は出来るだけ広く外側に設定することが国の安定のために必要だと考える。

だから、プーチンが外交面で諸外国の圧力を跳ね返して強硬姿勢をとるとロシア国民は拍手喝采して支持する。とくにクリミヤ半島併合は国際法の明白な違反ということで国際社会の反発とそれに伴う経済制裁を受けたが、ロシア民族を護り領土を拡張する行為であるのでロシア人の熱烈な支持を得て人気が一層高まった。
国民には自国が孤立している客観情勢への明確な認識が乏しい。欧米諸国による制裁でロシア経済が一層苦境に陥っても支持率が上がる構造で、プーチンもそのことを意識して行動しているようだ。

ロシアの経済について見てみよう。私が旧ソ連邦崩壊の直前に勤務した頃(1988〜90年末)は、ゴルバチョフによるペレストロイカ政策推進時代であった。外国人の旅行規制も若干緩んだので、できるだけ国内を見て回った。その時にわかったのは、ソ連(今はロシア)の国土があまりにも広大で、モスクワやレニングラード(今のサンクトペテルブルグ)を別にすれば過疎地が全国に広がっているという事実である。

資源が豊富でも、資源の開発地域及び製品の生産地と消費地とは何百キロ、何千キロも離れている。つまり、物を生産する場所と消費するための都市との距離は相当ある。それらを繋ぐ鉄道や道路は非常に長くインフラの整備や維持にはお金がかかり、とても大変である。

それだけでなく、厳寒の気候などもありインフラの維持状況は劣悪であった。都市に多くの人口が集中していて物流インフラも整っている日本と違い、ロシアという広大な国で産業を効率的に発展させるのは容易ではない。だから、ロシア経済は石油などの資源に大きく依存していて、石油価格が高い間は大いに潤ったものの、その間に懸案の資源産業依存から脱するための構造転換も目覚ましい進展がないので、最近の石油価格の下落で大いに困っている。

おまけに西側諸国からウクライナ問題で経済制裁を受けて、ロシア経済は大いなる苦境にある。問題は、今の経済状況がいつまで続くかである。石油価格は中期的に低い状態が続くという見方があり、産業構造転換も前述の次第なので、経済低迷が暫く続くものと思われる。

ロシアの対外強硬姿勢もプーチン大統領の性格や長いKGBでの経験などを考えると、大きな変化は予想出来ない。経済が真に深刻化し、それが長く続き国内の不満も出てくると外交政策や手法の変化が起こるかも知れない。

北方領土返還問題については、プーチン大統領の思想や行動様式、さらにはロシア国民の思考様式を考えると、ロシアの姿勢の軟化はほとんど期待できない。だから、北方領土の解決は短期的に進展しないと思われる。

日本としては、戦後70年にわたり耐えてきた現状を今後も耐え続けることは不可能ではない。我が国はいたずらに妥協を図るのではなく、現状は違法占領であり、四島の帰属を確認して返還を求めるとの原則的立場を内外に揺るぎなく主張し続けることが賢明だと考える。ロシア経済が長期低迷して真に深刻化した時などに返還交渉を活発化することを考えたらよい
 
旧ソ連邦モルドバ風景
【 旧ソ連邦モルドバ風景 】



筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第23話 グローバル化の加速、相互依存関係の深化

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第23話 グローバル化の加速、相互依存関係の深化  

さて、日本が内向きで衰退していると言ったが、それでは世界はどうなっているのだろう。世界を全体として眺めてみると、ここ2〜30年で顕著な動きがある。グローバル化の加速と相互依存関係の深化・拡大である。よく耳にする言葉だが、いくつかの具体例で考えてみよう。

学者的な正確な定義ではないが、グローバル化とは、物事が地球規模で拡がり、世界の国々や人々が互いに影響し合い関係し合うような現象といってよい。インターネットや電子技術の発達で、たちどころに世界中に情報が伝わり交信することができ、国際的な支払や決済とか株式投資も簡単に実行できるようになった。

貿易や金融の発展に従い製品の規格や標準の同一性も高まり、経済の流れが一層活発になる。経済がグローバル化すると人の行き来や物流も世界規模となり、それに伴って社会生活や文化(ファッションや食べるもの、考え方など)もグローバル化してくる。日本のマンガやアニメが世界中の若者に人気があるのも一種のグローバル化かもしれない。音楽だって、人気ミュージシャンは国境を超えて人々の心を捉える。

こうした文化のグローバル化を通じて、世界の若者の間に共通の感情も生まれつつある。世界の人々が、共通の課題や問題に遭遇し、あるいは楽しみを共有するようになる。ここでは、国境というハードルが低下し、民族や文化の違いが障害にはならなくなってきたと言ってもいい。

グローバル化をもっと広く捉えるなら、地球温暖化が深刻化して世界の大部分の地域に影響が浸透していること、地球上のどこかで発生した感染症があっという間に多くの国や地域に蔓延したりもする、今やテロリズムも世界の各地で連携して拡散している。どこでも対策が必要となる状況に直面し、世界が一体となって解決策に取り組まざるを得なくなった。こういう事態もグローバル化の一種かも知れない。

もうひとつの「相互依存関係」とは、文字通りお互いに相手に依存する関係であるが、そうした関係が近年著しく深まり、かつ空間的にも拡大してきた。とくに貿易や投資の分野で顕著である。日本は中国や韓国との外交関係が最近うまくいっていないが、実は日本と中国、日本と韓国は互いに密接に深く依存し合っている。
何年か前、中国から輸入した冷凍餃子に不純物がありそれを食べた人が中毒を起こした事件があったとき、「アーそうか、餃子も中国から輸入しているのだ」と気付いたことがある。

日常的な食品も海外に輸出したり、他国から輸入したりしている。それは相手の国の製品の方が安かったり、自国にはないものだったり品質が優れているからなどの理由であるが、買う方も売る方も互いに相手が必要で相手を頼りにしているのだ。すなわち相互に依存しているわけである。

餃子のような食品だけではなく、精巧な工業製品の部品やそれを使った完成品もお互いに必要だから売り買いしている。「世界の工場」とも言われて世界に輸出される中国の工業製品の多くに日本の部品が使われている。中国で造られるスマホの精巧な部品の大部分が日本からの輸入である。

中国製品が世界でたくさん売れれば、日本の部品の対中輸出が増え、日本も儲かる。中国経済が減速すると日本(もちろん中国に輸出する他の国も)の経済にも悪影響が出る。韓国との関係にも似たところがある。政治や外交面で仲が悪くても経済関係を緊密にしておかないと、日本も中国もお互いに損をするのが現実だ。政治・外交関係が良ければ、経済関係も一層潤滑になる。お互いに依存し合っているのだ。喧嘩などしていられない状況なのだ。

経済の相互依存関係は二国間だけでなくもっと広範に及ぶ。東日本大震災の津波によって東北地方にあった工場が破壊されたため、これらの工場で作っていた部品の輸出が出来なくなった結果、日本の工場から部品を輸入して完成品などを作っていた海外の工場は操業が出来なくなってしまったことが思い出される。
影響が出た工場は世界各地にあり、広範囲にわたる相互依存関係の実態が印象に残った。石油価格の変動、一国の為替や金利の変化なども他の多くの国に実質的な影響を与える。網の目のような相互依存関係だ。

相互依存関係は安全保障分野にも存在する。日米安保体制はその最たるものだ。日本は基地を提供することにより自国の安全のためにアメリカの軍事力をかりて抑止力を得る。アメリカは日本の基地の活用によってアメリカ自身の安全や世界の安全保障への影響力行使に役立てる。
北朝鮮の核開発や中国の軍事的台頭という現実があるので、アメリカや豪州などとの相互依存関係は日本にとっても不可欠なものである。

このように、近年グローバル化の加速と相互依存関係の深化・拡大はますます顕著になっている。このことは何を意味するだろうか。日本を含めどの国も黙っていてもグローバル化や相互依存関係の深まりの影響を受ける。しかし、意識していると一層それらの影響の姿が良く見えるし、その影響を利用したり悪影響を回避することもできるのである。

グローバル化や相互依存関係深化の影響はけして一国、一国民では対応できないものになっている。だから、外国に目を向け、外国と交わらざるを得ないのだ。日本の社会が安定していて、ほどほどに満足する生活ができているからこれでいいんだなどと言っていられない状況にある。世界がどんどん変化しているのだから、島国のようにのんびりしていると世界の流れに遅れ、「ガラパゴス化」してしまう。

今日の世界の現実は、国、国籍、民族、宗教などの要素を超えて互いに影響し合う。だから、海外の状況に目を向け、世界と交わり、繋がることが不可欠である。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第22話 (その3) 「石橋を叩いても渡らない(?)慎重居士」

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第22話 内向きで衰退する日本 (その3)
「石橋を叩いても渡らない(?)慎重居士」


「石橋を叩いて渡る」という表現がある。外国人の多くと比較すると、日本人はとても用心深く慎重である。何かをしようとすると慎重にいろいろなことを調べて検討する。

慎重さは必要であるので良い面もあるが、時には、叩いてみるとて頑丈で大丈夫そうでも「もしかしたら」などと万一のことを考えて渡るのを長く躊躇したり、結局渡らなかったりすることがある。慎重さが昂じて、自護的になり過剰なほどに防御姿勢をとりがちだ。

原発事故の問題では慎重さが大いに必要だが、問題によりけりで、変化の激しい世界や社会の動きの中では果敢な行動が必要である場合が多い。
韓国人は石橋を叩かずに真っ先に渡る果敢さと大胆さがある。石橋は滅多に崩れることはないので、たまには失敗しても多くの場合成功して利益を得ている。

万事慎重な日本ではまず調査・検討する。国会答弁でも政治家や
官僚が「慎重に検討します」という。そういう時は、やりたくない、やらないことを暗示しているかのようだ。

改革が必要な時でも、政府は慎重に先ず「有識者会議」みたいなものを作って、相当の年月をかけて検討させる。様々な重要課題について、これまで幾多の有識者会議からの報告や勧告が政府に提出されたことか。でも、大部分が店晒(たなざら)しになってきた。
歴代首相はしばしば「抜本的改革」を唱えるが、「抜本的」というほどの中身がないことが多い。異論を尊重するとの言い訳もあるが、「万事公論に決すべし」を重視しすぎて、時代の波についていけない。

つまり、日本の動きにはカタツムリの歩みに似たところがあって、適時の対応に遅れ、社会の活力を削いで国際競争力を失わせ、国力の衰退を招いてきた。

先に述べた東大の「秋入学導入」もそうだが、もっと重要な課題もある。少子高齢化社会に伴う社会保障制度の行き詰まり、巨大な財政赤字をふまえた「税と社会保障の一体改革」などの一連の課題がその典型だ。
もう四半世紀以上前から歴代内閣がその必要性を認識しながら、選挙目当てで増税を含む改革を怠ってきた。手をつけ始めたのはやっとつい最近のことである。
四半世紀も遅れたことで改革のコストとはさらに巨大になってしまった。慎重さというより、政治の不作為であり、懈怠でもある。

地方分権問題も百家争鳴が続き何十年と議論されてきた。いくつかの「抜本的改革」にも関わらず、まだ中央集権的仕組みは基本的には変わっていない。
今般ようやく法律が通った「マイナンバー制度」もそうだ。行政業務の簡素化などのメリットはあるが、課題も多いので慎重な議論がなされてきたと言えば聞こえはいいが、佐藤内閣が「国民総背番号制」導入を目指したのは1968年だ。様々な意見が出て、結局頓挫した。
世界を見ると、内容こそ異なるが多くの国で共通番号制度が導入されている。米国は1936年、英国は1948年だそうだが、多くのヨーロッパ諸国では1960年代から70年にかけて制度が成立している。これらを見ると、やはり日本は慎重で、カタツムリの歩みで歩んでいるみたいだ。

芝増上寺・三縁山 ( 1995.8.6.朝 )
芝増上寺・三縁山 ( 1995.8.6.朝 )


日本人の慎重さは、最近の企業の海外進出についても言える。私は、外務省の最後の仕事として「イラク復興支援担当大使」に任命された。戦争後のイラクの復興を助けるため、日本政府は円借款などの支援も相当行ってきているが、民間企業による貿易や投資がこの国の経済を発展させる大きな要素でもある。

以前にも述べたが、イラク側は復興のために是非日本製品を輸入し日本からの投資を期待していると熱心に述べて、日本の企業との協力を熱望している。当時も今も治安には問題が多いが、必要な防御措置をとれば日本企業が活動できる地域や事業は存在する。石油などイラクの膨大な資源や発展の潜在力も見て、多くの国の企業がイラク進出を図っていた。

私も日本企業の幹部に再三イラク進出を要請したが、殆どの企業は一般的な治安状況を理由にきわめて慎重な姿勢をとった。この間、韓国、中国、トルコや欧州の企業は治安情勢を調査しながらも行動する姿勢をとった。だいぶ遅れて日本企業は少しずつ進出し始めたが、韓国などの企業に先行利益を奪われている面がある。

これまで述べてきた日本の「井の中の蛙」的思考と行動様式、個性や積極性の欠如、過度の慎重さなどは、いずれも日本の国際的競争力を削ぎ、国力を衰退させる要因であるように思えてならない。
「世界を見よ、グローバル化に乗れ、羽ばたけ、ニッポン !」
と大きな声で叫びたい気持ちだ。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第22話 (その2) 「個性や自立心の欠如、集団行動主義、他者への依存心」

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第22話 内向きで衰退する日本 (その2)
「個性や自立心の欠如、集団行動主義、他者への依存心」


グローバル化して変化の速い世界に伍して行くには、日本として果敢な行動が不可欠である。もちろん、政治のリーダーシップは大事だが、国民の行動も極めて重要である。しかし、日本人一般の行動様式は、変化に迅速に対応して各国との競争に勝っていくためには向いていないところが多い。

日本人と世界の多くの国の人たちの行動様式には違うところが多々ある。我々日本人は柔和でおとなしいが、世界の人々は自己主張が明確で、国としても厚かましいほどに狡猾に振舞う。
また、日本人は日常生活においてあまり自立心がなく受身になりがちで、上司や先生のいうことに従うことが多い。よく言えば、調和を重んじ協調的である言えるかもしれないが、外国からは、集団主義的行動のように見え、日本(人)の考えていることはよく分からないと思われたりする。

こんな風にしていると、不遜で厚かましい国や大国の意に従わせられかねない。これでは日本は世界の波に流され、国として損をしてしまう。もっと自己主張が必要だ。
いくつかの例を思いつくままに述べてみたい。

日本の行動様式の背景には伝統的な教育方法が影響しているのかもしれない。我々は幼い時から、「親のいうことを聞きなさい」「先生の言うことをよく聞くのですよ」と言われて育つ。初めから、自分で考えずに他者への依存心みたいなものができてしまう。

デンマークでは保育園や幼稚園の時から自立心を植え付けられる。小さな子供が「あれが好き」「これはいや」というと、先生は「そう?なぜ?」と質問して、子どもたちに思考させる。子供たちは一生懸命考えて答えようとする。

フランスでも自由に考えさせ個性を表すように教育する。私が2回目のフランス勤務のとき、長女は6歳で現地の小学校に通った。娘がときどき家に友達を連れてきて遊んでいるのを見ていると面白い。誰かが面白い仕草をしたりするとみなが笑う。
すると、別の子が前に出てきて、「今度はボクがやる」と言って自分の得意のことを披露する。それを見て今度は女の子が、「私は詩を読むわ」と覚えた有名な詩人の詩を得意気にジェスチュア付きで朗読する。次々に争うように前に出て独自のことをする。見ていて「なるほどこれがフランス人の個性を作る教育の成果だな」と感心した。

パリから帰国して、娘は日本の公立小学校の4年に編入した。娘はフランスの個性涵養教育の成果を日本の学校で発揮したのだろう、保護者の会で、担当の先生から「あなたのお子さんは個性が強すぎて」と苦情を言われた。
後年長女は、あのころ級友たちから凄く陰湿ないじめをずっと受けたと告白した。調和を重んじる日本と個性の発揮を重視するフランスの違いだ。

自立心といえば、先ほどデンマークの幼児教育に触れたが、その教育の成果か、デンマークのお年寄りは高齢者になっても自立心を維持している。日本では「晩年」という言葉もあるし、お年寄りへの優しい気持ちから、高齢者に対して手をとり足をとるように大事にお世話する。

デンマークのお年寄りたちは、人生最後の時期は自分らしく生きようという意識が強く、自分の趣味を発展させたり仲間との交流を楽しもうとの意欲を持っている。身の回りのことはできるだけ自分でする。介護が必要になっても子に頼らずに施設を活用する。
「晩年」などいう言葉さえないように自分の最後の人生を生きようとする姿勢だ。

田園風景
田園風景


欧米社会の自立心の基盤には自己責任の精神があるようだ。自立心の反対は他人依存と言ってもいいが、日本ではとかく他者への依存心が強いように見える。何か被害にあうと国や役所の責任を問う。自分の不注意は棚において、注意喚起が充分でなかったと責めるのだ。親は、子供の問題について学校に責任を帰す傾向もある。

フランスの風光明媚なエトルタという海岸に行ってみたことがある。眼下はきれいな海であるが、そこは断崖絶壁で海岸ははるか100メートルぐらい下にある。驚いたことに、そこには転落防止の柵もなければ注意喚起の標識もない。落ちるかどうかはまさに自己責任である。

日本では、口うるさいほど注意喚起がある。さほど危なくなくても世話を焼く。やれ、「エスカレーターの手すりをお持ちください」「お子様の手をつないでください」などとラウドスピーカーで繰り返しわかりきったことを聞かせられると、「喧しい、子ども扱いするな」と怒鳴りたくもなる。
工事現場では、通路が明示されていても人が立って歩行者を誘導する。天気予報で雨の可能性を伝えたあと、「念のため傘を持ってお出かけください」などという。日常生活でそんなことばかりされると、依存心はますます強くなり、自分で考えて行動する感覚が鈍ってしまう。

日本の学校では暗記型の試験問題が多い。暗記に力を入れていては思考力は磨かれない。フランスの大学で研修をしていた頃、期末試験の問題はたった1行で、「○○について考察しなさい」と書かれていた。試験時間は4時間もある。学生たちは、起承転結の論理構成をして、じっくり考えながら数ページにわたって自分の主張やその理由を展開していく。個性さまざまの解答が出てくるそうだ。論理構成、一般教養や発想のユニークさが評価のポイントにもなる。

日本の企業は同じ土俵で相撲を取る傾向がある。似たような型の商社が似たような業態でエネルギーや食糧などの分野で競争する。新聞やテレビのマスコミもそうだ。似たような紙面構成や番組で覇を競う。大きな事件があると、どのチャネルも同じような内容や形式で報道する。目をつけるところが同じで、ただ速さを競ったりする。

デンマークは小国であるが、他国企業があまり進出しないニッチ(隙間)を狙って事業を展開する企業がある。例えば、補聴器、人工肛門、特殊モーターなどの製造で世界市場の2割から6割ぐらいのシェアーを獲得している会社が十指に余るほどある。うがった見方かもしれないが、画一的な教育と個性を育てる教育の違いが出ているとも言える。

集団行動主義型の社会では、創造性や新しいことに挑もうとする積極的意思と行動力を持つ人が少ない。皆が受験競争の中に押し込まれて、その中で受け身になって行動していく。将来の就活が大変だと思って「有名大学」を狙う。高校留学の機会もあるが、受験や就活を考えて留学しないという若者が多い。これも同じ土俵の中での闘いだ。自分の頭で考えて自分の個性を生かす将来の道を考えたり、グローバル化を念頭に旧態依然の日本の受験競争に参加しないで留学を志向する者は少ない。実際、海外留学をする日本人の数は顕著に減っている。

逆に中国、韓国、東南アジアの留学生が増えている。アジアを見ると、英語のできる若者の数は非常に多い。そして積極的に自分の意志を明確に述べる。私が勤務したカンボジアのプノンペン大学で英語で講演をした際、大教室に学生が溢れ熱心に聞いてくれた。講演後非常にたくさんの質問が出たので相当時間を延長したことがある。途上国であってもこれから伸びる国の若者の英語力や積極性に強い印象を受けた。

「受け身」といえば、我が柔道界もそうだ。柔道の国際試合のルールはこれまでヨーロッパ諸国や国際柔道連盟が中心になって決めてきているが、日本の柔道界は「ルールがおかしい」とぶつぶつ言いながら公式に反論もせずに大勢に従っている。まさか、柔道で最初に学ぶことが「受け身」であるからではなかろうが。

ともあれ、近年ノーベル賞を受ける日本人の数は増えている。日本にも独創性に優れた人々はいるのは事実だ。個性や独創性を涵養する教育を強化すれば、もっと多くの創造力を備えた若者が育ち、日本の競争力強化に貢献するだろう。

筆者近影

【小川 郷太郎】
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外交官 第22話 内向きで衰退する日本 (その1) 「井の中の蛙、大海を知らず」

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第22話 内向きで衰退する日本 (その1)  

今まで話したように、日本人は世界に誇りうる素晴らしい資質をたくさん持っているというのが私の確信である。ただ、個人の場合に誰にでも良いところと悪いところがあるのと同様に、日本国民を全体としてみたとき、問題があるのも事実である。

今日の日本の最大の問題は、内向きであるためグローバル化に乗り遅れ、国の力が衰退してきていることだと思う。そうなった原因にはさまざまな要素があるが、簡単に言うと、三つの日本的現象がある。
つまり、‥膵颪里燭瓠岼罎涼罎粒拭廚砲覆辰討い襪海函↓個性や自立心に欠け、受身で集団行動主義の傾向が強いこと、慎重すぎて防御姿勢になり、変化への歩みがカタツムリ並みであることである。
これらについて少し具体的に見てみよう。


「井の中の蛙、大海を知らず」
日本が島国であるのは、覆すことのできない地政学的現実である。島国であることはいい面もある。四方を海で囲まれていたことが幸いして、我が国はこれまで外国から侵略されたことはなかった。13世紀後半に蒙古軍の来襲があったが、「神風」のお蔭で上陸できなかったとも言われている。

日本の歴史上「戦国時代」はあったが、民族的にも均質性が高いこともあって、全体として融和的で安定した社会を築くことができた。日本人同士では物の考え方や行動様式が似ていることが多く、言葉も日本語がどこでも通じるので、他の国に見られるような民族間の対立や社会の軋轢は少なかった。
世界を見渡すと、例えばアメリカ、ロシア、中国、旧ユーゴ諸国、ミャンマーなど多くの国は多民族国家だ。各民族の文化の違いなどから国内社会で摩擦が絶えないが、幸い日本にはこの種の社会の軋轢は少ない。

第二次大戦後は平和が続き経済が発展し社会も安定してきたので、生活は便利になり安心して暮らすことができるようになった。周辺国からの身に迫る危険もなく、海外から難民が押し寄せるようなこともなかったし、日本国民の主たる関心がおのずと自分の日常生活に向くようになって来た。発展して安定した生活に満足しているので、つい内向きになる習性が出来てしまう。それは、ヨーロッパ大陸と著しく異なる。

例えば、歴史的に「民族大移動」が起こったヨーロッパの中心に位置するフランス人は、日常的に言語や文化の違う民族と共存するような永年の経験があったため、異質なものへの理解や寛容さ、多様な思考方法とか、国際関係におけるしたたかさなどを身に付けて、それらが何世紀をも経てフランス国民のDNAに組み込まれるようになったということもできる。

L'Abbbaye de St. Florent sur Loire 夕景 (2010.8.29.)
L'Abbbaye de St. Florent sur Loire 夕景 (2010.8.29.)


長い歴史上の大部分の時期を通じて外敵の来襲もなく、安全で安定した同質的な社会を形成し、似たような考え方や行動様式をする日本人同士で生活することができたのはとてもラッキーだったと言えよう。

しかし、その結果、外国のことに関心や知識が薄くなりがちである。アフリカの貧しさや食糧難の実態を深く受け止めない。民族や宗教の違いからくるアフリカ、中東、南ヨーロッパにおける紛争やテロ活動について、ニュースで聞くことはあっても遠い国の出来事のように思えて真剣な関心をもたない。
それだけではない。世界の速い動きに気付かず、グローバル化現象などが日本社会にも膨大な影響を与えつつあることやそれに取り残されることへのひっ迫感にも欠けることになる。

ちょっと具体的な例に触れてみよう。
「ガラパゴス化」という言葉がある。南米エクアドルの西方約1000キロに浮かぶガラパゴス諸島は動植物の固有種が棲息することで知られている。大陸から隔離されていることから独自の進化を遂げた珍しい固有種が生きている。
日本に「ガラ携」と呼ばれる携帯電話がある。日本国内で発売され使用される豊富な機能を持った立派な携帯電話ではある。技術的に優秀で目覚ましい進化を遂げたが海外では使えないので、「ガラパゴス化」された携帯電話となってしまい、日本人自身がそう呼ぶようになった。
フィンランドのノキア社や韓国のサムソン社などは、世界中で使える携帯電話を作って世界市場で稼いでいる。「ガラ携」は日本固有の希少品種になってしまった。

日本はコメ作り農家を保護するために何十年とコメの輸入を禁止または極度に制限してきた。コメを含めた農産品を手厚く保護してきたので、主要な貿易相手国との自由貿易協定を交渉する際、日本が得意とする工業製品について相手国から関税引き下げの譲歩を獲得できない。

やっといくつかの国とは妥協をしながら協定を結ぶようになってきたが、この間、韓国は日本よりはるかに早く農業政策を転換して、米やEUを含めた多数の国と自由貿易協定を結ぶことに成功し、自動車や電子製品の関税引き下げを確保して、これら大市場で自国の工業製品を日本よりずっと安い価格で売ることができるようになった。

日本は農業保護を重視するあまり世界の流れを考慮せず、その結果日本農業の生産性は他国に比し非常に低いままで農業の衰退を招き、さらには、工業分野でも輸出先国からの関税譲許を得られず韓国に負けている。国全体の利益を失っていると言える。日本国内では今でもTPPに強く反対している人たちがいる。

もう一つの例を見てみよう。日本の大学の秋入学問題である。日本の新学期は4月に始まるが、世界の大学の入学・新学期は秋が主流であり標準でもある。2011年に当時の東大の浜田総長が、優秀な学生や研究者を呼び込むためにも東大に秋入学制を導入する構想を発表した。

これが当時新聞の1面トップを飾った「ニュース」となったことを覚えているが、私は、こんなことがまだ実施もされずにいて、大ニュースになったことに驚いた。随分世界の流れから外れ、しかも今頃話題になるとはと思ったのだが、その後この制度も実現しないまま先送りになっている。島国ならではの現象である。

日本はまだ井戸の中に籠(こも)っていて、外の大海の動きを知らないかのようだ。

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外交官 第21話 評価される日本人の資質

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
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外交官

第21話 評価される日本人の資質 


世界のどこにも素晴らしい人たちが
世界をあちこち廻ってきた私の感想は、地球上のどこにも素晴らしい人たちがいるということだ。

アフリカ大陸には人情厚く優しい人たちが多い。民族や国によって育まれた文化は素朴であっても、木彫りの彫刻や絵画には人間的な温もりがあり、織物などの色彩は美しい。
カンボジアの人々はとても謙虚で、こちらの心が癒され和むようなところがある。
フランス人は好奇心旺盛で個性的なところが魅力であり、友人になると人情はとても篤い。
デンマーク人には質実剛健さや飾らない気質があって、お付き合いしやすい。
いま、相互の国民感情が悪化している中国や韓国との関係でも、現地に行って人々と接してみると、日本に好意を持つ人たちの多いことや、日本人とは違う性格や行動様式に関わらず親しくなれることにも気付く。

どこの国民にも良いところがあり、そういうものに目を向けることが人生を豊かにするものだ。
では、日本人は世界の中でどのように見られ、位置づけられているだろうか。私の観測では、日本人は世界の多くの人々から非常に高く評価されている。エピソードなども交えながら比類なき日本人の特質などについて、見てみよう。

日本人の緻密さ、規律、秩序
最近フランスに3週間ほど滞在して各地を回ってきた。
かつてではそうでもなかったが、最近のフランスの国鉄は遅れが多い。各地を移動するため、長短合計7回列車に乗った。
私を泊めてくれたフランスの友人が、「列車はいつも遅れるよ。時間どおり着いたら驚きさ」と自嘲気味に言った。

やはりそのとおりで、7回乗ったうち、時刻通りの到着はたったの1回で、その他は10分から1時間ほど遅れた。フランス御自慢の新幹線(TGV)もパリ・マルセイユ間で1時間近く遅れた。途中でスピードが落ちたり、野原の真ん中で暫く停まったりした。きれいな田園風景の真ん中だったから退屈はしなかったが、途中で乗り替える人にとっては次の列車に乗れないこともある。日本ではちょっと遅れてもくどいほどお詫びをするが、フランス国鉄は殆ど詫びないのも国民性なのだろうか。

通常は遅れない日本の新幹線。あれだけ過密なダイヤを組んで時刻通り正確に走ることに世界は驚異的だと称賛する。
運行に関する様々な要素を緻密かつ誠実に点検しつつ正確に走らせる日本人の規律や責任感は見事なものである。

「秩序」という見地から世界中が驚嘆したのは、2011年の大震災の際の日本人の冷静で秩序のある行動であった。被災者が長い列で整然と順番を待ち、時にはより被害の多い人に順番を譲ることなどが、外国人の特派員を通じて世界中に報道された。
海外にはあのような大震災に会うと食糧を求めて人々は店舗などを略奪するのが当たり前のような国が少なくないので、なおさら日本人の秩序ある行動が世界の賞賛の的になった。

誠実さ、礼儀、勤勉、責任感
私は、イラク戦争終了後の2006年から10年までイラク復興支援担当大使をつとめ、日本とイラクを行き来したり国際会議に出たりして日本政府によるイラク復興支援の仕事に携わった。

バグダッドではよくマーリキ首相にお会いしたが、最初のときから会うたびに首相や関係閣僚が言ったことが頭に残っている。
「イラク政府としては、是非とも日本の企業と組んでイラクの復興を目指したい。それは、かつて(1970年〜1980年代)イラクには数千名の日本企業の駐在員がいたが、日本製品の技術や品質がきわめて高いうえに、イラクの企業や政府と誠実に話合い、納期や工期を着実に守り、問題があるとすぐ対応してくれたからだ。
イラクは日本人の誠実さ、礼儀正しさ、責任感などに多大な信頼を置いており、復興を図るため、他国ではなく日本の企業と協力したいのだ。」

しかし、治安の悪さを理由に日本の企業がなかなか出ていかないので、私は会うたびにマーリキ首相からお叱りを受けたほど、日本への信頼が厚い。イラクに限らず、中東地域では日本がこのように評価されている。

他者への配慮、「おもてなし」、笑顔の接客態度
日本人は一般的に他者へ気を使う習性が強い。いいことではあるが、あまり気を使いすぎて時には本心より「義理」で行動することもある。また、無理に自己犠牲をして対応することになるのであれば問題だ。 それはともかく、日本人の他人への気遣いが外国人に好印象を与えていることも確かである。

オリンピック誘致活動の最終段階での滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」の言葉が一躍有名になった。ただ、外国人だっておもてなしの心は持っている。
私自身、多くのフランス人、アメリカ人、韓国人、カンボジア人などの友人から親身になってのおもてなしや親切を受けて感動した経験がたくさんある。飾らないで他者への思いやりを持つ人は海外にも多くいる。

では、日本人の「おもてなしの心」とは具体的にどんなところに現れているのか。すぐ思いつくのは、日本の店やホテル・旅館などでの従業員の丁寧な接客態度がある。笑顔で礼儀正しく挨拶したり、客の注文に懇切丁寧に応えてくれる。格式のある旅館の廊下や室内には心を和ませる花や調度品が心憎いまでの端整さで飾られていて、お客さんに寛ぎを与える。

これとは逆に、私の旧ソ連勤務時代の経験だが、店の売り子のやる気ない態度、ぶっきらぼうで失礼な振る舞いにはびっくりすると同時にしばしば怒りがこみ上げたことがある。

先日、テレビで中国の店員さんたちが日本人の接客態度を身につけようと一生懸命訓練を受けている風景を見た。とにかくまず笑顔を見せようと努力するが、慣れていないので顔が引きつったり、明らかな作り笑いになって苦労している様子だった。日本人なら自然に笑顔で対応できる。そんなところが、外国人に好感を与えていることは事実だ。


清潔さ、安全性
日本を訪れる外国人が感心するのは、街の清潔さや夜でも女性一人で歩ける治安の良さだ。 清潔さはいろんなところで現れている。中でも地下鉄や新幹線の清潔さはパリやニューヨークなどよりずっとすぐれている。

東京駅など新幹線の主要駅では、列車が到着した後に折返しで次の新しい行先に向かうことが多いが、その準備の手際の良さには日本人でも目を見張るほどである。列車の到着後乗客が降車するや否やユニフォームに身を固めた車内清掃部隊が整列して待ち構えていて、僅か数分か10分ぐらいで全車内を綺麗に清掃して座席の向きを整え、座席の頭部に清潔な白い布を貼り替える。
外国ではどうかというと、フランスの車両はあまり洗っていないようで、汚れが車体の随所に見られる。

日本の新幹線は大きな事故を起こしたことがないし、走行時の横揺れも極めて小さくて安全だ。これらは他国が真似が出来ないほどの日本の特技でもあって、世界に大いに誇ってよい。

安全性といえば、食や製品の安全性についても日本は誇るものがある。時には問題が起きるとしても、一般的には日本の食品は安全である。子供のおもちゃや肌につける化粧品などにも慎重な安全対策を施して生産している。だから、最近報じられている通り、中国など近隣国の訪日客が日本の製品を求めて「爆買い」しに来る。

国民の資質、国の「徳」
こうしてみると、客観的に言って日本人の礼儀正しさ、謙虚さ、誠実さ、勤勉さや緻密さなどは世界に知られ、高く評価されている。
そうした日本人の資質が作り出している、社会の秩序や安全性も称賛されている。
外交面では平和外交を目指し途上国援助に力を入れてきたこと、また一部の大国のように国としての傲慢さや強引さを持たないことで、日本という国についての静かな敬意の念もあることを感じることがある。 日本人はこのことについて密かに誇ってよいと思う。
そのような表現は使われてはいないが、私は、日本には国としての「徳」があると思ってよいのではないかと考えている。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第20話 たぐい稀な世界の文化大国

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第20話 たぐい稀な世界の文化大国

「日本は凄いな」と私が感じることの中でも、とくに文化の力に誇りを感じる。文化とは国民の間で長い期間に自然と形成されたものであって、どの国にもそういうものがある。じっくりそれを味わうと、どれも興味深くて愛着を感じる文化であることを発見する。
しかし、世界から関心を持たれ、注目され、かつ、好かれる文化をもち、世界にも少なからず影響を与えてきた国はそう多くはない。

日本は、興味を持たれる文化のジャンル数では世界でも一番ではないかとさえ思う。いくつかの例を見てみよう。

世界に冠たる古典芸能・文化
歌舞伎や能、文楽などはもうずっと昔から海外で広く知られ、世界で多くの公演が行われてきたので、もう話す必要がないくらいだ。

歌舞伎衣装の色彩の美しさ、動作や「形」の優美さ、舞台装置の独自性はもとより、日本の封建時代と言う他国では馴染みのない社会の中における人間の心情の葛藤なども世界の人々に通じて胸を打つ。文楽の人形の人間的な表情や仕草も世界の人々を魅了する。私の若い頃は退屈で眠くなったような能の動作に幽玄美を感じる人たちが、世界の中では少なくないのである。

絵画を中心とした「ジャポニスム」、工芸の精緻さ
19世紀の後半のフランスを中心としてヨーロッパで「ジャポニスム」の運動がおこった。
その源泉は浮世絵の構図や色彩が欧米人の眼には大変斬新であったからで、フランス印象派の絵画にも大きな影響を及ぼし、現存の有名な絵画にその影響が見て取れる。2,3年前にパリに行ったときも、ジャポニスムを回顧する大きな展覧会があり多数の愛好家で溢れていた。

日本の伝統工芸品の精緻さも素晴らしい。外務省での現役時代に、日本政府が招いたフランスの有力閣僚を京都に案内し金工の作業場を見学した際、その閣僚はずっと足を止めて見入り、金工師の根気強さと作品の精緻さに感銘を受けて上気した顔で、「ああ、これが今日の日本の発展の背景にある資質ではないか」と述べたことがある。

禅、俳句や和歌、茶の湯、生け花と盆栽、書道など
「禅」については世界の人々から関心がもたれ、外国人による多数の研究や著作がある。多くの人がそれを読んで、禅を学ぼうとしている。
日本ではあまり気が付いていないようだが、俳句に対する人気も根強くある。デンマークで会った若い女性ガラス工芸家が俳句に熱心で、ガラス皿のモチーフに「痩せガエル、負けるな一茶・・・」の俳句を添えてデザインをしていた。

茶の湯、生け花なども世界に浸透して、楽しんでいる人々が多い。盆栽をやっている人も意外と多く、これまたデンマークでの経験だが、片田舎の街で自分の家に「日本庭園」を造り、そこに盆栽を置いて丹精に育てている人にも出逢った。
墨の色と白い紙のコントラスト、筆の勢い、墨の濃淡と潤いやかすれの妙味など、書道も欧米には新鮮な刺激を与えることができる。実際、海外で関心を持つ人も少なくない。書道は中国や韓国でも盛んだが、ひらがなの流麗さは日本独自のものである。



世界で大人気:
懐石料理、すし、和食、日本酒、ラーメンまでも

日本の料理はいまや世界中で大人気である。
食材を生かし、少量の料理を視覚的に優雅に盛り付け、美しい食器などに配置して差し出す日本の懐石料理のスタイルは、「料理大国」を誇るフランスの料理人に新鮮なインスピレーションを与え、フランス料理の新しいジャンルである「ヌーベル・キュイジーヌ」を生んだことも知られている。

寿司は文字通り世界中で大人気だ。日本人の舌には「これが寿司かい」と首をかしげる代物も少なくないが、とにかく人気絶頂である。
パリのオペラ座通りの裏通りには、ラーメン屋が軒を並べている地区がある。 「和食」が2年前、ユネスコの無形文化遺産に登録されたのは記憶に新しいが、その理由は、新鮮な食材とその味わい、健康的な栄養バランス、自然の美しさや季節の表現、正月などの年中行事との密接なかかわりなどが評価されたからだ。

これらの要素は他国にはない日本の特色で、世界の人々に新鮮な食べる喜びを与えている。ユネスコに登録されたこともあって、和食の味付けに役割を果たす「ダシ」の創り方に関心がもたれ、最近は「ダシ」という日本語が通じるほどになったそうである。
私も大使時代に、和食を期待する任国の要人が多かったので、公邸では通常は和食を供し、ついでに日本酒を一緒に出して大いに宣伝したところ、喜んでもらった。

漫画・アニメ、Jポップ、カラオケもコスプレも!
世界の若者も日本の文化に強い関心を持つ。
マンガやアニメは世界のどこにもあるので、なぜ日本のものが人気があるのか、海外の若者に聞いたことがある。答えは、「何かハラハラする物語性がある」「登場人物の感情もわかりやすい」「『ダダダダーッ』とか『シェーッ』というような擬音が面白い」などというものだった。
アニメなどが人気となって、近年はコスプレも急速に海外の若者の心を捕えているようだ(年寄の私にはなかなか理解できないが)。

パリでは昨年第15回目の「フランス・ジャパン・エキスポ」がパリ郊外の見本市会場で5日間にわたり開かれたが、フランスやヨーロッパからコスプレを身につけた若者で溢れかえったそうである。

私は、世界の高校生の交換留学推進の仕事をしているが、日本は海外の生徒には人気国でもある。日本の若者文化に関心を持つ生徒が多いことが人気の背景にある。
カラオケも世界に広まって久しい。隣の国の中国や韓国では大人も若者もカラオケを楽しんでいる。盛んになりすぎて、もう日本のものだとの意識もなく、彼らの日常生活の一部にもなっている面がある。

柔道だけではない、相撲も
柔道は世界の隅々まで浸透している。
世界の200の国や地域が国際柔道連盟に加盟している。
柔道を学ぶことによって、勇気や忍耐力、礼儀などが身に着くという教育的効果も普及の背景にある。アフリカの貧しい国や中東にも、あるいは北欧の片田舎まで、真剣に柔道を学ぶ人たちに出会う。柔道を学ぶことによって日本に関心を持ち、日本の良さも知ることになる人たちが世界中に大勢いるわけだ。

私は、柔道は世界の無形文化財だと主張している。 相撲も世界でだんだん知名度が高まっている。多くの外国人の力士の活躍も手伝っているのだろう。

文化の価値に政府が認識を強めるべきである
思いつくままに日本文化の海外への影響や人気度を述べてみた。これだけたくさんのジャンルで人々の興味を惹きつける文化を持つ国は、世界広しといえども、日本以外にはほとんど見当たらない。
それぞれの文化の質や内容が良いからだろうということについて、「文化大国」を自認するフランス人が最も日本の文化を理解し評価してくれることからも、自信を持ってよいと思う。

日本は、もっと文化を活用して世界の国々との関係改善や相互理解の増進に役立てることができる。
そのため政府は予算をもっと使うべきだと考えるが、政府の文化交流関係予算は主要国のそれに比べると著しく低い。防衛費のごく一部を文化交流に回すことによって大きな効果を発揮することができるが、政府がこのことについてもっと認識を深める必要がある。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第19話 ODA大国 (その2)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第19話 ODA大国 (その2)

日本が「人間の安全保障」という考え方を主導
近年になって、日本は「人間の安全保障」という概念を導入して援助政策を実施するとともに国際社会における政策論議をリードした。
世界の途上国を見ると、人間の尊厳が冒されるような厳しい貧困状態がある。民族紛争や戦争などで大量の難民が発生する例も多い。一人ひとりを保護し人々の能力を強化することにより、恐怖と欠乏からの自由を確保し、一人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する権利を追求できるようにしなければならない。
「人間の安全保障」が、援助の目的の一つとなって国際社会で認知されるようになっている。

【プノンペン孤児施設の子供たち】

援助は大いに役立っている、日本の国益にも貢献
よく、「援助はムダが多い」と言われる。私の実感はそれとは違い、「援助は非常に役に立っていて、相手国から大変感謝されている」というものである。それだけではない。国益にも大いに貢献している。
日本がODAで造った道路や橋や病院、上下水道、あるいは人材育成などの支援は、全体として人々の生活を確実に改善し、相手国の経済を発展させている。それらは、例えば、乳幼児や妊産婦の死亡率の減少、伝染病の低下、教育の改善、経済成長率の向上などの具体的数字で示されている。

なぜ、「援助はムダが多い」とのイメージができるのかと言えば、メディアの報道の仕方が大きく影響をしていることが多い。メディアは一般に事故や事件が起こると大きく報道するが、物事が正常に動いている場合には報道しない。
私を含め援助関係者が、援助の効果や現地の人々の喜びなどを具体的に説明して資料を提供しても、メディアの人はほとんど報道してくれない。援助案件の大多数は成功し効果をあげているが、少数の失敗例や問題点が出ると大きく報道されてしまう。だから物事の全体像が歪められてしまうことになる。とても歯がゆい思いがする。

【バグダッド市内にも装甲車が走る(2008年)】

日本が長い間世界中の途上国にODAを提供して開発支援を行ってきたことにより、日本への感謝の念や好感度が高まっていることは幾多の世論調査などで明らかになっている。また、昭和天皇がお亡くなりになったとき世界中から多数の元首や首相が大喪の礼に参列してくれたが、途上国からの参列がかなり多かった。日本の援助などに対する感謝の気持ちの表れである。
4年前に東日本大震災が起こると、貧しい途上国からもたくさんの支援金や物資をいただいた。「今度は自分たちが日本を助けたい」という気持ちが現れていた。
先ほど話した日本の援助による東南アジアの発展は、日本企業の進出を促進し、東南アジアとの貿易や投資を通じて日本経済の発展にも寄与してきている。援助は国益にも確実に貢献しているのである。

【イラク復興支援担当時代(バグダッドにて警護陣とのスナップ、2008年)】

ODA削減が意味するもの
日本政府は60年余りにわたるODAを通じて世界の途上国の発展を支援してきた。これによって、国際社会からODA大国として高い評価を得てきた。しかし、ODA予算は1997年(平成9年)にピークの1兆1687億円を記録したあと、財政難を理由に削減が続けられ、2015年(平成27年)には約半分の5422億円に落ち込んだ(一般会計当初予算ベス)。

政治家などは、予算削減を余儀なくされたのだから援助を戦略的に選択して配分すべきだと主張する。私は、「いや、援助予算を減らすこと自体が戦略の誤りです」と反論してきた。
日本が援助削減を続ける中で、他の主要先進国は貧困の継続、難民の増加、環境問題の深刻化など国際社会の様々な課題に対処するためODA予算を増額し、新興国の中国も援助予算を顕著に増やしたため、ODAによるかつての日本の影響力や評価の声は相対的に低下しているのが現実である。
その結果、重要な国際問題で日本を支持してきた国が支持の対象を中国に変更する例もある。

財政難だからODA予算を減らすというのはわからないではないが、ODAの何倍もの予算を使う公共事業費などの削減率はODA予算の減少率より小さい。同じくODAの数倍もの防衛費はこの間、削減どころか微増している。
ODA予算の絶対額はこれらの予算規模よりずっと小さいので、ODAを減らしても財政赤字削減へ寄与度は小さい。防衛費を1%削減すれば、ODAを10%ぐらい増やすこともできる。ODAの効果などを考えると、政治家も財政当局も戦略意識に欠けていると言わざるを得ない。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第19話 ODA大国 (その1)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第19話 ODA大国 (その1)

ODA(official development assistance)とは、通常日本語で「政府開発援助」と訳している。政府が国民の税金を用いて途上国の発展を支援することである。最近は政府の援助活動の中に一部民間資金を活用する場合もあるので、「開発協力」という用語を使うようにもなっているらしい。

ODAについては、すでにカンボジアの現場に即して具体的にお話した(第13話参照)。ここでは、第13話と一部重複するが、日本のODAについて全体的に話してみたい。日本のODAは他国に見られない多くの特色を持っているので、そういうことを中心にお話する。 私は、国内外でODA活動に直接携わった経験から、日本が援助の量と質の両面で大国であることを誇りに思っている。

日本は世界の中でもトップクラスの援助大国
日本のODAは、戦後の復興・成長が始まる前の1954年に開始されたので、今年は61年目にあたる。日本自身の経済発展が進んだ1970年代後半から、何度か中期計画を作ってODAの量的拡大に努め、その間に援助の理念や政策を精緻なものして、質的な面でも向上を遂げた。1989年に援助の量で世界一になり、90年代の10年間は文字通り「トップドナー」の地位を堅持した。

あとで述べるように、財政難から1997年をピークとして援助予算を削減してきたが、その間に他の先進国は援助量を増やしたので、今は世界で5位の援助国に留まっている。ともあれ、世界は援助の規模やその内容から見て、日本をまだ大国だと見ている。

【日本からの援助に喜ぶぶ村人たち】

政治的野心のない、世界的規模の支援活動を展開
日本は、援助をするにあたり、純粋に途上国の経済社会の発展を目的にしている。援助によって、その国や国民が貧困状態から抜け出ることになれば、当該国や周辺地域が安定し平和にも繋がると考えている。そのためのODAであるから、世界中の途上国190カ国・地域におしなべて援助活動を展開している。

米国も援助大国だが、例えば中東和平のためにこの地域にある自国の友好国を重点的に援助する傾向がある。中国も最近は急速に援助を増やしているが、資源を持つ途上国に重点援助をし、自国の資源獲得に役立てている。日本はまじめで誠実であるということができる。

援助の目的は途上国の自助努力を後押しすること
我が国の援助の基本哲学は「自助努力支援」である。途上国自身が自分で発展を担うことができるようになるために援助するのである。
道で物乞いをする貧しい人がいたとしよう。可哀想だと思ってお金を恵んであげても、その人は自立できないばかりか、ずっと援助を必要とするであろう。だからその人にお金を渡す代わりに、職業訓練をして自立して生活できるようにすることが重要である。

日本は、「人造りは国造り」という考えのもとに、単に援助物資を供与するだけでなく、人材育成を重点政策としている。日本の援助実施を主として担うのが国際協力機構(JICA)という大きな独立行政法人だ。
JICAはこれまで、約13万6千名の日本人専門家や4万7千名のボランティアを途上国に派遣し、世界中の途上国から約54万人の研修員を日本に受け入れてきた。日本人の専門家や技術者が直接途上国の技術者と一緒になって技術を伝え、自立を支援するのである。
支援は農林水産業、鉱工業、土木、教育、医療、法制度整備、情報(ITC)などあらゆる分野に及び、日本人を通じて「顔の見える」援助を行っている。

【プノンペン中心部のトンレサップ河の水上生活者】

多彩な援助手段をもっている
日本には、無償援助(病院、上下水道施設などを建設する資金や技術を提供したり、災害の際の緊急援助物資の提供や途上国で活動するNGOへの資金提供などもある)、有償援助(通常「円借款」というが、超低金利で融資をして、道路、港湾、通信設備などの途上国のインフラを整備する事業など)、技術協力(人材育成・技術移転など)、国際機関への拠出(世界保健機構(WHO),ユネスコなど途上国支援に携わる国際機関の資金を支援)など幅広い援助手段がある。これらを組み合わせながら、相手国に最もふさわしい支援を提供するように努めている。
有償援助ではなく無償援助を中心に活用する先進国や逆に融資を中心に援助する国もあるが、多くの手段を相当の規模で保持している国は少ないのである。

相手国の意向を尊重して相談しながら援助する
カンボジアのところ(第13話)で述べたが、相手国政府の担当者や技術者と相談しながら、相手の要望に合った援助をするのは日本が最も優れていると言える。
先進援助国には、専門家やコンサルタントが処方箋を書いてプロジェクトを実施するようなやり方も少なくないが、日本はプロジェクト形成のための調査から処方箋作成、実施段階まで相手国の担当者と一緒に相談し議論し協働して、そのプロセスを通じて途上国担当者の能力向上を図る方式を用いている。
第13話で話した民法の法制度整備もこの方式で成功した好例だ。「日本的アプローチ」ともいえ、相手国から高く評価されているだけでなく、第三者である他の援助国からも敬意を受けている。

インフラ整備を通じて持続的経済成長を目指す
あたりまえだが、道路や橋や港湾施設などインフラを整備するのは相当お金がかかる。だから、援助をする先進国でもインフラ整備までも手掛ける国はあまり多くはない。カンボジアのシハヌーク前国王は、日本が他の国があまりやってくれないインフラ整備をしてくれることに繰り返し感謝してくれた。

日本がインフラ整備に力を入れるのは、自らの経験が背景にある。
どの国であれ、道路、港湾、電力、通信施設などが整ってくると、企業など民間の経済活動が活発になって発展が加速する。
我が国は、戦後破壊された街や道路などを徐々に復興させていったが、とくに東京オリンピックが開かれた1964年以前の数年間で、高速道路や新幹線を張り巡らし都市に地下鉄をつくっていったが、これがその後の飛躍的高度成長に繋がった。

当時、新幹線や高速道路などの建設には世銀など海外の援助を受けた。日本のODAは 初期の段階から、相当規模の無償資金、有償資金を活用してタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンなど東南アジア諸国のインフラ整備を支援した。そして、これがこれらの国の経済発展を促していった。1970年代〜80年代の東南アジアの経済発展には日本のODAが重要な寄与をした。

筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第18話 平和主義国、日本

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第18話 平和主義国、日本

世界でもまれな日本の平和政策
第2次大戦では軍国主義に走ってしまった日本は、戦後は一転して平和憲法のもとで戦争放棄を宣言し、ひたすら平和主義の道を歩んできた。平和を国是とし、それを実現するために日米安保条約を整備しつつ、自らの行動は様々な政策によって縛ってきた。

その主なものは、非核三原則、専守防衛、武器輸出三原則などがある。すなわち、核兵器を持たず、造らず、持ち込ませずの政策を堅持してきたし、専守防衛だから弾道ミサイル、戦略爆撃機、航空母艦などの攻撃的兵器は持たず、また、防衛費も国民総生産(GDP)のほぼ1%に抑えてきた。

国論が二分されるほどの議論を経て国会で採択された国連の平和維持活動に協力するための法律(PKO法)によって自衛隊の海外派遣が可能になったが、この法律でも自衛隊が戦闘に巻き込まれないために厳格な5原則をつくって自らの行動を厳しく規制した。
イラクの復興を支援するための特別措置法においても、イラクにおける自衛隊の活動を真に民生支援に限定するため詳細な規定を定めた。他国が戦闘部隊を派遣する中で、国際的には軍隊と見られている自衛隊が、一発の弾丸も発せず、一人の人も殺さず、ひたすら安全な水の供給、民間のインフラ整備、医療支援に徹して帰ってきた。こんなことは世界が驚嘆するほどで、イラクだけでなく、他国からも高く評価されたのである。

日本は、自分の行動を縛るだけでなく、国連などの国際的な場で戦後ずっと平和外交を推進してきた。その良い例として、国連総会における核廃絶決議がある。
核兵器を究極的に廃絶しようという日本の呼びかけは当初核保有国であるすべての常任理事国から強い反対にあった。日米安保条約に基づいて日本に核の傘を提供するアメリカも強く反対した。
しかし、日本は核兵器は究極的に廃絶されるべきと主張し、多くの国々に働きかけて国連総会で決議を採択させた。日本の主導により、20年余り継続して核廃絶決議を成立させてきたが、今や多くの国が日本の考えを支持している。

世界で唯一の被爆国として日本は幅広い活動を展開してきたが、核兵器に限らず、通常兵器や化学兵器を含む大量破壊兵器の軍縮や不拡散に向けて多くの国と協力して決議や条約の成立に貢献してきた。

日本人自身があまり知らないのは残念だが、国際社会では日本が平和主義外交を積極的に進めていることが広く認知されているのである。これは、外交面における日本のブランドと言ってよいほどである。
yellow daffodil


日本人の平和意識
世界を見ると、戦争や紛争が絶えない。世界大戦を含めたくさんの悲劇的な戦いを繰り返してきたので、もう絶対戦争は止めようという気持ちはだれにもある筈だが、いつまでたっても戦争は続く。米ソ二超大国による冷戦時代が終わった後はむしろ地域的な紛争や民族間の抗争が増えている。イスラエルとパレスチナも何十年にわたり同じ殺し合いを繰り返してやまない。多くの国が軍事力強化に走る中でも日本はこれまで平和外交を進めてきた。
自らの行動を縛って非軍事に徹底しようとする日本の活動は世界ではまれな例である。防衛力強化を主張する国内の論者は、これを「核アレルギー」とか「島国の平和ボケ」と批判することもあるほどだ。

私は、日本人はもともと争いを好まない気持ちが他国の人々以上に強いと思う。だから、軍の指導者に引っ張られて戦争の道に入ってしまい、最後は米軍の空襲や原爆投下によって国土が焦土と化したことを悔やむ気持ちは非常に強く、これが世界にも珍しいほどの平和主義政策が支持されてきた背景にあると思う。
安倍政権が推進する憲法改正や集団的自衛権の行使容認について、いまでも反対や消極的姿勢が国民の過半数に見られるのは、このような日本人の気持ちの反映だろう。
国際社会の現実を直視する必要はあるが、どの程度まで防衛力を強化すべきかの観点からは、日本のこのような平和主義志向は必ずしも悪いことではないとも思われる。


曲がり角にきたか、日本の平和外交
もちろん、国の防衛は世界情勢の変化と無関係ではいられない。日本を取り巻く安全保障の環境が近年大きく変化している。
北朝鮮はつとにミサイルや核兵器を開発して周辺国に脅威を与えている。何より懸念されるのは、中国が経済力を背景に継続的に軍事力を強め、最近は周辺国の反対を意に介せずアジア太平洋地域で軍事的プレゼンスを強化していることがある。
さらに、我が国の安全保障はアジア太平洋地域だけに限らず、中東、アフリカ、インド洋における海賊や難民の流出、武器密輸、「イスラム国」などの過激派武装勢力の活動などからも影響を受ける状態になった。どこにいても世界は安心だというわけにはいかなくなっている。

だから、防衛体制を整備する必要がある。我が国は軍事大国にならないことを誓っているのだから、先ずは、日米安保体制を強化することが合理的である。しかし、自国を守るのにすべてアメリカ任せにはできないから、日本も応分の努力をしてアメリカと協力して自国を守らざるを得ない。

安倍首相は、そうした見地から次々と新しい政策を実施しつつある。まず、集団自衛権行使を可能にして、日本を守ろうとする米軍が攻撃を受けたときは日本に対する攻撃とみなして自衛隊が米軍を助けることができるようにした。
アジア太平洋以外の地域でも日本にも重大な影響を及ぼす事態が生じたときには、日本も自衛隊などを派遣して他の国と協力してこれに対処することを目指して必要な法律をつくろうとしている。武器輸出三原則も改定して、一定の条件のもとで他国と防衛装備の共同開発や装備の海外移転を可能にした。

安倍政権は「積極平和主義」を唱えつつ実態的には安全保障面での日本の行動をこれまでよりずっと積極的なものにさせようとしているように見える。この新しい防衛政策が意味することは、自衛隊の活動範囲が地理的に大幅に拡げられ、自衛隊の国際的役割がかなり大きくなることである。
こうなると、自衛隊や日本国内の基地などが他国から攻撃される蓋然性は相当程度高くなる。防衛装備の開発や輸出も国内外の防衛産業の後押しでさらに拡大されそうだ。軍備増強は殆ど必然的に拡大していく。

朝鮮半島や中国の動向を見るに、集団的自衛権の行使容認は理解できるとしても、どこまで実態的に自衛隊の活動を認めるかによって、日本への影響はかなり違ってくる。
これまでは戦闘行為を避け、後方支援のみに限定してきた自衛隊が戦闘行為に関わらざるを得ない場面が増えていくことが予想される。戦闘行為では必然的に兵士や市民の死傷を伴う。自衛隊も国民も新しい事態を十分認識して覚悟できているのだろうか。

さらに、国際的にはもう一つ大きな問題がある。平和外交を推進し、専守防衛を唱えてきた「平和主義の日本」のブランドが変質をもたらす可能性が高いことである。

こでまり他


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外交官 第17話  日本は世界から尊敬される大国である

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
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丸の内柔道倶楽部
外交官

第17話 日本は世界から尊敬される大国である

日本人は謙虚であることや世界的視野に乏しいこともあって、世界の中での自分の身の丈をあまり認識していないようだ。しかし、日本は客観的に見ても「大国」であるし、実際世界からもそのように見られている。

「大国」の基準が明確に定まっているわけではないが、一般的には、人口、経済力、軍事力などから判断されることが多い。これらの要素について見ると、人口減少期に入った日本には現在約1億2600万人ほどの人口があり、世界ランキングではロシアに次いで第10位である。

国民総生産(GDP)で計った経済力は、ご存じの通り、最近中国に追い抜かれたとはいえ、まだ、アメリカ、中国に次いで3位だ。

科学技術も日本は世界有数の高いレベルにあるので、経済力の質に厚みや重みを加えている。この人口と経済力からだけしても、もうれっきとした大国の資格がある。

防衛力(軍事力)はどうかというと、軍事力の計算基準が複雑なので難しい。日本は平和憲法のもと「専守防衛」を唱えて核兵器を含め攻撃的兵器を持たず、防衛費をGDPの1%程度に抑えてきたが、世界第3位の経済力の1%というのは、客観的にはかなりなものだ。装備品に最新鋭のイージス艦やミサイル防衛システムなども備えている我が自衛隊に対して近隣国が警戒感を持つほどだ。

だから、物理的に見て日本が大国であることは紛れもない事実である。しかも、私に言わせれば、それは単に大国というだけでなく、世界から尊敬されている大国である。

日本より大きいアメリカ、中国、ロシアなどは世界から尊敬されているかというと、そうでもない。民主主義国で、科学や文化が発達しているアメリカに対しては多くの国が敬意や親近感を抱いているが、それでもアメリカが嫌いだったり反発する国の数はかなり多い。腕っ節(軍事力)が強くて尊大な姿勢をとるロシアや中国への反発や警戒心を持つ国も少なくない。いずれも、外交・軍事政策や相手国に接する姿勢などが他国の反発を呼んでいる場合が多い。

ところが、日本は世界の殆どの国から好意的に見られ、さらには高い尊敬を受けている。なぜかというと、一定の防衛力(軍事力)は持っていてもそれを振りかざすこともなく平和憲法のもと専守防衛に徹して攻撃はしない。何事にも相手国と真摯に向き合い誠実に接する。

援助(ODA)においては、政治的意図はなく途上国をあまねく支援し、高い技術力を持ってそれを好意的に途上国に移転しようとする。そして、一方的に技術移転を図るのでなく、相手国と相談しながら、相手国の自立のために人材養成に力を入れる。

ビジネスにおいても、誠実に交渉し、納期を守り、問題が起こればアフターケアでしっかり対応する。

またあとで述べるが、日本は世界に稀な文化大国である。歌舞伎や能などの古典芸能、浮世絵、書画などの美術、すし、和食などの食文化、若者が好きな漫画・アニメやポップミュージックなど実に幅広い分野で世界中の人を惹きつけている。

ひっくるめて言うと、軍事力でなく、科学技術、援助などの分野で他国に協力し、文化や融和的な人間の資質などで他国の敬意を勝ち取っているのである。
これらの経済技術力、平和主義、ODA、文化力などは日本のブランドともいうべきで、このような多様なブランドを兼ね備えた国は他にあまりない。日本より大きな「大国」も日本を真似できない。いわば、個性的日本が世界を惹きつけているのである。

政治や外交の面では現在関係がうまくいっていない中国や韓国においてさえ、このような「ソフトパワー」のある日本や日本人に好意的関心や親近感を持つ人たちは非常にたくさんいることも事実である。

多くの日本人自身はこうした事実を知らなかったり意識するには至っていないが、私はこれまで世界中の人々に接して、日本のこのようなブランドを強く感じ、また誇りに思っている。

次回以降ではもう少し具体的にお話してみたい。


筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第16話  現場に行かなきゃわからない(その4)現場に行けば物事の全体像、将来像が見える

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第16話 現場に行かなきゃわからない
(その4)現場に行けば物事の全体像、将来像が見える

その他、いろいろ例は挙げられる。
長くなるから簡単にするが、モスクワ勤務時代にゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ(変革)」政策を掲げて様々な新しい政策を実施し始めた。
その一例として、極東のナホトカに経済特区を設置することを決定して外国企業に熱心に進出を働きかけた。とくにナホトカに近い日本にも強く勧誘してきた。当時経済を担当していた私にもソ連共産党や経済省の幹部が執拗に日本企業に進出を呼びかけてほしいと迫り、「まごまごしていると他の国の企業にとられるぞ」「バスに乗り遅れるぞ」などと警告を繰り返していた。

そこで、大使館の経済担当の責任者として私も特区の予定地を見学に行った。飛行機やシベリヤ鉄道を乗り継いでナホトカに行って予定のホテルに泊まると仰天した。あまりにもみすぼらしいホテルだったからだ。お湯の出具合からシャワー、バスタブ、トイレなどの施設の不具合やタオル、石鹸、トイレットペーパーなどの備品の信じられないお粗末さ。
これがナホトカ市ナンバーワンの外国人用ホテルだそうだ。

経済特区を作ると言っても、周辺には電力、水、通信、交通などのインフラは皆無に等しいくらいで、これまた驚愕の惨状であった。ソ連の当局は、特区を作れば外国企業が殺到して俄かに産業が発展すると思っている節がある。日本企業も多くがモスクワに支店を置き各地を調査などしているが、ナホトカに投資などまだとんでもないとの認識だった。

現場を見てモスクワに帰ると、ソ連政府からまた、「日本はバスに乗り遅れるぞ」と言ってきたので、私は、「あなた方のバスは、窓も破れタイヤもパンクしているので乗っても走らないではないか」と答えてやった。

ペトローバ、ダリニー付近(1989.5.9.)
【ペトローバ、ダリニー付近(1989.5.9.)】


1990年代末の旧ソ連のペレストロイカ時代には外国人の移動もある程度緩和されたこともあって、私は出来るだけ機会をとらえて国内を旅行した。
興味深かった経験は、モスクワで使う私用車(トヨタ・カローラ)をフィンランドで引き取るよう赴任前に予め契約をしておいたので、赴任後しばらくして休暇を頂いて飛行機でヘルシンキに飛び、そこから引き取った車を自分で運転してモスクワに帰ることにした。これによって、千キロ以上のソ連の国道を走りながら周辺を観察することができる。興味津々だ。

実際、実にいろんなことが分かり、また監視していた官憲から激しい取り扱いを受けるなど、この国の仕組みについて貴重な経験もした。
当時のレニングラード(現サンクトペテルブルグ)とモスクワを繋ぐ幹線道路の穴ぼこの多い未整備な状態、道路を走るトラックなどの荷量の少なさ、車は老朽化したソ連製ばかりで、車輪の回転がブレてよれよれに走っている。そんな車の数が何と多いことか等々、ソ連経済社会の当時の状況について多くの興味深い様相を目撃した。

とくに参考になったのは、ソ連の国土のあまりにも広大なことを実感したことだ。そして、道路にしろ、鉄道にしろ何千キロもの距離を輸送するためのインフラが大変老朽化していて、その修理もままならないこと、さらには、この広大な国では人口の集中はごく僅かな都市に限られ、全体的にはすごく過疎化されている。
資源はあってもその採掘は寒冷地などではコストがかかるし、おまけに資源の所在地と生産地と消費地が何千キロ、何百キロと離れていることが分かった。要するに産業の発展に必要な資源、生産、消費を集積させることが困難な地勢なのである。

私は、その後の経験も含め、ソ連(現在のロシア)では将来にわたって産業を振興・発展させることが極めて難しいだろうという認識を得たが、この時の観察が役に立った。現に、その後のロシアは石油価格の上昇のお蔭で経済は随分良くなかったが、今でも産業構造の改革は殆ど出来ていない。

2000年の12月にカンボジアに赴任した際に、1年間でカンボジアの全県を回るとの方針を決めた。実際実行してみると、なかなか難しい。道路が寸断されていたり、デコボコでぬかるんでいたりで、四輪駆動でも走れない道がたくさんある。鉄道はほとんど使えないし、飛行機も路線は極めて僅かしかない。
だから、ある時はイギリスのNGOと提携してジープに載せてもらったり、ある時は民間のヘリをチャーターしたり、さらには老朽化して今にも墜落しそうなカンボジア軍のプロペラ機に便乗させてもらったりで、とにかく1年間での全県踏破の目的を達した。

これによって、カンボジア全土の地形・気候や地勢的条件、地雷の埋没地域、洪水や干ばつの発生状況、道路の状況、農業の状況などが分かり、最大援助国の日本として、どのような支援をどのような優先度で、また、どのようなアプローチで行うべきかについて、イメージを持つことができた。
これが、カンボジアの首相や担当閣僚との議論や外務本省への進言に大いに役立った。関連文書の精読や経済指標ももちろん必要だが、現場の観察は我が国としての援助政策策定に大いに役に立った。

これらは、いずれも古い話であるし、緻密な学問的研究調査でもない。しかし、現場に行くと全体像や将来像についてそれなりの「感覚」を掴むことができる。

現場を見ることが情勢判断や将来予測に大いに役立つ。
外交官時代、このことを確信して行動をしたが、それが間違っていなかったと自負している。



筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第16話  現場に行かなきゃわからない(その3)中国南西部地方で感じた長期成長の胎動

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第16話 現場に行かなきゃわからない
(その3)中国南西部地方で感じた長期成長の胎動

これももう20年前ぐらいの経験であるが、外務省の国際情報局に所属してた時、情報収集・分析活動のテーマのひとつとして、中国の経済発展の持続可能性の問題を取り上げた。

当時、香港に接する深圳などの中国沿海部の都市が目覚ましく発展して中国全体の経済発展振りが注目されていた。

広州珠江の朝(1996.8.16.)
【広州珠江の朝(1996.8.16.)】


しかし、様々な問題も予見され、とくに都市と地方の大きな格差が中国の持続的成長の足かせになるだろうとの指摘もあった。とくに南西部の地方の遅れが取りざたされていたので、私は、現場に行って関係者と会い、またあちこち視察することとした。
西安、西都、重慶、雲南などの内陸部都市や周辺の村落を見て周った。
1週間余りの視察や現地関係者との面談で、私は、「中国の経済発展は、種々問題はあっても今後相当期間持続するであろう」との感触を得て、報告書をしたためた。

そう考えたのは、主として次のような理由による。

ヽ里に北京から遠く離れた内陸部の発展振りは沿海部や北京と比べれば相当遅れてはいるが、90年代半ばの時点ですでにこの地域の各都市では凄い建設ブームが起こっていた。
「資本がないから発展が遅れるだろう」という観測に反して、建設ブームを支える資金は東南アジアにいる華人たちから来ていることが分かった。それも、一部の地域だけでなく多くの地方都市に華人資本が入ってきているようであった。

地方の官憲と話をすると、それぞれの地域の弱点や問題点を認識して、我々から見ても適切だと感じられる対策を種々とろうとしていた。

I呂靴ぢ射遒如⇔磴┐弌▲▲劵襪筌チョウを飼育して商売している農家を見ても、その家禽や豚などの数が半端ではない規模である。膨大な人口をもつ中国の胃袋は巨大であるから、農業を営む者にとっても大きな需要を期待できる。全国的に流通面で障害はあろうが、近隣の都市に輸送すれば、相当いい商売ができるように思われた。

っ亙の都市を歩いていると、夜遅くなっても店は開いていて、そこに多数の家電製品、オートバイ、衣類、子供用品などの商品が豊富に出回っていて、多くの人が品定めをしていた。購買力のある層もかなりいるのだろうと推測できた。

ヌ訝戮通りを歩いてみると、子供たちまで動員してひとつでも多くの物を売ろうとする道端の商人たちと買い手の交渉もよく目にした。旧ソ連時代の全くやる気のないロシア人の姿勢から見ると、中国人のこの道端を這ってでも金を儲けようという商人魂に強く印象付けられた。

広州楊堤付近漓江6景の1(1996.8.19.)
【広州楊堤付近漓江6景の1(1996.8.19.)】


こうして現場を見ると、遅れているはずの地方にも、資本と言い、行政と言い、経済活動を担う庶民に至るまで、強いエネルギーが存在し、これが経済発展を持続させるうえで重要な要素になるであろうと感じた。

実際、その後の中国の経済発展はずっと持続してきた。
現場で得た感触も間違ってはいなかったとの思いが今でもある。



筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第16話  現場に行かなきゃわからない(その2)フィリピンでは全国的な蜂起は起こらない?

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第16話 現場に行かなきゃわからない
(その2)フィリピンでは全国的な蜂起は起こらない?

フィリピンに勤務したのは1979年から2年半近くであるから、随分古い話になる。

当時は長期政権を維持したマルコス大統領の全盛期を過ぎた頃である。強権を誇った大統領だから批判や抵抗も多いのは当然だ。首都マニラでは野党が常にマルコス批判を展開し、市民活動家も反マルコスの集会を開いたり、それに関連していくつかの事件なども起こった。政策が民主的でないとの海外メディアの非難も常にあった。

特に外国メディアは、このままでは各地に大統領への反発が広がってゆき、いずれは全国的規模で国民の反乱が起きるだろうという観測も活字になって欧米で報道されていた。マルコス大統領はこうした「西側プレス」の報道に苛立ち、外国プレスは事実を見ていない、偏向しているなどと批判した。

大使館で働いているので、大統領や政府高官との公的な接触も多いが、ときどき密かに野党の党首や幹部、市民運動家たち、さらには市井の状況に詳しいカトリック教会指導者にも会って情報収集した。マルコス批判の野党の指導者たちは声を潜めて「今に凄いことが起こるぞ」などと特ダネ的な情報を伝えてくれたりもした。

マニラで生活している実感からすると、政権は安定していてどうも崩れそうにない。いったい実際の情勢はどうなのか。それを分析するのも大使館の仕事である。

未知の場所を見てまわるのが大好きな私は例によって、ときどき週末や休暇を利用してあちこちを見て回った。まともな宿泊所もないようなところや、食べる物の衛生状況が心もとないところもあるが、いろいろ見て回れば国の状態がわかるし、とても面白い。
「全国的に暴動が起きる」などという観測を耳にすると、どうしてもそれを確かめてみたくなる。そこで今度は大使館内の手続きをとって、国内事情視察のため他の島々への出張を申請し許可された。

フィリピンは7000余りの島々からなる国である。最大のルソン島でさえ、道路などのインフラが悪くて行けないところもある。例えば、前年の年末年始の休暇は、ルソン島の南西部に白砂の美しい海岸があるという情報をもとに、その小さな村に行って過ごした。

マニラから車で近くの海岸に辿り着いたが、その美しい砂浜に行くには道路がズタズタで車が通れない。そこで近くで遊んでいた子供たちにお駄賃をあげて、3〜4日間しっかり車の番をしてもらうように頼んだあと、小さな舟を雇って海岸沿いに移動して目的の砂浜に着いた。白砂のとても美しい小さな浜だった。金持ちらしい人のヨットが2,3艘沖に停まっていた。
「いいところへ来た」と喜んだが、そこには電気もない。ホテルといえるものもないが、丘の上に蚊帳を吊って眠れる家まがいの建物があった。ホテルもないどころかレストランもないが、浜辺に魚などを焼くカマドみたいなものがあり、そこで調理できる。

聞いてみると、魚などの食材を売ってくれる村人もそのあたりにいた。新鮮な魚を村人から買って自分で焼いて食べてみると実に旨い。コメのご飯も近所の付近の人から調達した。
電気もないので丘の上の宿舎に行くには松明が足元を照らす小径を辿っていくのである。夜は満天の星が輝く空を眺めて蚊帳の中で眠る。蚊に刺されないように気を付ける必要はあるが、実にロマンティックである。

電話もない。もちろん携帯電話が登場する遥か前のことだから、マニラとの連絡は不可能である。緊急事態が起こったらどうなるのか。私は総務担当一等書記官だったから、今だったら、危機管理上問題ではないかとのお叱りを受けるだろう。でも、休暇を取っての旅であるし、マニラには当番の同僚はいるから大丈夫なのだ。

どこからも連絡の来ない孤立した海岸。そこで世事に煩わせられず、ゆっくり泳いだり、海岸を走ったり、浜辺をスケッチしたり、来年のことに思いを馳せたり、砂浜で地元の食材での自炊。実に貴重で優雅な時を過ごした。

White Sands, Batangas, Phillipines (1979.12.31.)
【White Sands, Batangas, Phillipines (1979.12.31.)】


美しい砂浜のある陸の孤島の話でちょっと脱線したが、それはフィリピンの当時の状況の一端を物語るものでもある。
話を本題に戻すと、国内出張の許可を得ての地方視察は有益であった。「全国的な反マルコス運動は起きるのか」というテーマを念頭に、いくつかの遠隔の島々を含め視察して回った。

フィリピンは貧しい国である。(マニラには当事から近代的な高層マンションや5つ星のホテルや高級なオフィスがあったが、全国的にはとても貧しい。この国のガバナンス(統治の形態)が悪いので今日でも貧富の格差が大きく、貧しい層に経済発展の恩恵はなかなか届かないのだろうと思う。)

それはともかく、島々を回るといろいろなことがわかる。
人々は貧しいことは貧しいが、実に幸せそうに生活していることに印象付けられた。どこに行っても、碧いきれいな海が見える。白い雲が動き、海風が心地よい。人々は、手作りなのだろう、木を組み合わせて骨格を作り、周りをヤシで葺いた高床式の家に住んでいる。子供たちは古くて破れかけたようなパンツ1枚で、裸足だ。日に焼けた顔や上半身はとても健康そうで明るい。家の周りには、豚や鶏が放し飼いされて飛び回っている。子供がそれを追いかけたりして遊ぶ。

一家に子供たちは数人いるのが普通だが、高床式の「家」で家族全員が雑魚寝をして過ごすのだそうだ。孤島では周りには店や仕事場のようなものは見当たらない。

何軒かの家のお父さんかお母さんに、「どんな生活をしているのですか」「どのように生計を立てているのか」などと聞いてみた。おおかた次のような答えが返ってきた。

ヤシの実をとってきて、先ずそのジュースを飲む。栄養が豊富だ。それを割って、内側の白い油の部分を掻きとって集める。溜まると南京袋に詰めて村で売ってくる。ご存じの通りこれはヤシ油の原料になる。外側の殻の部分は割って乾燥させて煮炊きの燃料にする。ある程度の金が必要な時は、放し飼いにしている豚か鶏を村で売って、その金でコメその他の必需品を買う、などなど。バナナなど果物は豊富で、手軽にどこかでとって来れる。魚は釣るか小舟で自ら獲ったり、あるいは漁師から分けてもらうか買う。

なるほど、気候が良いから寒さもないし衣料もさほどカネはかからない。履物だって村の日常生活では裸足かゴム草履である。コメが買えて魚などそれなりの食糧が手に入るので餓死することもなく、家族はのんびりと結構幸せそうに生きている。

フィリピン・Ormoc 風景(1980.10.22〜23.)
【フィリピン・Ormoc 風景(1980.10.22〜23.)】


大きな島には舗装道路もあるが、島々を結ぶ橋などはない。7000以上もある島で構成されるこの国においては全国を貫通する道路はなく、フェリーもごく一部にしか就航していない。当時はGPSなどの通信手段もないし、いわんやインターネットもない。
一部で無線は使えても通信は全国的には島々によって分断された状態にあった。すなわち、交通や通信手段が海によって妨げられていたので、政治的な反マルコス運動がマニラを司令塔として全国的に連絡し合って展開することは到底できないことが島々を回って実感した。

おまけに多くの離島では、人々はある程度「食」も足りて貧しくても平和に暮らしている。全国的に団結して反政府の反乱がおきるとは到底思えず、この旨を出張報告に入れて大使館を通じて外務省に送った。

幸い、今日に至るまで全国規模の反政府運動は起きていない。 現場を見ることは、現実的に物を見るのに役立つと今も思っている。



筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第16話 現場に行かなきゃわからない (その1)社会主義体制の崩壊を予言(2/2)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第16話 現場に行かなきゃわからない

(その1)社会主義体制の崩壊を予言(2/2)

結局40日間に及んだ東欧の旅の印象はというと、もちろん国々によって差はあるが、東欧は全体として、事前のイメージ通り社会の雰囲気がとても暗かった。溌剌とした活発さに欠け、澱(よど)んだ空気がある。それはフランス、イギリス、ドイツ、ベルギーなど西欧諸国と比べると気の毒なほどだ。

旅行を振り返ると、澱んだ空気の原因は、一口で言うと、人間を抑圧する社会体制からくるものだと感じた。そこにいると圧迫感があるのだ。

第一に、外国人だけでなく国民をも監視し警戒する当局の存在が感じられる。最初の社会主義国チェコスロバキアの国境に達したのは、たまたま1968年のチェコ事件(自由を求めた「プラハの春」を鎮圧するためワルシャワ条約機構軍が侵攻した)から2年目の日の前夜だったこともあって、国境での警戒は厳重であった。

国境で追い返された人たちもいたが、私は外交ビザだったためだろうか、何とか通過できた。しかし、銃を肩にした兵士が何人か立っていて、ふたつもある踏切で止められて、その都度持っている書類や車などを時間をかけて調べる。
1時間半ぐらいかかっただろうか、ようやくOKが出て二つ目の踏切を通り過ぎたときは、正直ほっとしたのである。身近に銃を構えた兵士が立っていると威圧感がある。結果がどうなるか案じられる長い待ち時間。最初から、貴重な経験だ。

チェコを過ぎてハンガリーの片田舎を通っていたある日の夕方、村の広場に祭りのような人だかりを見た。面白いと思って車を止めてブラブラ見て歩いた。ここでも軍服の兵士があちこちにいた。
最初は祭りの作業を手伝うためかと思ったが、やはりここでも銃を肩にしながら、ときどき顔を前後左右に回しながらゆっくり歩きまわっている。やはり村人たちを監視している風情だ。言葉がしゃべれれないので聞くこともできないが、人が集まるところを警戒しているのだろうと推測した。

ルーマニアの地方都市で宿屋を探すため市役所みたいなところに行くと、思いがけなく民宿を紹介してくれた。これは面白いと思って、住所をもとにその家に行くと、感じのいいおばさんが出てきてフランス語で話してくれた。その日は客は私一人と言っていたのだが、荷物を部屋において街をぶらぶらしてから戻ると、もう一人「客」が入っていた。
その人もフランス語で「自分はどこどこで教師をしている」と自己紹介しながら、やけに親しげに話しかけてくる。私のことをいろいろ聞いてくるので、もしかしたら調べられているのかもしれないと思った。

この宿のおばさんとは親しくなり、フランスに戻った後も2,3度文通をしたが、ある日ぷっつりと先方からの手紙は来なくなった。なぜかは知るすべはないが、あれだけ楽しそうに手紙を書いてくれた人が突如音信不通になるのは、おそらく検閲をしている当局から外国人との文通を禁じられたのだろうと、勝手に推測した。

もうひとつ、実はルーマニアには、その前年にフランスのツールにある外国人向けのフランス語学校で知り合った友人がいた。地方の町出身で、聞いていた住所を訪ねると、家族ぐるみで温かく迎えてくれた。質素ながら家庭で御馳走になったが、話をする際にときどき周りを気にしながら、小さな声で話すのにすぐ気が付いた。やはり盗聴などを気にしているのだろうと思った。
ルーマニアはその当時から国内的締め付けが最も厳しい国だったのだ。外国人を家に呼んだりすると当局に眼をつけれられるのではと心配して、こちらも落ち着かない気持ちだ。

そのルーマニアの南西部の大きな地方都市で食料品店を覗いてみた。別に何か買うためではなく経済の発展度を見るためだったが、やはり驚いた。決して小さくはない店の棚には空いたスペースが多く、並んでいる商品ときたら、色あせたラベルが貼ってある古そうな缶詰や瓶詰ぐらいだ。果物もあったが、これも古びたものだった。
先ほど述べた民宿のおばさんは、私が持っていた普通の日本製の品々を見て何でも「素晴らしく美しい」と言い、目を輝かす。例えば、小さな旅行用の目覚まし時計を見ると、是非売ってほしいと懇願された。熱心に言われたが、その後の旅に必要だったのでお断りせざるを得なかった。お金はそれなりにあっても、買う物が少なく、物があったとしてもその品質やデザインは自由諸国の物と比べて、著しく劣っていた。

チェコスロバキア以南の共産圏諸国は経済の発展度はそれぞれ違うが、国内の政治的な統制や絞めつけの度合いに比例して経済の発展に違いが見られた。ハンガリーやユーゴはある程度の自由があったせいか、経済の発展度や色などを含めた街の雰囲気の「明るさ」などは他の国より進んでいた。

もっとも「暗い」のは言わずと知れたルーマニアだった。盗聴されているのではないかと周りを不安げに見まわす人たち。古びた食品がまばらに並ぶ食料品店の棚などなど。あの独裁者チャウシェスク共産党書記長が君臨した時代であった。ソフィアの街は晴れていても心理的な雰囲気は実に暗い。明るい色彩はなく、古めかしくイカツイ建物の上部には赤い布地の上に共産党のスローガンが大きく掲げられていた。
地方の道路には車が非常に少なく、たまに馬や牛が荷車を引っ張っているのが見えたり、道路を横切るガチョウの一団に出くわしたりする程度だった。

最後の社会主義国のブルガリアも、ルーマニアに次ぐくらいに暗い雰囲気であった。ブルガリの国境を抜けてギリシャの北東部のテサロニケに入ったときは、太陽が急に明るく温かくなったのを感じた。「おお、やっと自由の国に来た!」と叫んでしまった。何か身体全体にのしかかっていた重圧みたいなものが急になくなって、心が浮き浮きしてきたのを感じたのだ。

東欧の街を周り終ってみた強い感想は、「共産主義・社会主義の体制は人間性を抑圧している」「だから、社会主義体制は必ず滅びる」というものだった。1970年の夏のことである。

ときは移ろいて、1989年の旧ソ連邦時代のモスクワ勤務の時。1985年に就任したゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」政策を推進し、それまで強権で抑えられていたソ連社会が少しずつ民主化され、市場経済が導入されたことにより、流動化してきた。
それが東欧諸国に波及して自由を求める声が広がり、1989年、ついにベルリンの壁が崩壊した。歴史の大きな変化であった。ベルリンの壁の崩壊は、社会主義の崩壊である。モスクワが震源地となって民主化が東欧に浸透したことによって、人間を抑圧していた体制がついに崩れたのだ。

「社会主義体制は必ず滅びる」という19年前の確信が間違っていなかったことを、震源地のモスクワにいて実感して感慨が深かった。現場を見たから予言できたのではないか、一人で密かに思っている。

キシネフのインツーリスト・ホテルから見た街(1990.2.9〜12.)
【 キシネフのインツーリスト・ホテルから見た街(1990.2.9〜12.)】



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【小川 郷太郎】
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外交官 第16話 現場に行かなきゃわからない (その1)社会主義体制の崩壊を予言(1/2)

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第16話 現場に行かなきゃわからない

2、3年前、若い人のグループに海外に行くことに興味あるか聞いたとき、「いやあ、今はインターネットで何でもわかるから、行きたいとは思いません」と答える人がいた。それに続けてもう一人の若者は、「日本は何でも便利だから海外旅行に興味ありません」と熱意のない声で付け加えた。

インターネットで何でも分かるというのは、実はとんでもない誤解だ。確かにキーワードを入れるとインターネットは何でも教えてくれるが、それで分かったつもりでいると判断を誤ることになる。

インターネットも新聞やテレビの報道も複雑な事象のごくわずかな一部分しか伝えてくれないからだ。

そもそも報道は、事件など日常的でないことを一生懸命知らせる。誰かが悪いことをすると、その人をいかにも悪い奴だという感じで報道をする。多くのメディアが競争で報じるので益々そのイメージが広がっていく。
中国や韓国で反日デモがあると、メディアは一斉に報道するので、それを見ていると中国や韓国の国民全体が反日だと思いがちである。そういう時、日本が好きで、日本のいいところを知っている多くの人たちの行動や気持ちは殆ど知らされないから、全体像を見誤ってしまう。

インターネットもある事柄についての知識は与えてくれるが、周囲の景色、現場の雰囲気や空気まではわからない。離れたところにいる人々の気持ちや息づかいなどはとても知ることはできない。
だから、現場に行くことがとても重要になる。実際行ってみると予想しなかったさまざまなことに気付き、全体像把握に大いに役立つことになる。

もともと、私は未知の国に行くのがとても好きだった。初めての国や土地に足を踏み入れるときはワクワクと心が躍った。途上国の片田舎に行くと、水がなくてシャワーも浴びられないとか、落ち着いて手洗いが出来ないところも少なくない。食べる物の衛生状況が心配なこともある。でも、そういうところで生活しているのは同じ人間だと思えばいい。

結局はそこに行かなければ何もわからない。行けば、そこに住む人々の気持ちや風習が知れて興味深い。

これから、私が海外の現場を回って分かったことの例などをいくつか披露してみたい。

(その1)社会主義体制の崩壊を予言(1/2)

ちょっと自慢話になるかも知れないが、1970年の時点で私はソ連を中心とする社会主義体制は将来崩壊することを確信した。

ちょっと時間はかかったが19年後にその予測は見事に的中した。的中したのは社会主義体制下の東ヨーロッパをじっくり見て回ったからだ。

話はぐっと遡って1970年の夏。
私はフランスのボルドー大学で外交官の卵として研修中であったが、長い大学の夏休みを活用して当時「鉄のカーテン」と呼ばれた共産圏の東ヨーロッパを車で周ることにした。

外務省の通常の勤務ではいろいろな国に行くが、常に出張の目的があるので自由にあちこちを見て歩くことはできない。自由に見たいところを見るには大学に籍を置いて研修しているときの夏休みがチャンスである。
そこで、興味津々の「鉄のカーテン」の中に入って、その政治・経済・社会の体制の実情を肌で感じたいと思い、東ヨーロッパを観察する一人旅を計画したのである。

時間や地理を考慮して、ドイツ側からチェコスロバキアに入り、ハンガリー、ルーマニア、(旧)ユーゴスラビア、ブルガリアなど、チェコ以南の東ヨーロッパのすべての国を周る計画だ。途中、オーストリアやギリシア、イタリアなど非共産圏もあるが、それは通り道だから仕方がない。観光目的ではない真面目な学習のための旅行で、それが自分の外交官としての将来にも大いに参考になると考えた。実際、とても勉強になった。

車での旅だから、都市だけでなく小さな村も見ることができる。道路の状況や主要道路から外れた地域の情勢も線で結んだ観察が可能になる。

クレムリンを臨む
【 クレムリンを臨む(1988.10.8.)】



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外交官 第15話 アロハシャツで話そう:ハワイの心(その2) ハワイの自然とアロハの心

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第15話 アロハシャツで話そう:ハワイの心
(その2)ハワイの自然とアロハの心

ハワイは何と言っても素晴らしい自然環境に恵まれ、それによって育まれた優しくて温かい心を持った人々が住んでいます。
しばらくそこに住んでみると、環境が人間や生物を形成することが納得できます。

植物学者の先生から聞いたことですが、枝に多くの棘を持った木がハワイに植えられた後、何万年ぐらいたったか忘れましたが、その木は徐々に進化して棘がなくなったそうです。その木を襲う動物や害虫がハワイにはいないので棘が必要ではなくなったのだそうです。

一年中心地よい貿易風が吹いているので、ゴルフをやっても暑さをあまり感じさせません。私は走るのが好きでしたが、ホノルルにいるといつも「走りたい」という強い衝動にかられ、仕事が早く終わった日や週末などはすぐランニングシャツとパンツに着替えて走り出しました。

あまり大きくない街の中を走り抜けていくと目の前に海が見えます。海岸の建物沿いにしばらく走ると大きな海浜公園に出ます。心を躍らせる碧い海が眼にしみます。沖でサーフィンをする人、穏やかな内海で悠然とひとりで泳ぐ人などを見かけます。

ヤシなどの木々のある公園の陸地部分ではTシャツ・短パン姿の男女がウォーキングを楽しんでいます。夕方になると夕日を眺めながら岩に腰かけている人がいます。
私もたまらなくなって、ランニングシャツと靴を脱いで、そのままひと泳ぎします。泳いだ後ちょっと体を乾かし、パンツは濡れたままですが靴を履いて再び走って家に戻ります。

ある時は、ダイヤモンドヘッド下の広いカピオラ二公園でサッカーをしている子供たちを眺めながら走り抜けて、そのあとはアラモアナ運河沿いに走ります。運河に泳いでいるたくさんの魚たちを横目に見て走ります。アロハタワー近くの港に来ると、黄や青や赤の綺麗な魚が泳いでいて、思わず立ち止まって楽しむこともあります。実に快適です。
大きなバニヤンの木(ホノルル・カピオラニ公園 2002.9.17 )
【 大きなバニヤンの木(ホノルル・カピオラニ公園 2002.9.17 ) 】


ワイキキの浜辺には多くのホテルが並んでいますが、私は紺碧の海が目の前に広がるホテルのレスランが気に入ってよく使いました。そこは窓もないので風はいつも自由に入って心地よく抜けていきます。
風だけでなく小鳥がときどき入ってきてテーブルの下に落ちた小さな食べ物をつつきに来ます。スズメもいますが、真っ赤な冠をしたカージナルスという鳥も見かけます。
誰かが追い払うこともなく、鳥たちも逃げないでこちらを見たり、あるいは無視したりしています。あたかも、人間と小鳥たちが温かい空気に包まれて何の屈託もなく共存している状態です。

ゴルフをやっていて昼食用のホットドッグや「スパムむすび」をカートに置いておくと、マングースが来て持って行ってしまうことがあります。でもゴルファーたちは寛容で、「ああ、またやられたか。あいつはさぞかし満腹だろうな」などと言って諦めます。

シュノーケリングも楽しみましたが、ときどきウミガメに出遭いました。ウミガメの泳ぎ方は実に優雅です。両手というか前肢をゆっくりと前後に動かして泳ぎます。
ウミガメに出遭うと嬉しくなって暫く一緒に泳ぎます。ふたり(一人と一匹?)で海中散歩です。時たま甲羅に触らせてもらったりします。何か浦島太郎になったような気がして、龍宮城に連れて行ってもらいたいなあと思ったこともあります。

ハナウマベイという美しい湾には浅瀬にまで大小、色とりどりの魚たちが水中眼鏡の目の前で歓迎してくれ、また、楽しい踊りを見せてくれます。ちょっと陸地に近すぎますが、これが龍宮城かも知れません。

モロカイ島という小さな島の鄙びた海岸に行った時のことです。海岸に2頭のハワイアン・アザラシが寝そべっているのを発見しました。
そっと近寄って3メートルほどの距離になったとき、そのうちの1頭がちょっと首をもたげて私の顔を見ましたが、数秒ほどでまた頭をもう1頭の背中に乗せて眼を閉じました。ちょっと待って動かないのを確かめてから、さらに近寄りました。

近くなったせいか、さっきの1頭がまたこちらを見て今度は犬のような声で何回か吠え声を発しました。アザラシ語がわからないので私は日本語で、「ねえ君、別に何もしないから安心してくれよ」などと言いながらちょっと話をつづけました。相手はそれでも逃げません。首をかしげてこちらを見ています。
遠くからカメラを構えて見ていた妻が、私とアザラシ君の会話風景を写真に収めてくれました。

動物だけでなく、珍しい植物もあります。
海岸の砂浜に生えて小さな黄色い花を咲かす可憐な植物が絶滅の危機に瀕しているとのことで、The Nature Conservancy というアメリカの大きなNGOが丁寧で熱心な保護活動をしているのも見学しました。植物を慈(いつく)しむように自然を守ろうという強い気持ちが伝わってきました。

このように、ハワイでは自然や人間が一緒に仲良く暮らしているという感じがします。青い空と海、爽やかな風、さらにはよく現れる綺麗な虹なども、人間と動植物が共生する空間の風景や空気となっているとも言えそうです。そうした空気の中で暮らす人々の心は実にゆったりとして、誰をも温かく迎えるように開けています。

比喩的に言えば、暖かい風が家の中だけでなく、人々の心の窓に入って心と心を通わせながら通り抜けていくような感じもします。

それを象徴するようなものとして、「アロハシャツ」を挙げてもいいかと思います。ハワイでの仕事は通常は背広ネクタイは着用せず、いつもアロハです。
州知事や米軍の司令官に会う時もアロハシャツです。夕食会などでも、だいたいはアロハの上にジャケットを羽織ることで足ります。そういう形で話をすると気持ちの上でお互いに随分と心を開いて自由に語り合えます。日本のように格式をととのえて背広にネクタイでいるとどうもも心も四角張ってしまいます。

ハワイでは初めての人に対しても、友人同士でも、会った時も別れる時も、いつも「アローハ」と声を掛けます。顔はいつもにこやかです。この言葉には相手に対する思いやりや愛情を感じさせる雰囲気があります。親愛の情をこめて、来訪者や友人に花びらや木の実でつくったレイを首にかけてくれます。

ハワイには多くの民族が共存しています。南からやってきてこの島々に住み着いたハワイ系の人々、移民の末裔などの日系人、その他中華系、韓国系、フィリピン系など諸民族が仲良く住んでいます。お互いに相手を思いやる心があります。

ところで、オバマ大統領も幼少時をホノルルで過ごしました。現在のオバマ大統領の政策についてはいろいろ見方はありますが、オバマさんの言動を見ていると、ハワイで育まれた人々との融和の心が背景にあるように思えてなりません。

アロハの心など、この楽園で学んだことは少なくないし、とても有意義でした。


筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 「日本とカンボジア友好の旅」 参加のご案内

外交官

日本とカンボジア友好の旅

ワインメルマガ、道上の独り言の道上です。
いつもメルマガ「外交官」を執筆頂いている小川郷太郎さんから何とカンボジア旅行のお知らせです。
多くの方からのご要望にお応えしてついに小川さんが腰をあげました。思い起こせばもう10年以上前になりますか、当時カンボジア大使をやられていた小川さんに押しかけて現地へ行きました。そうしたところ、大使公邸での食事に始まって、ビーチリゾート、シアヌークビルなどを案内して頂き、非日常の旅行をすることができました。
今回私はお伺いすることはできませんが行かれる方が大変うらやましいです!


「日本とカンボジア友好の旅」参加のご案内
絆郷では来年1月14から21日までカンボジア旅行を企画しています。
以前に私が勤務したカンボジアを御案内する特別企画です。現地の人々との交流をはじめ、日本のODAやNGOの活動現場訪問、アンコール遺跡見学と日本の修復支援現場視察など多彩な日程を組んでいます。

旅行期間:2015年1月14日(水)〜1月21日(水)8日間

詳細は、⇒こちらからパンフレット をご覧の上、参加ご希望の方はお申込み下さい。
ご不明点・ご質問はinfo@kizunago.com までお願いします。

※募集終了致しました

従来の観光旅行では味わうことができない充実した内容の旅行となっております
是非、多くの皆様のご参加をお待ち申し上げます。

王宮前広場(プノンペン) 2002.9.22〜28
【 王宮前広場(プノンペン) 2002.9.22〜28 】


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【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部





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外交官 第15話 アロハシャツで話そう:ハワイの心(その1)総領事の仕事

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第15話 アロハシャツで話そう:ハワイの心
(その1) 総領事の仕事

ハワイというと多くの人が楽園というイメージを思い浮かべます。私も住んでみて、やはりそうだと思っています。日本にいる友達は、「お前はいいな、極楽で遊んでばかりいて」と羨ましがられました。

極楽ではありますが、総領事として過ごした2年半は実はとても忙しかったのです。忙しくても楽園の中での忙しさですから、幸運であったことは認めます。なぜ忙しいかというと、ハワイという場所柄の特色に関係がありますので、その点について話してみます。

まず、総領事として大事な仕事は日本人旅行者などの邦人保護があります。事故などに出遭った日本人への支援はすべての大使館や総領事館の基本的な業務ですので、この点は省きます。
もっとも、2001年に起った「えひめ丸」の沈没事故は私の離任後でしたが、後任の総領事は事故後の対応に昼夜を問わず懸命の努力をしたことを付言します。

ともかく、ホノルル総領事特有の仕事のひとつは、日系人とのお付き合いです。ご存じの方も多いかと思いますが、明治時代に多くの日本人がハワイに移民しました。当時は国内に仕事がなく、海外に職を求めての移住でした。

移民1世の人たちは、主としてハワイのサトウキビ畑で厳しい労働に従事しましたが、その子孫たちが現在日系人4世、5世、6世としてハワイで活躍しています。

サトウキビ畑での過酷な労働で苦労した1世の人たちは子供たちに教育を受けさせようと努力した結果、今日では多くの日系人の子孫が政界、経済界など各界で活躍しています。

長年ハワイ州知事を務めたジョージ・アリヨシさん、米議会上院議員の重鎮として活躍したダニエル・イノウエさん(1昨年12月逝去)、米陸軍参謀総長に上り詰めたエリック・シンセキさんなどはその顕著な例です。

私がホノルルに勤務した1990年後半の時点で、ハワイ州議会議員の約4分の1が日系人でした。多くの日系人はその出身地ごとに県人会を作っています。

熊本、沖縄、広島、岡山など様々な県人会があって、ハワイ社会に貢献する活動をしたり、祭りのような行事をしていますが、沖縄県人会は特に活発でした。総じて、日本の良き伝統を守っており、今日の日本人以上に日本的です。

私は、多くの県人会からお招きをいただいて、行事に参加したり、スピーチをしたり、ときには海岸のゴミ集めのボランティア活動にも参加しました。

ホノルル総領事の仕事の二つ目の種類は、太平洋のど真ん中にあるという地政学的特色に由来します。地図で見ると、ハワイ諸島は広ーい太平洋の真ん中近くに浮かんでいます。

ということは、アメリカ本土とアジアを結ぶ位置にあって、人々が行き交う中継の地であります。

ホノルルに有名な「東西センター」があります。そこには、東方のアメリカ、カナダ、中南米から、あるいは、西方のアジアやオセアニアから人が集まって来て、様々なテーマについて議論したり、研究したり、交流をしています。

米太平洋軍司令部に所属するシンクタンクがあって、そこでも太平洋を中心とする地域の安全保障に関連する問題についてシンポジウムを開いたり共同研究や研修などを実施しています。

印象的だったのは、ロシア、インド、モンゴル、日本、中国、韓国、東南アジア、南太平洋、南北アメリカから軍人や研究者が来て何か月か一緒に研修をして、本国に帰ってからもお互いに連絡し合っていることです。

そうした活動を通じて安全保障の問題について相互理解が進むと同時にそれらの人々の間で信頼感が形成され、人脈が構築されます。
長期的にみるとそれは地域の安全保障にとってとても有益なことと言えます。ハワイ大学も含め、様々な研究機関やシンクタンクが幅広い「知的交流」を展開していて、総領事として私も様々なシンポジウムに参加して発言したり、議論を拝聴しました。

もうひとつ、ホノルルに米太平洋軍司令部があります。これは、米本土西海岸からインド洋までの広大な地域を管轄する米最大の軍司令部です。多くの情報を持ち、様々な活動を展開しています。

北朝鮮が日本列島を超えてミサイルを発射した時やアジアの重要な国で国内の騒擾がある時などは、司令部には緊張感が走ります。

司令部を訪れると、アジア太平洋の安全保障に責任を持っていることについての臨場感を覚えます。日米安保条約に基づく協力の一環として陸海空の自衛隊幹部や艦船・航空機がハワイを訪れます。

総領事として司令官はじめ米軍幹部や自衛隊幹部とよくお会いします。演習を見学させてもらうこともあります。米軍や自衛隊幹部とのお付き合いから、日米同盟の重要さを実感することができます。

日本の状況や立場を任国で広報することはどこにいても外交官の当然の仕事です。ホノルルでは「総領事レター」を作成しました。ハワイの人々の関心の深い日本の経済政策や経済情勢、日本の外交政策、あるいはアメリカの政策に対する日本の考え、またはそれらに対する私自身の見解などを折に触れて書いて、州内の政治家、経済人、ジャーナリスト、有識者など数十人に送っていました。

時にはアメリカに対する辛口のコメントも書いたりしましたが、ときどき反響がありました。前述の有名なハワイ州出身のダニエル・イノウエ連邦上院議員は、「いろいろ参考になるのでワシントンでの議員活動に使わせてもらっている」などと言ってくれました。

こうして「楽園」での仕事も忙しかったですが、お蔭様で充実したものになりました。


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【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第31回絆サロン「日本の社会の変容と若者の現状を知る」

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第31回絆サロン「日本の社会の変容と若者の現状を知る」

私の開いている「絆サロン」では、次回のテーマとして若者に焦点を当てます。 かつての高度成長期とは様変わりの日本社会の中で次代を背負うべき若者の悩める状況に思いを寄せることが大切ではないかと考えた次第です。

講師はこの問題で活発に発信されている本田由紀東大教授(教育社会学)です。 社会の重要な問題について考え、世代間の相互理解につながる機会になればと思っています。

詳細・お申込みは下記をご覧のうえ、どうぞお越しください。

※終了しました。
10/28(火)18時〜21時
TANAKAYA 東京都千代田区三番町6-4 東京海上日動ビル1階
第31回絆サロン 「日本の社会の変容と若者の現状を知る」
http://kizunago.com/salon_31.html


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【小川 郷太郎】
現在





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外交官「日中、日韓関係(谷野元中国大使による講演のお知らせ)」

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

日中、日韓関係(谷野元中国大使による講演のお知らせ)

皆さま 酷暑の毎日が続きますが、いかがお過ごしですか。
突然で恐縮ですが、講演のご案内をさせていただきます。

中国との関係、韓国との関係は相変わらず首脳会談もままならずで、難しい状況が続いています。 週刊誌などでも嫌中、嫌韓 記事が盛んですが、どんなふうに考えたらよいでしょうか。

私が開いている「絆サロン」で来月、近隣国とどう向き合うかについて冷静に考える機会を用意しました。 講師は、韓国、中国に勤務経験があり、外務省アジア局長、駐インド大使、駐中国大使などを歴任された谷野作太郎様にお願いしています。

幅広い見地から、参考になる話が聞けると 思います。
どうぞ、お越しください。

※終了しました
日時:9月12日(金) 18:30〜21:30
場所:日比谷図書文化館大ホール     
〒100−0012 東京都千代田区日比谷公園1−4

演題:「迷路に迷い込んだ日中関係、日韓関係」
詳しくは、 下記をご覧の上お申し込みください。 http://www.kizunago.com/salon_30.html


筆者近影

【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第14話 税金大国なのに超幸せ!(その2) 税金が高くても世界一幸せ デンマーク

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第14話 税金大国なのに超幸せ!
(その2)税金が高くても世界一幸せ デンマーク

教育だけでなく医療も介護も基本的に無料なので、将来に備えてお金を貯める必要は少ない。入ったお金を全部使っても後のことをさほど心配しなくて済むのである。

実際、可処分所得に対する貯蓄の割合を見ると、マイナス0.55という数字がある(OECD調査、2011年)。つまり、その年に税金などを引いて残った金額以上を消費しているということなのだ。
実際お年寄りは、しっかりした年金制度もあるので、退職後はむしろ可処分所得も増え、旅行や余暇活動へお金を使うので消費性向が増えるとのことである。消費して税金も払い、引き続き社会に貢献しているのだ。

デンマーク人の平均寿命(男性78.0歳、女性81.9歳)は日本人より低いが、健康寿命は日本人より高い(男性76.8歳、女性77.8歳)。つまり元気な時期が長く、動けなくなって生活する期間は短い。元気だから薬などの医療関係費も減少するという話も聞いた。60歳台、70歳台で将来の経済的生活に不安を感じるのは0.5%だという。これも驚きだ。
 
コペンハーゲン風景(2006.8.17)
【 コペンハーゲン風景(2006.8.17) 】


この国では介護の問題も日本と大いに違い、別世界みたいな感じだ。日本では介護に従事するのは重労働で、しかも人手不足。お年寄りを抱き起すときに自分の腰を痛めたりすることもよく聞く。給料もけして高くない。
デンマークでは、介護する人は自治体の公務員であるから所得は安定している。介護従事者は女性が大半で、気軽に楽しそうに仕事している。施設が整備されていて、お年寄りを抱き起すときも天井から下がっているベルトの器具などで引き上げるからあまり力はいらない。手を添えるくらいで済む。

もちろん、何でもいいとこずくめというわけではない。例えば、病院は予約制だが、診てもらうまでかなり時間を要するとかの問題点も指摘される。しかし、骨格となる制度ががっちりできていて、基本的に大きな心配はない。

言うまでもなく、こうしたことは高い税金を払うから可能になるのだ。税率は所得税が平均して50%(つまり、収入の半分が税金でとられる!)、消費税が25%である。 5%の消費税に3%上乗せするだけで7年かかった日本。10%にするにもまだ不賛成の国民が過半数を占める。国の制度への信頼感がないからだ。

デンマークでは国や自治体の公共サービスが不十分だと「税金を上げてサ−ビスを向上させろ」という人もいるそうだ。  

残念ながら国民の政治への信頼感が日本には希薄だが、国民ももう少し税金の重要性を考えてデンマークのような「高負担、高福祉」ではなくても、「中負担、中福祉」の制度を構築していくべきで、その点について国民的合意が必要だ。政治や政府に信頼感がないと合意は難しい。それをリードするのが政治であるべきだ。

高齢者の生き方にも目を見張るものがある。この国には日本でよく言われる「老後」だとか「老老介護」と言う言葉や考え方がない。個々のお年寄りが、最後まで自分らしく生きようとして積極的に行動する。家族に助けられて静かに暮らそうとは考えない。
家族関係は親密であっても、お互いに独立している。つまり、親も子供も互いに頼ろうとはしない。子は親の遺産をあてにしないし、親は子に何か残そうとはしない。介護が必要になると、家族を煩わさないで、プロの介護士に面倒を見てもらおうとする。

デンマークでは、幼児の時から自立心が植えつけられる。幼稚園では、幼児が何かしたい、何かが好きだと言うと、先生は、「なぜ?」といって、幼児が自分の頭で考え、説明し、かつ自分の意志で行動することを日常的に教える。

お年寄りになっても、誰かの介護や介助に頼ろうという気持ちはなく、とにかく自分のやりたいことを自分でやろうという意識が自然に身についているみたいだ。言ってみれば、「自立心も揺籠から墓場まで」という感じなのである。  

国連が研究機関を使って調査している「世界幸福度レポート」というものがあり、最近もデンマークが続けて1位になっている。最新の調査ではデンマークが156国中1位であるのに対し、日本は43位だった。
花 (Yellow doffadil)(2005.3.28.)
【 花 (Yellow doffadil)(2005.3.28.) 】



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【小川 郷太郎】
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外交官 第14話 税金大国なのに超幸せ! (その1) 驚くべき(amazing)デンマーク

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第14話 税金大国なのに超幸せ!
(その1) 驚くべき(amazing)デンマーク

デンマークは私の勤務地の中でも、いろいろな意味で新鮮な驚きを感じた国である。

どんな驚きかというと、先ず身近な話では、殆どの人が職場を定時退勤(通常は午後5時)することである。しかも、そんなに早く退社するのだから、帰りがてらにどこかで一杯飲みに行くのかと思うと、そうではなく、誰もが家路を急いでいる。

だいたいどの家庭も共働きなので、先に帰ったお父さんかお母さんが幼稚園に子供を迎えに行ったり、ちょっとした食材を買って家で夕食の支度をする。旦那さんが先に帰ると、夕食を準備して子どもと一緒に奥さんの帰りを待つのである。

父親も育児休暇をしっかり取る。平日でも乳母車で子供を連れて街を歩いている男性を見ることがある。父親は子供と一緒で幸せそうな表情を見せている。だから出産後の母親は随分と助かるし、何とか仕事と出産を両立させることができる。日本から来ると、育児や家事を男女協働で行うことに目を見張らせられる思いだ。
 
Nyhavn, Copenhagen (2011.8.21)
【 Nyhavn, Copenhagen (2011.8.21) 】



驚くことはまだたくさんある。
この国では勤労者の流動性が高い。平たく言うと、首切りがしやすいことがある。

私自身の経験をお話しよう。職場に勤務成績が芳しくないのでやめてもらいたい人がいた。どう切り出したらいいか、抵抗されたらどう説得しようかなどと思案しながらやや緊張して、「やめてもらいたい」とこちらの意志を伝えた。するとどうだろう、いとも簡単に相手の女性は「わかりました」とひとことで受け入れた。反発の色もなかったので随分と拍子抜けしたことを思い出す。

その後の彼女の消息は不明だったが、やめてから10か月近くたって、ひょっこり現れた。「どうしている?」と聞くと、「まだ仕事を探しています」との答えが返ってきた。ずいぶん悠々とした雰囲気だ。

デンマーク人は生涯平均6〜7回職場を変えると言われている。やめたあと2年間、直前の給与の80〜90%もの手厚い失業手当が支給され、失業期間中に再雇用を促すための職業教育・訓練プログラムを受けられる。政府が「積極的労働市場政策」として投資する金額はGDPの1.9%である(日本は0.3%)。
この女性もこうした国の予算のお蔭で生活に困らず、1年ぐらい自分に合った仕事を探して再就職した。
 
Den Gulle Cottage, Klampenborg (2011.8.21)
【 Den Gulle Cottage, Klampenborg (2011.8.21) 】


日本人の眼からすると、まだまだ驚くべき事実がある。
この国では教育も原則無料なので、親は子供のための学資を貯めたり、受験を心配する必要がない。子供は通常18歳ぐらいになると家を出て自立する。そのとき国から若干の手当てをもらう。それとアルバイトなどで生活できるようになっている。
日本のような受験競争もない。大勢が競って大学進学を目指すのではなく、自分の希望に合った職業を身につけるための技術系の学校を選んで将来に備えることができる。

要するに、18歳で子供が独立していくので、親は子供の学費の心配をする必要がないし、受験競争もない。日本の親から見ると、まるでお伽の国の話のようでもある。


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【小川 郷太郎】
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外交官 第13話 カンボジアでの発見 (その3) ODAは減らすべきなのか

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第13話 カンボジアでの発見
(その3) ODAは減らすべきなのか

よくメディアや政治家が「ODAには無駄が多い」「だからODAを減らすべきだ」と言う。

確かに、沢山ある途上国支援プロジェクトの中でうまくいかない例はある。設計ミスもあるかもしれないが、予想外の天候や地形が障害要因となることもある。相手国と合意で進めた計画が、相手国側の不作為でうまくいかないこともある。途中で問題が出ても対応策がとられて所期の成果を収めた例も少なくない。

総じて大多数のプロジェクトは成功して相手国から高く評価されているのが現実で、私はカンボジアでそれを体験してきた。 成功例は殆ど報道せず、「失敗」を取り上げるのがメディアの習癖なので、実状とは違うイメージが作られているのだ。

孤児施設の子供たち
【日本のNGOの孤児施設、子供たちの顔は明るい】


日本のように制度の整った国でさえ、例えば年金記録問題のようにミスや不備がある。社会保障に無駄があるからといっても、年金予算を減らせという議論はない。年金は必要だからだ。ODAも同じだ。

途上国支援は、援助を受ける国の経済、社会、政治の発展に確実に役立っているし、途上国が発展すれば、日本も他の国もその国に貿易や投資を拡大することができ、それが一層その国や周辺地域の発展に貢献する。

日本が過去何十年もアジア諸国に援助を提供した結果、東南アジアの経済が発展した。日本の企業がその国との貿易や投資を通じて経済的にも大きな利益を得ている。援助は他国だけのためではない。日本の国益にもなるのだ。

日本が援助を減らし続けている間に、中国が援助を増やしてきた結果、中国側に顔を向ける途上国が出てきている。かつて高い評価や感謝の言葉を受けてきた日本の地位はだんだん下がってきている。カンボジアもその例である。それでいいのだろうか。

政治家はODA 予算を減らして、援助は戦略的に使えなどと言う。私から見れば、援助を削減していくことこそ、戦略の誤りだ。

ODAについてはこれらすべてのことを全体的に判断して考えることが必要だと思う。
私は昔からODAの拡充を主張し続けている。

蓮の実売りの少女
【家計を助けるため河岸で蓮の実を売る少女】



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【小川 郷太郎】
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外交官 第13話 カンボジアでの発見 (その2) 援助(ODA)はたいへん役に立っている

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第13話 カンボジアでの発見
(その2) 援助(ODA)はたいへん役に立っている

私の在任期間中、日本はカンボジアで最大の援助国であった。私は日本が、全世界で他国には見られないとても日本らしい良い援助をしていることを誇りに思っている。

しかし、近年、「ODAは無駄が多い」というイメージが創られ、巨額の財政赤字もあって日本政府が大幅に援助を減らしてきたのをとても悔しく思っている。 カンボジアではODA でどんなことをしているのか。幅広く多様な援助を展開しているので詳しくは語れないが、いくつかの例を見てみよう。

日本の援助は相手国の自立支援が主目的だ。その国の人々が自分たちで国の発展を担えるように支援すること。だからまず、人材育成である。人材育成はまさに人を通じた援助だ。

日本から各分野の専門家やボランティア(青年海外協力隊、シニア・ボランティア)がカンボジアを含む世界の途上国に行って、現地の人に技術移転を図る。途上国の技術者や官僚等を日本に招いて国内で研修をしてもらうこともやっている。技術を身につけた人々は自国の発展のために努力する。
多くの先進国と比べて日本の人材育成は幅広く多様である。欧米諸国には、直接物資や資金などを供与するような援助の形が多い。

日本はもちろん資金も提供する。無償でお金を出すと言っても、カンボジアなどそれぞれの国に必要な病院、上下水道、道路、橋、洪水防御施設などのインフラを造るわけで、現金をそのまま供与するのではない。インフラの整備は社会や経済の発展の基盤を作ることである。
橋が出来ると周辺の街や村の経済が大いに活性化する。病院を造る場合には、同時に医師や看護師の養成や病院の運営のための現地の人材育成に協力する。

トンレサップ川河岸の小舟で生活する家族
【トンレサップ川河岸の小舟で生活する家族】


援助は、農業、工業、保健衛生、教育、通信等々はもちろん、文化についても協力する。カンボジア国民が心の誇りにしているアンコール遺跡の修復のためにカンボジア人技術者を養成して支援することがその好例だ。援助によって例えば、妊婦や乳幼児死亡率の改善、疫病への罹患率の減少、経済の発展などが目に見える形で現実に起こっていることを現地で確認できた。

裸で遊ぶ子供
【裸で遊ぶ子供】


カンボジア人は日本に対し、絶大な感謝と信頼の気持ちをいつも表明してくれる。例えば、在任中私がシハヌーク国王(当時)にお会いするたびに、国王は、次のように言って日本に心から感謝して下さった。

「日本はいつもカンボジアの真のニーズを調べてカンボジアに必要な援助をしてくれる」
「日本は他国が手が回らない橋や道路などの大型のインフラをも整備してくれる」
「日本はカンボジアの意向を尊重しながら、カンボジア人と相談しながら助けてくれる」
「カンボジア人の魂である文化遺産の修復にも協力してくれる」
と繰り返す。

「カンボジア人と相談しながら」行った支援の良い例として、日本がカンボジア民法の新たな法制化に協力したことがある。

ポルポト時代にプノンペン市民を強制疎開させたためプノンペンの所有権や土地制度が崩壊した。民法を作り直す作業において、日本から弁護士や民法学者など多数の法曹家が何年もかけてカンボジアに行き来しカンボジア側の担当者たちと民法の1条1条を議論しながら創り上げた。
こういう条文をつくったらこの国の文化や実情に合うのか、実施可能かなどとカンボジア側と相談しながら練り上げていった。

もちろん何年もかかったが、こうした長いプロセスを通じてカンボジアの民法を担う人々が育成されていったのである。日本的アプローチの効果でもある。民法ができると民事訴訟法や商法にまでフォローアップをしていった。
フランスが刑法策定に協力したが、総じて欧米諸国では、自国の専門家が処方箋を書き、「これでやるように」と提示することが多い。

2003年、私の着任前から始まっていたメコン川に橋を架ける工事が日本の無償援助で完成した。それまでこの国を何百キロにわたって縦断するメコン川に一本の橋もかかっていなかったのである。

フンセン首相は大変喜んで、私に日本語の名前を付けてほしいと言ってきた。熟慮して、「きずな橋」を提案した。日本語の「絆」とは心の通い合う人間の強い結びつきであると説明し、日本とカンボジア、そしてメコン川の西岸と東岸の心の結びつきを象徴する意味を込めたいと伝えた。

首相は直ちに賛同し、早速その場で「どう発音するのか、キジュナですか」と聞くので、「いえいえ、『き・ず・な』というんです」と私が首相の発音練習を指導する羽目になった。

カンボジア政府は盛大な完成式典を行い、フンセン首相と私が一緒に渡り初めをして、日本の地方から来てもらった踊りのグループも参加して笛や太鼓で花を添えてくれた。何万人もの群衆が集まり、全国にテレビで放映され、新聞でも報じられた。
何ヶ月か後、国境に近い辺鄙な村に行ったときに、村民が私に「日本がメコンに架けてくれたくれた橋は本当に素晴らしい、死ぬ前にぜひ一度わたってみたい」言って日本に感謝してくれた。

フンセン首相とODA式典
【日本のODAプロジェクトの式典にはいつもフンセン首相が出席して日本の援助を群集に説明してくれる。筆者もクメール語でスピーチ】


それだけではない。カンボジア政府はすぐ「きずな橋」の写真を刷り込んだ新札を発行してくれた。この札は今でも広く流通していて、カンボジア人はこの橋を「スピエン(橋という意味)キズナ」と呼んでいる。

政府のODA だけでなく、いくつもの日本のNGOや何人もの日本人がカンボジアの復興を助けている。上智大学の石澤良昭先生(元同大学学長)は半世紀以上前からカンボジアに入り、アンコール遺跡修復のためのカンボジア技術者の養成や修復活動をされている。

脚本家の小山内美江子さんが主宰する「JHP学校を作る会」というNGOが1993年から活動し、カンボジア全土にこれまで300校余りの学校を建設し、併せて生徒への音楽や美術の教育を支援し、また孤児たちの自立支援活動を展開している。

学校の子供たち
【学校の子供たち】


マラソンの有森裕子さんは、地雷の犠牲者を支援するため、毎年「アンコールワット国際ハーフマラソン」を実施し収益を寄付したり、カンボジアの子供にスポーツをする喜びを体験させる活動をしている。昨年は第18回目で、カンボジア側が自主運営できるようになった。私も在任中毎年参加した。

個人でカンボジアに献身する人もいる。ポルポト時代の虐殺などによって殆ど失われそうになったカンボジアの伝統絹織物の技術を復活させるため京都で友禅織のデザインをしていた森本喜久男さんという人が、1995年からカンボジアに入り込んで、ジャングルを開拓して工房を造成して蚕や染色用の草木を植え、カンボジア女性による素晴らしい絹織物の復興を指導している。

これらはいくつかの例にすぎないが、石澤先生、小山内さん、有森さん、森本さん、どなたも皆カンボジアに魅せられているようであるが、その永年の献身的な努力には真に頭が下がるし、また、日本人として誇りに思わずにはおられない。

カンボジアに3年いて、日本政府や民間のカンボジア支援に効果が出ていることや国民の感謝の気持ちを肌で実感できた。
このことが、私にとって40年の外交官生活の中でカンボジアが最もやりがいのあった任地だったと感じる理由である。


筆者近影

【小川 郷太郎】
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外交官 第13話 カンボジアでの発見 (その1) 貧困と人間の幸せ

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第13話 カンボジアでの発見
(その1) 貧困と人間の幸せ

カンボジアはアジア途上国の中でも最も貧しいグループに属している。日本にいるとなかなか実感としてわからないが、カンボジアに行って見ると、貧しさの度合いを肌で感じることができる。

先ず、カンボジアは、1970年代から内戦がおこり、75年から79年の間には悪名高いポルポト政権が全土に残虐な恐怖政治を敷いた。人口の約4分の1が失われたともいわれるが、犠牲者の大半は知識人や技術者たちだ。内戦で国土が破壊されたばかりでなく、国を担う人材の多くが虐殺や過労死などで亡くなった。

さらに、プノンペン市民が一斉に地方に強制移動させられた結果、戸籍や所有権などの民法の制度も破壊された。国土、人材、制度の破壊(私は、これらを「三つの破壊」と呼んでいる)が続いた結果、カンボジアは、発展の機会を失ったどころか、逆戻りをして周辺の国々に大幅に遅れてしまった。

私は内戦が完全に終わった後の2000年11月末に大使としてカンボジアに赴任した。私が見たり感じたことを少し述べてみよう。

例えば、大きな都市は別として、この国の大部分の町や村には電気や水道がないのだ。電気がないので夕食はろうそくをつけてとる。娯楽もあまりないので、誰も早く眠りにつく。その代わり、朝は早く明るくなるので皆早起きだ。いつも家族が一緒となって寝起きし、助け合いながら働く。家族一緒でとても幸せそうに見える。

水道がないところはどうしているのか。遠くの川や池からヨレヨレのバケツやカンなどを天秤にして汲んでくる。中を見ると、真っ茶色の汚れた水だ。それを飲んで病気になることも珍しくない。
雨が降ると庭においてある大きな甕に水を貯めてそれを生活に使う。夕立が来ると子供や大人も喜んでシャワー気分で身体を洗う。

貧しい衣服を着て裸足で飛び回ったり、水たまりに飛び込んだりしている子供たちの眼はいつも生き生きと輝いている。
私がいた頃のプノンペンの街では、夕方になると1台の小さなバイクに家族4,5人が一緒に乗り、大挙して広場などに繰り出してくる。実に幸せそうだ。

プノンペン王宮前広場
【平和になった王宮前広場に人が楽しそうに集まる】


内戦が終わり、ポルポト政権の恐怖が過去のものとなった平和の喜びを、身体全体で浸っているような感じもする。
貧しいカンボジアの人たちの表情がしばしば実に幸せに見えるのを不思議に思ったが、考えてみると、貧しい状態で生活をしていると、ほんの僅かな進歩や、ちょっとしたものを手に入れることが大きな喜びとなり、それが満面に出てくるようだ。

プノンペン Quai de Bassac
【川岸の通りも活気を帯びてきた】


そういえば、私の子供の頃も戦後の貧しい時代であったが、家族一緒でとても幸せだった。木の枝や竹を削って遊びの道具を自分で作って面白かった。いまの日本は何でも手に入り、欲望が高まり、高くなった欲望が満たされないと不満や不幸な思いになることが多い。ゲーム機やスマホが発達し人間的接触がその分減ってきた。
カンボジアの人々を見ていて、貧しい方が幸せを感じる機会が多くなることを発見した。 でも、貧困の度合いは実際には凄まじいものだ。「幸せ」で済ませるものではけしてない。

では貧困の実相は、どんなものか。私が見た、貧困からくるいくつかの光景をお話しよう。

プノンペンの郊外にいくつかゴミ捨て場がある。そこに子供が入り込んで少しでも売ってお金になるものを探している。中には裸足の子もいる。孤児もいるそうだ。
大きなゴミの山は臭いもするし、ガラスの破片や針など危険な物がいっぱい混ざっている。拾い集めた物は、針金とかペットボトルとか金属のものとか、どれも僅かである。でも、生きるため、子供たちは懸命だ。

カンボジアは、マラリアや結核や、エイズの大汚染地域でもある。エイズ患者を助けているNGOの活動現場に行って見た。

木で組んだ枠に粗末な青色のビニールを張った小屋にいくつもの家族が住んでいる。外は炎熱で湿度も凄い。周りには土を掘って作った小さな溝があり、そこに汚れた生活排水が悪臭とともにチョロチョロと流れている。それぞれの家族の何人かはエイズ罹患者で、ぐったりと横たわっている。虚ろな目で、大人も子供も。そちらの家族、あちらの家で昨日誰かが亡くなったと言っていた。
人間の尊厳が損なわれたようなその光景は、見ている人の胸に痛く締め付ける。

内戦の負の遺産である地雷も一部の地域に残っていて、いまでも犠牲者が出る。地雷がまだ埋没している遠隔の地方だけでなく、プノンペンなどの大都市でも、手足をなくした大人や子供を見かける。物乞いをされると気の毒でいたたまれなくなる。
他方で、懸命にリハビリをして立ち直ろうとしている犠牲者や義足や義肢を作ってそれを助けようとする人々もいる。

雨季には激しい豪雨が襲うこの国では、あちこちに洪水が起こる。村中が冠水する。稲が全滅もする。そうかと思うと、地域によっては干ばつに見舞われて、土地はヒビ割れし作物はできない。
他にすべがなく、そういう土地にやむなく粗末な小屋を作って住んでいる人もいる。

在任中、カンボジア全国を見て回った。最初の1年ですべての県を視察したが、道が無かったり、あってもぬかるんだりデコボコして四輪駆動車でも進めないところも多い。車で行けないところは、今にも墜落しそうな旧式のオンボロ軍用機に乗せてもらったり、民間のヘリを借りたこともある。
選挙の状況を見るために、冠水した地域を小さな木船で渡ったりもした。地雷除去のNGOのジープに乗せてもらって活動現場を見た。地雷除去はいかに危険で時間のかかる作業かということもよくわかった。全国的に病院も医者もいない村落も多いことも知った。

こうして回ってみると、カンボジア全土の地理や気候や開発のニーズがおおよそ把握できた。こういう光景を見れば人間は誰でも「助けてあげたい」という気持ちになるものだ。とくに、貧しくても目を輝かせている謙虚な人たちに会うとなおさらだ。

日本にも貧しい人がいるがそれは個人レベルの問題である。カンボジアはそれとは次元が異なり、国のレベルで貧しいのだ。


次回は日本がこの国にどんな支援をしているかをお伝えしたい。


筆者近影

【小川 郷太郎】
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外務省入省、約40年間勤務した著者が、外交官という仕事のこと、フランスでの話、柔道のこと、世界の国々の様子について感じた事をお送りします


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【小川 郷太郎】

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外交官 「はじめに」

【小川 郷太郎】
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「はじめに」


このたびMICHIGAMIワイン・メールマガジンに登場させていただくことになりました小川郷太郎と申します。何卒どうか宜しくお願い申し上げます。

初めてですので、ちょっと自己紹介をさせていただきます。
昭和18年(1943年)静岡市生まれです。
小学校から中学にかけてプロ野球の選手を夢見て、何と大胆にも巨人に入ってキャッチャーを守ることを目指し、雨が降っても槍が降っても毎日練習に励んでいました。でもちょっとやりすぎたのか健康診断に引っかかって、中学時代に野球部退部届を出す羽目になったときには悔しさで涙がぽろぽろ出たのを覚えています。

少年時代の大きな夢が早くも挫折をし、その後心機一転のため励んだのが英語の勉強でした。英語に集中した結果、高校時代にアメリカに留学する機会をつかみ、1961年にアメリカのニューメキシコ州アルブカーキー市にあるValley High School に1年間通いました。
ちょっと余談になりますが、たまたまこの学校の卒業50周年大同窓会が昨年9月下旬に開かれたので、現地に行き、50年前のアメリカの同窓生に会ってきました。
初めてデートした憧れの子もかなり太ってしまっていましたが、当時の面影を目の前の彼女の現実の顔に無理矢理登場させて回顧談をしました。

留学中お世話になったアメリカの家庭の弟や姉にも会って数日間付近を一緒に旅行しました。懐かしいこと限りなかったのですが、それはともかく、アメリカに行った時のさまざまな体験から、将来の仕事として外交官を目指すことになり、東大卒業後外務省に入りました。
外務省に入って、約40年間勤務しましたが、その間8か国、合計23年を海外で過ごしました。

入省後の最初の海外勤務地がフランスでした。
外務省では入省するとまもなく在外研修があります。2年ないし3年海外の大学で勉強し、将来の仕事に備えて語学や任地の事情を勉強します。というなかで、私の研修地がフランスのボルドー大学と決められました。

実は、私は学生時代から柔道をやっておりましたが、1969年にボルドーに行ってから道場を探すと、そこには有名な日本人柔道家の道上伯先生が道場を開いて指導されておりました。
そうなんです。道上伯先生こそ、われらのMICHIGAMIワイン社長の道上雄峰氏のお父上なのです。こうして、柔道と酒が研修生活でも重要な役割を果たしてくれましたが、それは後々の私の外交官の仕事にも随分と役に立ちました。

長い話を大急ぎでしたのも、今回このメルマガで書かせていただくことになった背景を語りたかったからです。 これからしばらくの間、外交官という仕事のこと、フランスでの話、柔道のこと、世界の国々の様子などなどについて感じた面白そうなことをかいつまんで書かせていただこうと思っています。

次回は、外交官を目指した経緯と外務省の面接試験でのちょっと危うい場面に触れたいと思います。
どうぞ、引き続きお付き合いください。


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【小川 郷太郎】
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外交官 第1話 「なぜ、外交官に?」

【小川 郷太郎】
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第1話「なぜ、外交官に?」

前回書いたように、1961年から62年にかけた1年間、私は静岡高校からアメリカに留学した。留学先のアルブカーキーの町で精密機械工場を経営するローズさんの家がホストファミリーとなり、その家族の一員として生活させてもらった。

家族構成はお父さん、お母さん、サリーとベティの二人の姉と私より1歳下で同じ学校に通うビルの5名だった。夕食ではうまくない英語を使って家族と様々な話をしたが、だいぶ生活に慣れたある日、日本の高校時代に見学した広島の原爆記念館の印象が強かったこともあって、原爆がいかに非人道的な兵器かを話題にした。

いつも笑顔で話している家族の顔が急に緊張した。真っ先に、いつも元気のいいお母さんが顔を真っ赤に紅潮させて、「郷ちゃん(ニックネームとしてこう呼んでくれていた)、何を言うの!宣戦布告なしにあの卑怯な戦争を始めたのは日本でしょう!原爆はその戦争を早く終わらせて損害を少なくするためのものだったのよ!アメリカ人はけしてパール・ハーバーを忘れないのよ!」と大きな声でまくしたてるような勢いで言った。 

アメリカでは歴史の授業で真珠湾攻撃についてこのように教えられていることは知っていたが、お母さんの凄まじいまでの反応にちょっとたじろいだ。
普段優しいお父さんも姉や弟たちも「そうだ、そうだ」という風に目を凝らしてじっと私の反応を待っている。何と答えたかは覚えていないが、多分「いや、原爆という兵器の残虐さを知ってもらいたかったので、、、」という趣旨をモゴモゴ述べて、また再反論を受けたような気がする。 

この晩のことが心に残り、その後本を読んだりしながら自分なりにもっと戦争のことを考えるようになった。日本が戦争を始めた経緯、戦争の展開やその影響などが分かるにつれて、戦争がいかに甚大な惨禍や悲劇をもたらすものか、そして戦争の個々の過程で殆ど必然的に非人間的で非道徳的な残虐性を伴うことを深く心に刻むようになった。
無知や誤解や偏見で戦争は一層激化する。
「戦争は絶対避けなければならない」と考え、「戦争を避けるには当事国同士が最後まで平和的に交渉しなければならない」「そもそも誤解や偏見はなくさなければならない」「将来自分もそのために働きたい」と思い込むようになり、外交官を目指す気持ちがますます強くなった。

こうして、大学に入る前から将来の目標が明確に定まり、その気持ちが強かったお蔭で猛勉強した。
試験科目は憲法、国際法、経済原論、外交史などのほかに語学がある。筆記試験の出来が良かったか悪かったかはわからないが、面接試験ではちょっと「ヤバい」ことがあった。
面接では確か当時の斉藤さんという官房長が中心になって受験生に質問した。

私の履歴書の趣味欄を見て、官房長は「柔道をやる人には単細胞の人が多いが君はどうですか」と聞いた。
予想もしていなかった質問に、一瞬ウッと返事に窮した。
黙っていて答えないのも良くないと思い、何も考えず「はい、単細胞です」と答えてしまった。内心「アッまずかったかな」と思ったが後の祭りだ。

ともかく答え終わったことに一息つこうとしたら、「外交官になる人は単細胞では困るのではないか」と強烈な二の矢を放ってきた。いよいよピンチだと感じたが、なぜか咄嗟に「国の一大事の状況には単細胞が必要な時があるかも知れません」という答えが出て行ってしまった。
頭の回転が遅くていつも劣等感を感じている私が、意外と素早く反応したのに我ながら驚いた。

あとで考えると、おそらく軍部に引っ張られて戦争に入っていった日本の当時の状況で戦争反対を強く叫んで抵抗する勢力がなかったことに私が不満を持っていて、もしそのようなことが再度起こったら自分は身を賭して反対しようと決意したことを思い出した。
それが脳裏にあったのかもしれない。

しかし、面接後は「やはり、まずかったかな」「落ちたかもしれない」と悔やんだ。数日後発表があり、何とか首尾よく外交官試験に合格した。外務省は単細胞も採ってくれたのだ。

入省後35年を経た2003年、ブッシュ米大統領の主導でイラク戦争がはじまり、小泉首相は同盟国としてすぐこれを支持した。
私は当時大使としてカンボジアにいた。
イラク戦争は私のこの時の任務にかかわるものではないが、日本の外交上の重大な問題だと考えて、様々な理由を挙げて内部で公式に異論を唱えた。

政府の一員である私が首相が決めた政策に反対するのでクビになるかもしれないことも覚悟したが、このような重要な問題は内部で議論されておかしくないとも考えた。

結果的には、クビにはならず無視された形になったが、やっぱり俺は頑固で単細胞だと再認識した。

次回は、「外交官とは」という見地から、どんな仕事をするのかについて3回ぐらいに分けて具体例を挙げながらお話してみます。


日の光
アメリカの高校卒業記念ダンスパーティーでの私の相手
(手の握り方も分からずぎこちない)


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【小川 郷太郎】
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外交官 第2話 「飲酒力」も役立つ外交官の仕事

【小川 郷太郎】
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第2話「飲酒力」も役立つ外交官の仕事

 「外交官は何をするのか」と問われると、うまい説明はなかなか難しい。多くの人には華麗なイメージがあるらしい。着飾って美味い酒を飲んで、パーティーで踊ったりしてばかりいるのだろうと言われたこともある。
しかし、外交官の仕事の現実はそれとは相当かけ離れている。

確かに、通常レセプションというパーティーみたいな会合は時々あるが、そのレセプションも大事な仕事の場で、酒を飲みながらいろんな国の人と様々な問題について意見を交換したり、情報を集めたり、そういう場を利用して非公式に交渉することもある。
そこで貴重な意見や情報を得たり交渉していることに進展があると、酒は飲んでいても正確にその内容を覚えておかないといけない。新聞記者で言えば「特ダネ」のような情報を得ると、その信憑性を確かめなければいけない。夜遅くてもすぐ大使館に戻って作業することもある。
実際には仕事でダンスをするようなことは滅多にない。私が仮に踊っても、ガニマタだしステップも知らないので相手の女性からバカにされてしまいそうだ。

それに比べると酒を呑む機会は非常に多い。
もちろん協議や交渉の場では酒を飲まずに真剣に渡り合う。
交渉事では、しばしばお互いに原則的立場を繰り返し主張して譲らないので膠着する。そういう時に夕食会があると、酒が入って話が柔らかくなり局面打開に役立つことがある。

情報を収集したいと思ってもしかめっ面してでは何も出てこない。何度も食事をしたり酒を飲んだりして家族や趣味のことをもろもろと話すと、相手の人間性も見えてきて信頼感が出てくる。
モスクワではよくウォッカを呑んだが、あまりにも飲み心地が良いのでロシア人と乾杯を繰り返すと、向こうとの距離は一気に縮まる。固い話が柔らかく進むのだ。

モスクワ時代に日本大使館の同僚として一緒に仕事をしたあの佐藤優さん(私よりずっと若い)。のちに「外務省のラスプーチン」と呼ばれたりもしたが、ウォッカを2瓶ぐらい平気で空けてしまう。
他にも凄い能力を持っているからだが、酒力もあってクレムリンの中まで入っていける人脈を築いた。

私はモスクワのあと韓国に転勤となり、そこでも「爆弾酒(ビールとウイスキーを混ぜて一気に飲む方式)を含めて強い酒を韓国人とトコトン飲み合って議論した。
酒のお蔭で随分相手と意気投合し、親近感や信頼感が増すと難しい日韓の歴史問題についても本音でしっかりした議論することもできた。

そんな「酒生活」をして5年半ぶりに帰国すると健康診断の数値が悪化していたが、飲酒のプラスマイナスを総合すると、プラスになったことは確実である。
レセプションは大勢の場での「外交」だが、狙いをつけた人を個別にレストランに招いて意見交換をしたり情報を集めるのは重要な仕事の一部でもある。
だから、酒が飲めると役に立つことが多い。

もちろん酒を飲み過ぎて失敗するのは言語道断だ。余談だが、モスクワのレストランで友人と話をしていると、知らないうちに近くのテーブルに美人の客が座っていてこちらに視線を送ってくることがあった。
旧ソ連時代は、特に外国人は厳しい監視、盗聴、検閲の対象で、ときには女スパイまで登場する。外交官はとくに「女性には絶対気をつけろと厳命を受けているので、そういう時は酒を飲んでも頑強な自制力が必要になる。四囲の状況をよく見極めていなければならない。まさに「酒は飲んでも飲まれてはならぬ」である。外交官はいつも着飾って気取っていられる職業ではないことは確かだ。

外交官は日本と海外を行き来して仕事をするが、次回は国内での勤務を中心にどんな内容の仕事を経験したかを具体的に述べてみたい。


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外交官 第3話 「国民生活にも意外と近い外交の仕事」

【小川 郷太郎】
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第3話国民生活にも意外と近い外交の仕事

 レセプションや会食は仕事のほんの一部だ。それ以外の場ではけっこう重労働だ。国内勤務は通常は外務省が主な仕事場であるから、日本の役所のひとつとして厳しい勤務環境の中で夜遅くまで、ときには未明まで、刻苦精励する。

接する相手は、他省庁の人たち、政治家・政党、ジャーナリスト、企業の人、国民各界各層の人々、外国人等である。役所のしがらみや政と官の関係もあるから、楽しいこともあるが楽しくないこともある。

外交は内政とも一体であることが多い。「役所の権限争い」として非難されることが多いが、私も政府のほとんどの省庁と「喧嘩」をした。例えば、旧大蔵省(現在の財務省)は国の財政を扱う立場から、農水省は農業を守り育てる立場などから発言し行動する。

外務省は国を発展させるためにはどうしたらよいかとの「国益」意識を持っている。その中には国際的に協調しながら日本の利益を実現しなければならないことが多い。個別の業界を守る必要はあるが、より広い日本全体の利益も考慮する必要もある。そこで、ある問題について国際会議で日本の方針を表明するときや外国からの個別の要求にどう対応するかを決めるには国内の異なる利害を調整しなければならない。

それぞれの省庁には強い立場があり、意見が激突して連日未明まで議論を続けることもある。各省庁とも真剣に「これが国民のためだ」「日本全体のためだ」と思って消耗戦になったりもする。

今日議論になっているTPPもそうだが、もっと小さな個別の問題でも省庁間の立場は異なることが多い。外交が扱う仕事の内容は千差万別である。

私が経験した国内での仕事には、国際法の問題、国際経済問題、地域(欧州諸国)との関係業務、途上国援助(ODA)、外務大臣秘書官などがある。少しイメージを持っていただくため、いくつか例を挙げてみる。

条約局は若い頃の勤務だが、日本で「金大中事件」が起こった。韓国の情報機関が日本に逃れていた野党の金大中氏を拉致して本国に連れ帰った事件だ。
外国の機関が日本で公権力を行使したこの「主権侵害」の行為とは国際法上どういうもので、日本が韓国に対していかなる要求をすることが可能かなどという問題について、国際関係の先例を調べたり、国会答弁を準備したりした。

ソ連のミグ戦闘機が北海道に飛び込んでソ連の兵士が亡命してきた事件があったが、国際法上のパイロットや機体の扱いについても法理論や先例などを調査した。

日本漁船が他国に拿捕された事件については救出方法や法的な対応の在り方を検討する作業にも関わった。

経済局では、先進国サミットに参加される総理や大臣の発言内容の準備とか、日本経済が盛んなりし1980年代に他国との間で起きたありとあらゆる貿易摩擦解決のために相手国と交渉したり、市場開放を目指した国内関係省庁や業界との調整作業が毎日深夜まで続いたことも懐かしく思い出される。

貿易摩擦の例を挙げる。オランダからのチューリップの球根は検疫の観点からすぐには輸入できず、一定期間日本の圃場で育てて検査してからでないと国内の市場で売れない。
スイス産の美味しい生ハムが日本の定める「水分活性値」に合致しないとして輸入できない問題もあった。

その他、輸入外国車の規格に関す規制、輸入スキー板の強度に関する規制など、実に何百何千という輸入品に関した日本の国内規則が、輸入障壁として世界中から非難され、しばしば首脳レベルでもとり上げられた。

フランスからも、葡萄酒の関税が高いとか日本産の葡萄酒のラベルがフランス産と間違えるようなデザインでけしからんとか、随分しつこく批判され是正を要求された。

外務省は、外国に対しては反論し、国内に向いては合理的でない規制は見直し妥当なラインで妥協することを求めなければならない。
外交が随分と現実の日常生活と絡んでいることも実感した。ヨーロッパ担当局では、各国との個別の懸案処理はあるが、総理の訪欧準備作業などでは、相手の国との関係を発展させる方策を考え実施する前向きな仕事も多くて楽しかった。

大臣秘書官時代は故園田直外務大臣にお仕えした。園田外相は国内に強い反対論のあった日中平和条約締結にむけて信念を持って推進された方だ。

大臣の仕事を円滑に進めるためのすべての業務を行う秘書官の仕事は緊張感を伴うし激務であったが、政治やメディアに対して条約締結を説得していく過程での政治家としての手腕をお傍で仕えて学ばせてもらった。

最近は、目的達成のため信念を持って障害を乗り越えていく政治家が見られなくなった。悲しい現実だ。

当然のことながら、外交の問題には国会や国会議員もかなり深く関わるので政治家との接触も多い。政治と官僚の信頼感に基づいた連携も多いが、ときには泥臭い仕事もあり、国会議員等から叱られたたくさんの思い出もある。
外交官は知力も体力も必要だが、困難に出会った時の耐性も大事だ。

人生一般にそうだが、叱られたり失敗したりすることは自分を育てる良い「肥やし」になる。だから、卑屈になることは避けながら甘んじて試練を受けてきたが、それも自分のためになったと思う。

ちょっと蛇足かも知れないが、政党や政治家と官僚がお互いに情報を交換して理解し合い、時には緊張感があっても切磋琢磨することが国のためになることは明らかだ。民主党政権の時代にはこの関係が弱くなってしまった。  

次回は眼を転じて海外での仕事に触れてみたい。


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外交官 第4話 「8カ国、23年間の海外勤務」

【小川 郷太郎】
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第4話 8か国、23年間の海外勤務

 海外勤務は、私の場合、外務省約40年間のうち23年を占めている。勤務地は8箇所、すなわち、フランス(2回)、フィリピン、旧ソ連、韓国、ホノルル、カンボジア、デンマーク、リトアニアである。歴史や文化体系の違う国ばかりなので、それだけ面白かった。

3人の子供たちが大学生になるぐらいまではいつも家族一緒に海外赴任。子供たちにも時には大変なこともあったようだが、小さい時から海外の体験をしたことはその後に役立っていると思える。

ソ連では、日ソ漁業交渉の政府代表代理も務め毎年延々と長丁場の漁業交渉でソ連側とやり合う。ソ連式の高圧的な交渉術を現場で体験した。

韓国では、国内の強い反日世論に対応する一方で日韓関係を文化の面から強化していくのが広報文化担当公使としての主な仕事だった。根拠なき反日の誤謬記事には編集委員との議論や、新聞社への抗議、新聞や雑誌への投稿、講演などで反論し、誤解を解く努力をする。時には緊急記者会見をして、反日記事の間違いを説明し韓国のマスコミ批判をしたこともある。
事実に基づいて論理を尽くして話せば、反発でなくて理解してくれることも知った。これも結構面白い仕事だった。

フィリピン時代には総務担当に加えて領事も兼任していたが、日本人が巻き込まれる殺人事件や飛行機の墜落事故も含めた邦人援護活動が多く忙しかった。

ホノルルでは総領事、カンボジア、デンマーク、リトアニアでは大使としての仕事であり、それだけにやりがいが多かった。とくにカンボジアでは、ポルポト時代の内戦などで国土や人材や社会制度が破壊された後のこの国を再建するうえで日本が先頭に立ってやったので、40年間の外交官としての仕事の中で最もやりがいと達成感があったと感じている。

フランスやデンマークは先進国で、ともに日本は良好な関係を維持している。これらの国で生活することによって、彼らの生き方や社会の制度について多くのことを学んだ。それは日本人の生き方にも大いに参考になるものであった。

外交官としての最後の仕事は、「イラク復興支援担当大使」として、戦争後のイラク復興を日本として支援した。この間一時アフガニスタン復興支援も担当した。
現地に何度も行き来して、戦争と破壊の不条理さに思いを致した。

出張ではアフリカや中南米、中東にも行ったので世界中を回ったことになる。お蔭で、日本だけにいた場合にはわからない多くのことを学んで視野が広くなったと思う。

国と国が良い関係にない場合でも、相手の国の人々はとても人間的で優しくていい人たちだと思うことも再三あった。実際、世界は無知と誤解と偏見だらけだ。だから、中国や韓国との関係が緊張しても一方的に相手の国全体を否定的に考えることには慎重であるべきだとも思う。

考えてみると、外交官の仕事は森羅万象を扱う。仕事の対象は結局どれも人間に帰する。語学力や専門知識は重要だが、個々の事象についての知識だけでなく幅広い視野と柔軟な姿勢も不可欠である。

国内外を問わず、交渉には粘り強い説得力や何日も徹夜で議論できる体力も必要になる。大事なことは、喧嘩したり対立しても誤魔化したり嘘を言わないで議論することだ。時には本音を吐露して、実は困っているんだとこちらの事情を白状したりすると相手がわかって同情してくれることもあった。
信頼感ができれば、かつての喧嘩相手の某省の元高級官僚といまだに付き合っている例もある。

何の職業でもそうだが、人と接するためには人間性が大事である。総合的な「人間力」と言ってもいいかも知れない。

外交官には高邁な仕事もあれば、泥臭い僕(シモベ)のような仕事もある。それでもやりがいは、日本の国をどうしたらいいかの視点でものを考え、国のことを念頭に仕事ができることだと思う。

ちょっと話が抽象的になってきたので、次回からはもっとエピソードなども交えて話していきたい。
フランスから始めます。


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外交官 第5話「フランスという国」

【小川 郷太郎】
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第5話 フランスという国

 最初にお断りしておくが、私はちょっとフランスを偏愛しているのかもしれない。しかし、自分の心のうちでは、本当にフランスって面白いし、素晴らしいなと思っていて、その理由にもそれなりの自信を持っている。だからこそ偏愛なのかもしれないが、まあ聞いてください。

一応、フランスという国とフランス人という人間に分けて話しますが、両者は相互に関係し合うので混じり合った議論になるかもしれません。 

フランスという国のどこが面白いかというと、その地政学的位置と歴史からくるものがある。学問的に実証する力はないが、要するにヨーロッパ大陸のほぼ中央に位置し、何世紀にもわたって民族が大移動した舞台となったことが、この国のありようを形成していると思う。

ローマ人に占領されたり、ゲルマン民族が走り回ったり、また王制がかなり長期間にわたって栄えたかと思うと、市民が実に血なまぐさい革命を起こして王制を倒した歴史があり、自由・平等・博愛の精神が強く根を張っている。近世には2度にわたった隣国ドイツとの激烈な戦争を体験した。
こうした要素が、フランス人をとてもコスモポリタンで、自己主張が明確な個性のある国民にしていると思う。

つまり、歴史を通じて異なる民族が日常生活のなかで身近に住んでいるのでフランス人は異なる考え方に接して広い視野が育まれ、あるいは異なる民族と対峙したり戦ったりする歴史を通じて、言葉を用いて立場を明らかにして自分を守っていく姿勢がDNAに刻まれたような気がする。

そのせいか、フランス人は、日本人と違って「外人」と自分たちをあまり意識して区別しない傾向がある。
卑近な例を挙げると、フランス滞在中、外見上外国人であることが明白な私がよく道を尋ねられたが、日本では外国人に道を尋ねることはしないだろうと思って興味を覚えた。

自分の地位が危なくなると断固として戦うことにもなる。だから、フランスでは多様な議論が煩わしいくらい噴出する。それも面白いという風に見れば実に面白いのだ。

日本も変化に富む独自の歴史があるが、大きな違いは、日本は島国であったことも幸いして外国に侵略され、征服された経験がない。13世紀の蒙古来襲の時は危なかったが、「神風」で救われた。だから、総じて同じ考え方や習慣を持つ国民が仲良く生きてきた。日本人はフランス人に比べるとおとなしくて融和的だ。 

地理的に見ると、フランスの国土は平野の部分が大きく、広々とした畑やゆったりとした丘陵が地平線の彼方まで広がる。ヨーロッパの中央に位置するので、気候は北欧のように寒くもなく、国土は青い空、白い雲を仰ぎながら温暖な地中海に続く。雨も適量に降り、太陽も大部分の国土で気持ちよくそそぐので、空気は適度な湿潤さを含んで土地はとても肥沃である。

だから、全国的に麦や野菜などが豊富で、そこかしこに葡萄が生育し太陽の照射や湿度・温度の絶妙な組み合わせのお蔭で世界に冠たる名酒が生まれ、広い牧場で放牧される牛たちの乳からは多様なチーズが作られる。
地中海や大西洋、ブルターニュ、ノルマンディーの恵みで海産物も豊富だ。

こうして、美味しいものが出揃い、食うに困らない環境の中で旨い物への関心が高まり、フランス料理が育まれてきた。

料理は、パリの中の名の売れたレストランやミシュランの星付きの店だけがいいわけではない。田舎に行って小さなレストランに入れば、どこでもだいたい美味く、安いので大満足する。市場に行くと山のような魚介類、新鮮な野菜、チーズなどが所狭しと並んでいる。

カキが旬となる秋から冬場には、市場に行って1ダース、2ダースと買ってきて、自分の手でそれを開けて、レモンを垂らし冷やした白葡萄酒と一緒に存分にカキを食べるのも楽しみだ。 

私は2度にわたるフランス滞在中にヨーロッパ全土を車で走り回った。その経験で言うと、フランスの風景はヨーロッパ諸国の中でもとりわけ美しい。
なぜかというと、適度な太陽の照射と湿度のお蔭か、木々や草の色が心地よい湿潤さを湛えていて他国で見る緑の色よりもずっと瑞々しく美しく見える。(また偏愛癖が!)
空から畑を見ると、肥沃な土の黒々とした色と幾分水分を含んだ柔らかい絨毯のような麦畑や野菜の緑のコントラストは素晴らしい。広い田園の奥の方には細身の教会の尖塔が凛として頭を出し、そこに街があることを示唆している。家や建物の姿かたちも実に味わいがある。

屋根や壁の輪郭線はドイツのように定規で引いたような一直線ではなく、手描きのような温もりがある。煉瓦造りで整然としたイギリスの家と違い、壁の汚れやシミなどが古さを湛え、味わいを醸し出す。あちこちに電信柱や電線が醜悪な姿をさらし、高さも向きもまちまちの建物や家屋が雑居する日本の街と違い、パリの街の中の建物は高さや色・形をそろえ、融合した優美さを見せる。

二度の大戦を戦ったがあまり大きな破壊を被らなかったことが幸いして、歴史や古さを湛える町が多い。
パリはその典型で、美しい17〜8世紀の建物がときどきの修復を得ながら昔の儘の美しさを維持している。パリに最初に行ったのは1969年だが、今でも街全体の景観や雰囲気は少しも変わっていない。感動して、「パリは永遠にパリだ!」とひとりで快哉を叫んだことがある。

都会だけでなく村や田園も、色彩的にも、そして形の上でも、楚々として美しい。印象派の素晴らしい風景画は、そうした田園の風景の雰囲気を見事にとらえている。フランスの大きな魅力の一つは風景にある。 

私は退職したらパリに住みたいという夢をずっと抱いていた。今もその夢を捨てきれないが、お金もなくなって家を買うことができない。せめて時々フランスに行って、しばらく滞在し国内を回りながら美しい風景をスケッチしたいというのが、やや後退した今の夢だ。ヨボヨボになる前に早く実行しなければと考えている。  

次回は、フランス人について述べてみたい。


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【小川 郷太郎】
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外交官 第6話 「フランス人とは (1/2)」

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
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外交官

第6話 フランス人とは (1/2)

日本人であれフランス人であれ、人は皆千差万別なので、この国の人はこうだと明確にいうのはなかなか難しい。

でも、1969年にフランスに行って以来今日までいろんな形でフランス人と付き合ってきた経験から、あえて私が見るフランス人像を描いてみる。

パリ、パシー通りにあるカフェー・バー
パリ、パシー通りにあるカフェー・バー"Tabac de la Muette"(2010年8月)

先ず言えるのは、抜群の好奇心があるということである。とくに異質のものに関心があり、かつそれを理解する能力が高い。違っているものを見たとき興味を感じ、それはなぜそうなのかと自然に考え自分なりに理解しようとする癖があるようだ。

随分昔の話だが、相撲を見たフランス人が、「すごく面白い」といった。まだ外国人力士も皆無で相撲が世界的に知られる前のことで、私は、裸の巨体に褌をまきつけた力士が何度も仕切りを繰り返し、立ち上がったと思ったら一瞬のうちに勝負が決まることの多い相撲は、外国人には到底ウケないだろうと思っていたので、ちょっと驚いてなぜですかと聞いたことがある。

そのフランス人は、「いやあ、塩をまくのは土俵を清めるためだそうですね。それは土俵を神聖なものと見ることで、素晴らしい精神性だと思います。仕切りを見ていても、真剣そのもので、次第に力士の顔面や身体が紅潮して闘争心が全身に高まるのが感じられます。
それに、仕切り前に俵に踵を載せて両手を広げてするあの所作や負けた後でも礼をして土俵を去る姿に清々しい礼儀正しさを感じます」と説明してくれた。

フランスの有力な閣僚を外務省が日本に招待した際、京都にお供をしたことがある。三十三間堂を見学した際、その方は仏像の前に佇んだまま2,3分じっと動かないで見詰めていた。何か深い精神的なものを感じたようだった。

伝統工芸の彫金の作業場を見学したこの大臣は、これまたじっと何分も作業を見続けてこう言った。「作品は実に精巧なものだ。このような細かい作業を辛抱強く長時間ずっと続けて姿勢を崩さない。魂が入っているようだ。ここに日本の発展の秘密を見る思いがした。」ときは日本の経済が隆盛した1980年代半ばのことだった。

フランス人は言葉と論理をとても重視する。小さい時から学校でデカルト的思考方法や三段論法を叩き込まれているからだろうか。
ボルドー大学で研修していたとき、友人が些細なことにまで大上段に振りかぶったような議論をしたので、そんな大げさに話さなくてもいいのではと思ったこともある。

理屈っぽく延々と長広舌をふるっているのを聞いていると、随分知識の豊かな立派な人だなと思ったりするが、終わってから、はて何を言ったかと考えてみると、大した中身がなかったと思うこともあるが。言葉がフランス人には大事なんだなと思ったことがある。
仲の良いフランス人の男女を見ていると、いつも「ジュテーム(Je t’aime:愛している) という言葉を繰り返し交わし合っている。

フランスでの研修時代、友人の女性から時々「私を愛しているの?」と聞かれることがあった。「以心伝心」の文化のある国で育ち、妙な古臭い男の衒いもあって、私は何度か聞かれても「サムライはそんなことは言わないのだ」「俺の態度を見ていればわかるだろう」としか答えなかったので、彼女は寄って来なくなった。

明確な言葉がないと態度だけでは相手の心がわからないのかもしれない。あまり適当な例ではないが、言葉が人間関係を結ぶ重要な要素であり、その度合いは日本よりはるかに強いと思った。


続く


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【小川 郷太郎】
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外交官 第6話 「フランス人とは (2/2)」

【小川 郷太郎】
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第6話 フランス人とは(2/2)

フランス人と渡り合うには、言葉と論理を研ぎ澄ましてどんどん話していかないと自分の立場が不利になったり、社会的に存在感を維持できなくなることを学んだ。
個性もフランス人の特色だ。子供の時から個性を生かす教育をしている。自分で考え意見を述べる訓練がなされ、他人と違う独創的なことは評価される。

二度目のフランス勤務は、結婚して妻と二人の幼い娘を伴っての赴任だった。長女は小学校1年、次女は幼稚園だったが、いずれも現地校に通わせた。
家族とフランスを訪問した母 (パリ、1986年)
家族とフランスを訪問した母 (パリ、1986年)

週末など、長女が時々家に友達を連れてきて遊んでいるのを見ていると実に面白い。小さいのにみな我先にと進み出て、それぞれ子供らしからぬほど気の利いたことを喋ったり、面白い仕草をしたりする。
ある子は暗記した詩をジェスチャーを交えて朗読する。他の子は自分の経験を表情豊かに得意げに説明する。ああ、これがフランスの教育なのかと納得する思いだった。

娘もそうした学校の雰囲気が好きなようで、友達と同じように溌剌と振舞っていたが、4年生の3学期に日本に帰国して初めて日本の小学校に通学した。
我先にと行動するフランス風の態度は融和を旨とする日本のやり方と合わず、後からわかったことだが、級友から相当ないじめを受けて苦しんだらしい。先生も「お宅のお子さんは個性が強すぎて・・」と否定的に評価していた。

フランス社会では個性を尊重するから、妙な考えでもそれを排斥せず、何故それをいいと思うか説明させるように躾けている。
だから、他人と意見の違う場合でも堂々と論理を展開して譲らない。100人が賛成して自分だけが孤立しても臆することなく堂々と反対論を述べることも多い。

そうした態度は国家でも同じだ。国際会議で孤立しても反対の時は徹底的に反対する。困るのは他の国で、何とかフランスと妥協しようとする。

前回この欄で、フランス人はコスモポリタンだとの趣旨を述べた。世界を広く多角的に見る。アジアなどで出会ったフランス人の中には、何年も祖国を離れてアフリカやアジアの国に住んでいる人が相当数いた。

それぞれの国で「面白さ」を発見してそこに長く住む。そこからさらに他の国に転勤を望む人もいる。何年も故国に帰らないで、みずから途上国勤務に手を上げて、そこでの生活を楽しむ人たちだ。すぐ日本に帰りたがる傾向のある日本人とちょっと違うところがある。

愛国心が強く、フランス語やフランス文化に強烈な誇りをもっているが、けして排他的でない。自分の文化の良さに確信を持つがゆえに、他国の文化にも関心を持ちそれに敬意を払うのだろう。
新しい建築物をつくるときに設計を国際入札にかけ、国籍にかかわらず一番いいと思うものを受け容れる。

17世紀頃の伝統的な建物であるルーブル美術館の中庭に作ったガラスの斬新的なピラミッドの構築物も中国系アメリカ人のデザインによるものだ。
文化に関する好奇心と理解力が優れているフランス人にとって、日本は高い関心の対象である。

私は、日本が文化の深さでフランスと並び、その多様性においてはフランスを凌ぐ、世界にも稀な文化大国だと思っている。 だから、日本人とフランス人とは相互に理解し合い親密になる。相性がいいのだ。

19世紀後半のフランスに「ジャポニズム」が起こり、今日でも日本の懐石料理からインスピレーションを受けて「ヌーベル・キュイジーヌ」という新たなフランス料理のジャンルが生まれたことも、こうしたことが背景にあると言える。

柔道は世界でフランスが最も盛んだ。創始者嘉納治五郎の考えや柔道の持つ倫理的精神的価値を深く理解しているからだ。
60万人と言われる柔道人口の主要部分は子供や若者である。
フランスの親たちが、礼儀や精神力などを養成する柔道の価値を子供に身につけさせたいと思って道場に連れてくる。

東日本大震災が起こった直後、フランスの柔道雑誌「柔道の精神(L’Esprit du Judo)」がいちはやく「私たちは日本人だ」と題する特別社説を1ページ目に掲げた。

要旨は、「我々は柔道を通じて日本の素晴らしさや日本人の心をよく知っている。柔道の稽古を通じて日本人と同じような気持ちを持つようになっている。我々は日本人でもある。今回の信じられないような悲惨な災害は我々に起こっているような気持になる。心から支援したい。」というものだった。  

日本では、フランス人を自分勝手で利己主義的だと見る人が多い。あるとき、フランスを知る私の友人に「フランス人は親切だ」と言ったら驚かれたことがある。実際私の知るフランスの友人は皆とても親切だ。親身になって付き合ってくれる人が多い。

最初はある程度礼儀を守りながら付き合うが、すぐに打ち解けて親密になることが多い。フランス勤務時代に子供が通っていた学校の保護者同士として、あるいは近所同士として、気軽に食事で家に呼んだり呼ばれたりする友人が何人もいた。
そういう人と、30年40年経った今も昔と同じように親しくしている。

フランスに行くというと、誰もが「家に泊まって」と言ってくれので、ときどきお言葉に甘えて泊めてもらう。
東日本大震災で原発事故が起こったとき、多くの外国の友人たちが心配してくれたが、「日本は危ないから家族を連れてきてしばらく我が家にいてください」と言ってくれたのはフランス人が圧倒的に多かった。    

もちろん、フランスやフランス人のすべてが素晴らしいわけではない。社会の秩序や清潔さなど、日本の方が優れているものも多い。それでも事実は、フランスには目に入るものが美しく、口にするものが美味しく、感性に訴えるものはしばしば知的で刺激的で、人間性にも温かみがあるというのが私の印象である。

次回は、最初の滞在で4年を過ごしたフランスを私がどういう風に学んだかについて語ってみたい。


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【小川 郷太郎】
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外交官 第7話 私のフランス勉強法

【小川 郷太郎】
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第7話 私のフランス勉強法

私の最初のフランス滞在は1969年から73年までの4年間、年齢的には26歳から30歳のときであった。当時の写真を眺めると、「俺も随分若かったなぁ」と懐かしくも熱い思い出が蘇ってくる。

最初の2年の大部分を外務省の研修生としてボルドーで過ごし、後の2年はパリの大使館で駆け出しの三等書記官(途中から2等書記官に昇進)として勤務した。

外交官としての研修の目的は、フランスのことを出来るだけ深く知ることだと考えた。外交では、あらゆる状況に対応できる能力が必要だと認識していたからだ。

フランス語を覚えることは重要な要素だが、それだけでなくフランスの歴史や文化を知りフランス人をよく理解することが不可欠だと考えた。机の上の勉強だけを必死にやるのではなく、フランスの全体像をつかむために多角的な方法で取り組もうと心掛けた。

Blois 城からの風景(2010.8.15.)
Blois 城からの風景(2010年8月)

ボルドー大学の「政治学研究所」に登録してフランスの政治や歴史、国際関係の講義を選択し、ゼミにも出た。
幸い当時の外務省からは修士などの学位取得は義務付けられていなかったので、文学部の授業にも顔を出した。あまり理解する能力はなくても、フランス文学の雰囲気にも触れたいと思ったからだ。

余談になるが、前年の1968年にフランス全土で大規模な学生運動が起こって以来、大学の民主化が進み始めた時代で、キャンパスには女子学生も顕著に増え、社会科学系の政治学研究所とは雰囲気が違っていた。

中学生の時からNHKのラジオ講座などでフランス語をやっていたが、やはり現地の生活に入ると言葉はなかなか難しい。大学の先生の格式のあるフランス語は比較的わかりやすく、何か月かたつと概ね理解できるようになった。

しかし、学生の友達と話すとスピードは速いし、学生言葉や俗語が多く、また世の中で流行している事柄も知らないので、数人の輪の中での会話はほとんどわからない。
ずっとそんな状態から脱せられないので自己嫌悪に陥りそうだったが、我慢してじっと耳をそばだてて、ちょっとわかるようなときには勝手に言葉をはさんだ。

フランス人は大勢で話すときには我先に自分の考えをまくしたてるし、他人が話していても、それを押しのけて大声を上げて自己主張をする傾向がある。

おずおずと話しても無視されるので、日本的謙虚さを投げ捨てて声を張り上げ図々しく話すようにしたが、それでもフランス人の方が声の勢いやスピードに勝り、はじき飛ばされてしまう。

あるとき、その時の話題に関連して日本のことを言ってみたら、こちらを向いて興味を示してくれた。異国についての好奇心が強いことがわかったので、ときどき「あのー、それは日本ではねえ」と大きな声を出すと聞いてくれるようになった。

外交では格調の高い文章が必要なので、毎日ル・モンド紙を読んで、興味ある記事や社説を選んで、それを何十回と音読する訓練を行った。

英語の勉強もそうだったが、半ば暗記するくらいまで音読を繰り返すと、それが口調になって、最初の一語を発するとそのあとの文章がスラスラと続けて出てくるようになる。なるというか、なるまで反復音読をするのである。

そうなると、あまり文法などを意識せずに正しい文章が口をついて出てくる。
高校時代の英語の試験問題で、よく文章の一部が括弧で空白になっていて、そこに入る前置詞は何か、などと聞かれる。文章を暗記するくらいに覚えていれば文法を考えずに自然に口調で括弧に入るべき正しい語句が出てくる。

これは私の語学勉強法であるが、ペーパーテストで威力を発揮するだけでなく、会話や作文でも日本語を考えずに滑らかに話したり書けるようになる。英語を勉強した時の経験でこの方法でフランス語も取り組んだが、効果は抜群である。

フランス人学生との会話の輪に入っていくことや、柔道の練習の後の酒を飲みながらの気楽なおしゃべりにもできるだけ加わったが、最後までこの種の会話は難しかった。
きれいな文章を書くことも練習しなければと思っていたが、あるとき思いがけない事が起こった。

文学部の講義を聴きに行って休み時間にブラブラしていたら、一人の小柄な女子学生が「ボンジュール」とニコニコしながら私に話しかけてきた。
忘れっぽい私が怪訝な顔をしていると、「先日道場でお会いしましたね」と言う。まだ思い出さないでいると、先方は道場の名前を言って、先週そこで一緒に練習しましたという。

漸く思い出して、「ああ、あの時の」と私が答えると、「ええ、名前はシャンタルです」と名前も忘れている私を慮って名乗ってくれた。記憶がやっと蘇ってきた。小柄ながら黒帯で身のこなしがよく、私はなかなか投げられなかった相手だ。

会話が進み、シャンタルが仏文学専攻の教員志望者と知ってお願いをした。私が書くフランス語の作文を添削してほしいと頼むとすぐ快諾してくれた。それ以降私は、日本のことなどいろいろなテーマで文章を書き、それを添削してもらい、間違っているところなどを解説してもらった。
彼女も日本のことについて関心を持って聞いてきたりした。

こうして彼女がフランス語作文の個人教授になってくれた。柔道のお蔭である。「芸は身を扶く」である。

次回は、フランス語だけでなくフランス人やフランス社会を全体的に知ろうとした私なりの努力について話してみたい。

セーヌ河畔のパリ (1983年8月)
セーヌ河畔のパリ (1983年8月)


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外交官 第8話 フランスを「全体的に知る」(1/2)

【小川 郷太郎】
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第8話 フランスを「全体的に知る」 (1/2)

先に述べたように、フランスを知るのは言葉の勉強だけでは足りない。フランスの社会にできるだけ入り込む必要がある。

そういう観点から最も役立ったのは、やはり柔道であった。以前に書いたように、このボルドーには道上雄峰社長のお父上の道上伯先生が道場を構えて柔道を教えておられた。私にとっては何にも増して有り難く幸運なことであった。
ツール市の道場で道場主のジャン・クロード3段らと (1969年8月)
ツール市の道場で道場主のジャン・クロード3段らと (1969年8月)

この道場に通いお世話になり、連日のように道上先生から柔道の指導を受けただけでなく、稽古後の飲み会で温かいご薫陶を得たのである。

ボルドーに約50年在住され、ヨーロッパやアフリカも含め献身的に柔道を指導された伝説的な大柔道家である。1964年の東京オリンピック無差別級で日本の選手を破って優勝したオランダのヘーシンクを育てた人でも知られる。

柔道の技量では当時でも現在でも先生の右に出る人はいないほどであったし、精神性の面でも古武士のようなカリスマ性をお持ちであった。このような大先生に親しくご指導をいただいたことは私にとって生涯忘れえない有り難い経験であった。

御存じの方も多いと思うが、フランスは柔道が世界でも最も盛んである。1969年当時でもフランス全国のどんな小さな村に行っても道場があった。
日本では見られなかったが、女性も男性と一緒に稽古をしていた。道場に来るのは猛者風の若者だけでなく、まさに老若男女である。親に連れられてくる小学生から60歳を超えた御婦人までが柔道を楽しみながら学んでいた。

フランスでは、昔も今も柔道は「苦行」というより、忍耐力、自制心、礼儀、誠実さなどの精神性を養うと同時に強い肉体も鍛えられる「武道」として理解されているのだ。

道場にやってくる大人たちの職業も千差万別で、大学教授、医者、公務員、学生などのインテリから自営業、運転手、屈強な石工など様々な人たちがいた。そういう人たちと夕方から練習をし、稽古後はきまって近くのバーで大ジョッキーを数杯飲みながら1時間ほど駄弁る。

その後、奥さんが待っている恐妻家は家路に急ぐがそれ以外の人は場所を移し一緒になってレストランで食事をする。食事は延々と続き夜中を過ぎることもある。
葡萄酒の大産地だから普通のレストランには奥に樽が据えられていて、葡萄酒が陶器の容器になみなみと注がれて出てくる。空になってもすぐ次の器が満たされて出てくる。酒が心地よく胃袋を潤す。
話題は、周りの人の噂話から料理や酒についての講釈、凍結した道路で危ない目にあった運転などの様々な体験談、それぞれの人の家庭や仕事についての話、柔道談義、エッチな話など、豊富である。

こうして、私はいつもおしゃべりのフランス人たちと一緒にフランス語とフランス社会についての勉強に努め、ときどき日本のことを話すのが日常的になった。酒を楽しく飲めることは、やはり有り難い資質である。


続く


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外交官 第8話 フランスを「全体的に知る」(2/2)

【小川 郷太郎】
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第8話 フランスを「全体的に知る」 (2/2)

柔道の稽古はかなり激しく、時には苦しい思いで肉体をぶつけ合い投げたり抑え込んだりする。だから稽古をした者同士の親密感は尋常ではないものがある。
柔道の仲間たち(ツール、1969年)
柔道の仲間たち(ツール、1969年)

2007年であったか、道上道場の創立50周年の記念行事があったが、昔の柔道仲間が私にも連絡してくれたので、ボルドーに行って旧交を温め、懐かしい道場で練習をし、道上伯先生の偉業を皆で偲んだ。もちろん、道上雄峰さんはそのホスト役であった。

柔道はフランス人がその価値について絶大な評価をしてくれるおかげで、私にとってはフランス社会に溶け込むうえで格好の手段であった。

そういう点から考えると、フランス人が誇る葡萄酒もフランスを知る上での重要な要素であり、ここでも酒好きであったことは何と幸いであったことかと思う。

ボルドーでの研修中、葡萄の収穫期に葡萄酒造りの小さな農家に数日泊まり込んで葡萄を摘み酒を造る手伝いをした。
広い畑の葡萄を狩るには人手がいる、晩秋のこの時期にはスペインやポルトガルからも人手を集め、周辺の学生もアルバイトで作業に加わる。
ボルドー近郊の葡萄酒造り農家の葡萄畑でアルバイトの女子学生らと(1970年晩秋)
ボルドー近郊の葡萄酒造り農家の葡萄畑でアルバイトの女子学生らと(1970年晩秋)

私が行った農家はガロンヌ川中流のバルサックという村であるが、ここは世界的に有名な甘いデザートワインの産地である。「貴腐葡萄」から作るので、収穫期にはカビが生えたようになった葡萄だけを摘む。まだ若い葡萄は切らずに後日の収穫に残すので一収穫期を何度かに分けて摘む。

葡萄を狩るのは重労働だが、酒を造るプロセスを手伝うのは興味深かった。葡萄酒の作り方が概略わかった。

肉体労働の後は大夕食会だ。田舎料理だがこってりと美味しく、また葡萄酒もふんだんにふるまわれる。酒が入って、ポルトガル語やスペイン語も混じり、若い学生もはしゃいで大宴会となる。
たらふく食べた後は、心地よく酔って農家の広間で大勢が雑魚寝をする。これも楽しい思い出だ。

「フランスを全体的に知る」うえで、旅行も欠かせない手段だ。
大学での勉強が休みの時などを利用して積極的にフランスを見て回った。数年後の二回目の勤務の時も含めるとフランス全土をほぼ回ったことになる。

旅行を通じて各地の地理・風土や歴史・文化の概略を知ることができる。書物で学んだフランスの地理や歴史は、あちこち行って見ることによって「ああそうだ」と理解ができ、記憶にもよく残る。

後方から見たノートルダム(1983年4月)
後方から見たノートルダム(1983年4月)

フランスが豊穣で豊かな国土と興味深い歴史・文化を持っていることを実感できる。 余談になるが、どんな田舎に行っても料理がうまくて嬉しい。

フランスの生活に慣れてからイギリスに行って驚いたのは、なんて食事がまずいことかということであった。まるで味がない。こんなものを食べているとはと思ってイギリス人に大いに同情したものである。もっとも、その後2〜30年してヨーロッパの統合が進むにつれて英国の食事は少し良くなったりはしたが。

フランス を構成する国土や歴史や人を知るうえで旅行は極めて役に立つ。そういえば、日本にいる外国の外交官たちも随分日本国内をまわって各地の人と接触している。それによって、日本を一層多面的に深く知り、日本に愛着を感じてくれるのだ。

私の場合、車で旅行するときなどはいつも柔道衣をトランクに入れて移動した。時間に余裕があると道場を訪ねて、道場主に会う。少し練習などをすると大歓待してくれて、一宿一飯の恩義にあずかることもある。見知らぬところに行っても柔道のお蔭で土地の人と親しくなれた。

次回は、フランス人の生き方について私が感じたことを書いてみたい。


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外交官 第9話 フランス人の「生きざま」(1/2)

【小川 郷太郎】
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第9話 フランス人の「生きざま」 (1/2)

日本ではよく「フランス人は個人主義的」だといわれる。
個人主義的でない日本人から見ると、何となく自分勝手というイメージでとらえられることがあるが、付き合ってみていると、フランス人は結局「自分を大事にして生きている」ということではないかと思う。

カフェ・マドレーヌ(パリ)
カフェ・マドレーヌ(パリ) (2010年8月)

日本人にも自分の考えや趣味があるが、それ以上にフランス人は自分が何をしたいかが明確である。自分の頭で考えて自分に一番ふさわしく、あるいは自分が一番したいことを主張するし、その理由づけもはっきりしている。そして、そのしたいことを実現しようと努力する。

そういう姿勢の背景には、自分の生活の「質」を出来るだけ充実したものにしたいとのしっかりした意欲があるようだ。日本人には周りのことを考えて自分を抑えることが多い。 彼らを見ていると、個人主義的な生き方もいいものだなと感じる。

例えば、大多数のフランス人は夏に1か月ほどのバカンスをとる。ふつう、前の年からバカンスの計画を立てて楽しみにしている。キャンピング・カーを引っ張って何箇所かを移動することもあるが、一か所に留まってゆったり過ごす方が多いのではないか。子供と一緒の場合が多いので、じっくり家族の絆を温めるのにもいい機会だ。

ロワール河畔風景
ロワール河畔風景 (2010年8月)

日本人はどちらかというと、仕事をすることに価値を見つけ、また、責任感もあるので、あるいは他人を慮ったりして、長い休みは遠慮する。日本人は、やりかけの仕事のことが心配だったり、長い休みに何をしたらいいかわからなくて戸惑ったり、あるいはお金もかかると心配もして、認められている休暇日数も消化しないで我慢をする。だから、人生を振り返ってみると損したような気分になる。

フランス人は、仕事は生活の手段ととらえて、自分のやりたいことを優先的に実施する。日本人からすると驚くかもしれないが、レストランとかクリーニング屋も一か月閉店する。予め何日から何日までバカンスで閉店しますと張り紙をして堂々と休む。その店に行きたかった人は別の店に行くしかない。

クリーニング屋にワイシャツを入れておいたので取りに行ったが「バカンスで閉店」だったりすると、泣いてもわめいても取り出せない。ひと月待つしかない。フランス人はそういうものだとして、腹も立てず何事もないように平然と生活をする。

役所を相手に継続的に交渉している事項があっても、相手の担当者はバカンスを優先して休む。誰か代わりの人が引き継いでくれることもあるが、そうでない場合も多い。

しかし、急いでいる案件が決着できなくても、実際にはひと月遅れるだけで、天地が引っくり返るようなことにはならないことをフランスに住んでみて悟ったときもある。

フランス人はなぜ、バカンスをとるのかと思って、彼らの様子を観察してみた。私の結論では、彼らは、バカンスを通じて人間性を求めようとしているのではないかと考える。日本人よりは勤勉でなくても、彼らは「仕事ばっかりで、やっていられないよ」と大げさにこぼす。だから、バカンスで息を吹き返したいのだ。


続く


ヴィル・ダヴレ(パリ近郊)の池・晩秋の風景
ヴィル・ダヴレ(パリ近郊)の池・晩秋の風景 (1983年11月)



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外交官 第9話 フランス人の「生きざま」 (2/2)

【小川 郷太郎】
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第9話 フランス人の「生きざま」 (2/2)

パリ勤務時代、近所で親しくしていた弁護士の友人がいた。
共に子供たちが同じ学校に通っている関係で親しくなり、お互いに食事に招いたり招かれたりして家族同士で付き合った。この家は毎年スペインとの国境に近い街にある古い大きな館を1か月借り切ってバカンスを過ごしていた。「海辺のとても綺麗なところだから一緒にバカンスに行こう」と何度も誘われていた。

2年目の夏、私も経験をしてみようと決心した。当時私は、経済開発協力機構(OECD)日本政府代表部に勤務していた。国際機関であるOECDは幸い夏休みで、委員会も大部分が閉会する。

上司にお願いしてやっと認められたのは、「2週間の休みを許可する、但し、急に日本から国会議員など重要な来客がある場合にはバカンスは変更してもらう」との条件付きだった。家を借りる予約をしていて行けなくなれば、違約金を払わなければならない。弁護士のジャン・マリは公務優先の日本式やり方を不思議に思いながらも喜んでくれた。

2週間ではあったが、バカンスを経験してみると凄く良い効果があることが分かった。パリから700キロ余り離れたサン・ジャン・ド・リュスという町はフランス南西部の大西洋岸に位置しているが、小ぶりの湾に囲まれているので大西洋の冷たい海の水は静かな湾で温められて心地よい。

借りた家からは道を隔ててすぐ海岸に続く。居間の大きな窓からは、目を射るような碧い海が眺められる。空気は乾燥しているので家の中は冷房なしで涼しい。空は限りなく広く、海は碧い。三方に広がる緑の丘陵には、赤い屋根やオレンジ色の瓦屋根の民家が点在し実に美しい。気持ちがスーッと広くなるような気がしてくる。

Cote BasqueCote Basque(1982年7月)

パリでは毎日、朝から夜遅くまで仕事漬けだが、こういうゆったりとした時間と空間に身を置いてみると、いろいろな思いが浮かんでくる。仕事ばかりで出来なかった自分の雑用を片付けたり、仕事に関しても、バタバタの中では思いつかない新しい発想などが出てきて、「ああ、あれはこうしよう」とアイディアを得ることもある。

ジャン・マリは時たま自分の事務所に電話して同僚に指示する以外は、全く自由に時間を過ごす。本を読んだり、音楽を聴いたり、ときどき我々と一緒にスペイン国境を超えて近くの街を見に行ったり、ゴルフをしたりもする。彼もこうしていると、仕事や生活面で新しいインスピレーションが湧くこともあるという。

両家の子供も加わって、初めてウインド・サーフィンの講習も受けた。海岸に日本のように海の家があるわけではない。着替えは近くにあった小屋や船の陰を拝借して整える。お金はあまりかからない。車で来ているので交通費はガソリン代だけだ。街の店で食材を買って家で料理をすることが多いので、パリより安いくらいだ。2週間分の家賃もさほど高くはない。

長いバカンスをとるフランス人が、とくに自分勝手であるわけでもなさそうだ。店を1か月閉じると客は多少の不便があるかも知れないが、社会の習慣として観念すれば問題はない。人を押しのけたりするわけでは必ずしもない。相手も自分のしたいことがあることを認識して、それを尊重する。人それぞれ自由に振舞うべきだとの暗黙の了解があるように思える。だから頼まれない限り、あまり他人がしていることに干渉はしない。他人に迷惑をかけない範囲で自分のしたいことをする。

Cote Basque pres de SocoaCote Basque pres de Socoa (1982年7月)

バカンスでは普段できないことを楽しみ、新しいインスピレーションを得たり、家族と密着できる。自分がしたいことを、それなりに実行できる社会の仕組みができている。義理で自分の希望を抑える日本人のことを考えると、もっと自分に正直に生きるフランス人の生き方が羨ましいと思うこともある。 友人との関係も大切にするし、親切で、思いやりもある。

パリの2回目の勤務を終えたのが1984年なので、もう30年ぐらいの交流が続いている友人はたくさんいる。あちらに行けば、「どうぞ泊まって」と言ってくれるし、彼らが日本に来ると一緒に食事をしたり旅行をしたりする。自分の意志や感想を自由に話すので、刺激を受けることも多い。


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外交官 第10話 「違い」はインスピレーションの源

【小川 郷太郎】
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第10話 「違い」はインスピレーションの源

外国に住んでいて面白いことは、日々日本と違うところを発見することだ。その違いというのは、だいたいどれも日本にいては気が付かないものだ。だから「面白い」と言ったが、もちろん、気分的には面白くない場合だってある。

次回に旧ソ連での経験などについて書くエピソードの中にはそういうものもあるが、その場合には、反面教師となって自分の行動や日本にとって参考になることがあるから、広い意味で役に立つ。そのことも面白いと考えるべきだ。

人によっては、外国にいて日本と違うところが出てくると、「いやだなあ」とか「それはおかしい」と思ったりする。「変なやり方だ」と思ってしまうとそれまでで、自分自身も面白くない。
ちょっと心を開いて、「へえ〜、そんなやり方があるのか、なぜそうなのか」と考えてみるといろんなことがわかってくる。ときには、日本で思いつかなかった興味深い考え方や対処方法を発見したりする。だから、「違い」はインスピレーションの源だと言ってもいい。

ポーランド・グダンスク風景( Mercure Hevelius Hotel からSt. Mary's Church を臨む)
ポーランド・グダンスク風景
(Mercure Hevelius Hotel からSt. Mary's Churchを臨む)(2005年7月23〜24日)



例えば、アジアやアフリカの国などに行って見ると、時間の感覚が凄くゆったりしている。約束時間に1時間や2時間遅れるのは珍しいことではない。先進国だって、列車の発着などはしばしば遅れる。日本人から見ると随分いい加減だと思うが、皆のんびりしていて、あまり文句は言わない。
ちょっと遅れると、その瞬間ではすごく腹が立つけれど、人生長く見ればどうということがない場合が大部分だ。

いつも急いでいてイライラする日本人と、のんびり構えて幸せそうな海外の人々の「幸福度」には大きな差がある。
日本人と韓国人はともに箸を使って米のご飯を食べ、みそ汁を飲む。しかし、その食べ方はかなり違う。韓国では、金属のご飯茶碗や箸を使う。茶碗は手に持たずテーブルの上に置いたままだ。

ご飯を掬うのもだいたい匙を使う。その匙で汁も飲む。日本人の感覚では行儀が悪く見えるが、韓国の匙の柄は長いので慣れると匙の方がずっと使いやすい。日本人がご飯茶碗やみそ汁の椀を手に持って食べるのは、韓国人から見ると行儀がよくないらしい。

要するに価値や文化は相対的なもので、自分が生まれ育った文化体系や基準だけが正統だと考えるとうまくいかないことがある。文化や価値の相対性を謙虚に認めることがお互いに大事だ。そうすると、「違い」というものが興味深く見え、時にはその違いから何かを発見することもある。

ザルツブルグ風景(1984年8月25日)
ザルツブルグ風景(1984年8月25日)


「違い」に関連して、「常識」というものについて考えてみたい。
常識は本来自分本位の考え方である。日本や欧米の常識はアフリカなどでは通じない「非常識」になることもある。
我が国の卑近な例でいえば、日本の学校の運動部などでは体罰がかなり広く行われてきた。指導者や上級生は、ある程度の体罰は選手を強くするために必要だと考えて、そうしたやり方を踏襲してきた。極端な暴力は別として、ある意味で常識的なものとなっていた。

しかし、そのような指導方法は欧米社会では通じない非常識なやり方だ。最近の柔道界の不祥事に関連して、女子柔道家の山口香さんは、「柔道界の常識は世間の非常識」と語ったことがある。
ともあれ、自分が考える常識は他の世界では通用しないことが少なくないことを知るべきで、考え方や価値観に上下をつけることは好ましいことではない。

これから、いくつかの国で学んだことを書いていく。
日本との違いが、日本にとって参考になることが多いからである。
日本では想像もできない貧困の中で、カンボジアの人々が眼を輝かし幸せそうにいることを「発見」して、幸せとは何かについて考える機会を得た。
所得の半分を税金でとられたうえ、消費税(付加価値税)25%を負担するデンマーク人は、世界で一番幸せだと感じている。それは、一生安心して生活できるこの国の仕組みを喜んでいるからだが、消費税を8%にするのもなかなか大変な日本にとってインスピレーションのひとつだ。

王宮前広場(プノンペン)(2002年9月22日〜28日)
王宮前広場(プノンペン)(2002年9月22日〜28日)


フランスについて書いたように、個性の発揮は必ずしも自分勝手というわけではなく、自分の生活を豊かにする面がある。どれも、日本との違いからくる面白さといえる。

外国生活のお蔭で、日本だけの考えに囚(とら)われないで物事を相対化してみることが大事だと悟るようになった。そう思えるかは心の持ち方によるのではないか。
心が開いていれば、面白いことがいっぱい見つかる。その面白い発見が自分の考え方の糧(かて)になって、人間の幅を広げてくれ、難局に差し掛かっても対処の仕方をいろいろ考えることができる。日本だけの価値観に固執せず、どの国も敬意を払うべきそれぞれの価値観があると考えることは、謙虚さを示すものでもある。
謙虚さは、日本人がもつ良い特質でもある。

次回は、先ず旧ソ連時代の体験談から始めたい。


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【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第11話 旧ソ連という国の奇々怪々(その1)

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第11話 旧ソ連という国の奇々怪々(その1)

1988年の夏の終わりころ、急にモスクワに赴任することになった。外務省の人事ではときどき予想外のことが起こる。

それより少し前、まだもう少し日本での勤務が続くと思っていた頃であるが、出張先のオランダに朝早く上司から電話があり、「すまないけど近いうちにモスクワに赴任してほしい」と言われた。
青天の霹靂ともいうべき異動の知らせだったが、任務には従うべきことと思っていた私はすぐ、「わかりました」とお答えした。

実はその後しばらく妻と相当もめた。
妻は当時自分のやりたかったインテリア・デザインの仕事を見つけ、まだ私の東京勤務が続くと思っていたので1年契約で仕事を始めて間もない時だった。

私の方は妻も一緒にモスクワに赴任するのを当然と思い込んでいたが、妻からは「一生のお願いだからしばらく東京で仕事を続けさせて」と嘆願された。紆余曲折はあったが、私が強引に押し切って家族そろってモスクワに赴任した。もちろん子供たち3人もそれまでの学校をやめてモスクワに向かった。
あとになって、やはり妻には悪いことをしたと反省はしたのだが。

それはともかく、いまのロシアは、当時は「ソヴィエト社会主義共和国連邦」という名前のガチガチの共産主義国家であった。
レーニンのロシア革命を経て約70年ぐらい前から共産党独裁政権が国家と国民を支配し続けていたのだが、それは日本人には想像しがたい、とんでもなく奇々怪々の国の仕組みであった。
その奇々怪々さが外国人の私には「面白い」のだが、ソ連国民にとっては実に気の毒な国家の制度である。

この国のイメージをひと口で言うと、驚愕するほど非効率的で非合理的な経済社会のシステムのもとで人間不信の統治が行われていたという感じである。

クレムリンを臨む(1988年10月8日)
クレムリンを臨む(1988年10月8日)


最初の大きな驚きは、市場経済の原則が全く働かない経済体制であった。当時はアメリカとソ連が超大国として覇を競い軍備拡張競争をしていた時代で、国の経済政策も共産党が独裁的に決めていた。その政策は、国民の生活を豊かにするためではなく、核兵器や戦車・大砲などの生産量などを決めてそれを達成させることを最優先した。

だから、街のデパートや国営商店には日常生活に必要な石鹸が無かったり、肉や野菜もほとんどないことが多かった。粗末な僅かな品物が店頭に出ると、皆が長い行列を作って並ぶ。物がないから、市民はいつも手提げ袋を手に持って歩き、どこかに行列を見つけると何を売っているかわからなくてもまず並ぶ。とにかくあるものを買って貯めておくしかないからだ。雪の深い冬でも辛抱強く何時間も行列に並ぶのをよく見かけた。

驚いたことが多いが、例えば、画家が絵具を買おうと思っても通常は品物がない。すべての色がセットで売っていることはないのでバラ売りで買うが、その個別の色も不足で、たまに店に出ても量が少ないのですぐなくなる。絵具屋に毎日のように足を運んで、この色が出たら教えてほしいと言ってお願いする状態だ。

物不足なので、市民や業者は物を秘蔵するようになり、ますます店頭に物が出なくなり、手に入れるには、いろいろ工夫して賄賂を出さなければならなくなる。 価格は需要と供給の関係で決まるのではなく、国(共産党)が決める。
パンや地下鉄料金などは低く設定されているが、賄賂その他いろいろな要素で価格体系に奇妙な歪みが出てくる。素晴らしい芸術が楽しめるボリショイ劇場の切符の値段と、なかなか手に入らないキュウリ1本の値段とが同じだったことも経験した。

軍事優先の生産体制なので生活必需品が圧倒的に足りない。水道の栓に使うパッキングが磨滅しても新しいパッキングは店に見つからないので、多くの人はゴム製品をどこからか探して自分でナイフで削って間に合わせる。車の部品も同様だ。
ホテルに行っても風呂や洗面所の栓がないことが多いので、タオルか何かで排水口を埋めて水を貯める。気の利いた外国人はホテルに泊まるときは、ゴルフボールを持っていき、それで穴を塞いで水を貯める。

物不足の世界なので買う物がすくなく、安い給料でも10年20年するとお金は貯まってくる。車を買いたくても、発注してから届くまで数年かかる状態だった。

人々が欲しがる物を作り、同業者が競争して顧客を喜ばす品物を開発していく世界ではなく、作る物も生産量も軍事優先の共産党が決める。生産者もほとんどが国営企業なので効率も低い。
市民の消費生活への配慮に乏しく、不要なものを大量に作ったりする。上意下達の命令システムなので、それぞれの持ち場の人間は上からの指示を待つだけで、自分の意志で動こうとはしない。売り子のサービス精神のなさには怒るより呆れることもよくあった。

生産体制も縦割りで連携が少ない。モスクワでの最初の冬に、スキー(平地が多いので歩くスキー)の用品をソ連製で揃えようと決心した。
ソ連をよく知る大使館の同僚から「そんなことは無駄だからやめた方がいいよ」と言われながらも、ソ連製品の品質も確かめようと思って市内のスポーツ用具店の何軒かを毎週巡回して調達を試みた。

見栄えのしないスキー靴、スキー板はそれなりにあったものの、それぞれが品揃えが少なく自分のサイズに合うものがなかなかない。スキー靴とスキー板を結ぶ金具となると、両者が合うサイズが何度足を運んでも出てこない。
数週間も続けたが冬がどんどん過ぎていくので、遂にソ連商品の調達を断念した。癪に障ったが、ソ連生産体制のお粗末さがよくわかって参考になった。ストックホルムのスポーツ店に行ったら、きれいな品物一式が1時間ぐらいで揃った。

ソ連の社会経済の体制のこのような非効率で非合理さもあって、1985年に共産党書記長になったゴルバチョフは「ペレストロイカ」という政治経済社会の全面的な大改革を始めた。
その結果、硬直的で強固なソ連社会はようやく流動化してきた。私が過ごした1980年代末はソ連邦が崩壊に至る歴史的な大変化の時代であったため、社会主義体制の現実と変化が併存する極めて興味深い経験をすることができた。


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【小川 郷太郎】
現在





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外交官 第11話 旧ソ連という国の奇々怪々(その2)

【小川 郷太郎】
東大柔道部OB
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外交官

第11話 旧ソ連という国の奇々怪々(その2)

旧ソ連の経済社会の体制が信じられないほど非効率で非合理的なものであった一方で、政治的側面を見ると、人間不信の体制であると強く感じた。

最近のニュースでも、アメリカが我が国を含む多くの友好国の在米大使館や代表部の通信などを盗聴をしていたことが明るみに出た。日本では一般的には驚きをもって受け止められたが、各国の諜報活動は公知の事実でもある。
それはともかく、旧ソ連という国家は徹底して人々を監視し統治しており、監視によって集めた情報を特定の政治目的に利用することもしばしば見られた。その背景には、基本的に人間不信の姿勢があるように感じられる。

例えば、盗聴や監視である。特に外国人、なかでも外交官はいつも見張られ、聴かれていた。エピソードを2、3紹介しよう。
ソ連ではいろいろなものがよく故障するが、ある日、日本の大使公邸の風呂場の水漏れが酷いので、大使が再三修理依頼を繰り返していた。長い期間が経過したのにいくら頼んでも来ない。腹を立てて、日本から来た要人との会話のなかでいかにソ連の管理態勢が悪いかを詳しく説明したら、翌日すぐ修理工がやってきたそうである。
大使いわく、「当局に言いたいことは壁のマイクに言ったらいい」と。

盗聴マイクについては、こんな話もある。かつて、米政府が在モスクワの大使館を建て直す際に随分気を付けて工事をしたが、終わって調べてみるとやはり壁に多数のマイクが埋められていたという。
外交官は、どこにもマイクがあって盗聴されていることを前提にして行動しなければならない。

私自身の体験もある。ある朝、仕事の上でのカウンターパートの一人であるソ連経済貿易省の部長から電話があった。「至急お話したいことがあるので午前中に来ていただけませんか」という。
私はそのとき西ドイツ(当時はドイツは東西に分かれていた)大使館の公使との会談の約束で出かける寸前だった。
「すみません、これから至急の用事がありますので、あとで電話します」と答えると、先方は「いや、急ぎますのですぐ来ていただけませんか」と言った。私は、急ぐので後で連絡しますと言って電話を切って大使館を出発した。
ところが、西ドイツ公使との話を終えて出てくると、何と出口の前の道路脇に先ほど電話をしてきた部長がいるのではないか。「アッ、小川さん、ここに来ていらしたのですか。これは運がいい。」などと、とぼけたような口ぶりで話しかけてきた。部長はそこで「至急の話」を持ち出して用は済ませたのだが、私の居所はちゃんと盗聴や監視で知られていたことがよく分かった。

この種の活動はもちろん隠密裏にやっているのではあるが、ときどき馬脚を現すこともある。検閲の話だが、私の娘が「小学5年生」という雑誌を日本から取り寄せて購読していた。
郵便事情が悪いので遅配は珍しくないが、ある日この雑誌の付録が破損して届いた。ビニール袋で包まれていたが、表面にロシア語で「郵送途中に破損した」との小さな紙があった。

中を開けてみると、破れた段ボールの付録の中から何とイギリス大使館の個人宛ての手紙が紛れ込んでいた。外国人の手紙を検閲している中で、誤って娘の雑誌の付録の中に紛れ込んだのだろう。人手を尽くしてよくこんなところまで検閲するものだと感心したことを覚えているが、それにしてもお粗末で笑ってしまうほどの失策でもある。
キシネフのインツーリスト・ホテルから見た街(1990年2月9日〜12日)
キシネフのインツーリスト・ホテルから見た街(1990年2月9日〜12日)



ソ連当局は外国人だけでなく、必要に応じ自国民の行動も見張っていた。だから、我々外国人がソ連人とお付き合いする場合には相手に迷惑がかかる可能性がある。
旧ソ連の国家体制はこのように窮屈なものだったが、国のイメージに相違してソ連国民は全体として人間的には好感のもてる人が多かった。

第一に、心が温かい人が多い。9月にはもう空気が冷たくなってきて帽子を被る人が多くなる。私が子供に帽子も被せず(もちろん私も帽子は被らずに)道を歩いていると、「寒くなってきたからお子さんには帽子を被せてあげた方がいいですよ」と見知らぬ人が忠告してくれた。ウォッカ好きが多いこともあるが、一緒に酒を飲みかわすとどんどん親しくなって盛り上がる。見張られている外国人の身としては油断は禁物だが、情熱的で人間的な魅力のある人は多い。

第2に、国民全体の教育レベルは高く、インテリ層の知識の広さにも印象付けられた。論文や研究内容も緻密なものが多い。スポーツや芸術分野では国家が超エリートたちを養成しているので、「エリート」たちのレベルは凄く高い。だから、物不足のひどい経済状況や非人間的な統治方式に対するインテリたちの怒りは実に激しいものを感じた。

もうひとつ、ソ連人の人間性について感じたことがある。
旧ソ連時代の人々は(共産党幹部などを除いて)清貧でも精神性が高かった人たちも少なくないように思えた。もっとも、経済体制のあまりの貧困さが人々をして物欲を求める余地をなくせしめるという面もあったのだろう。
しかし、ペレストロイカが進んでお金が動く余地が出てくると、かつては清廉だった「高潔の士」も密かにお金を求めるようになるなど倫理性が徐々に崩れてくる人の例も散見されるようになった。
金や物は人を堕落させる。

最近はずっとロシアに行っていない。自由度と表面的な物質の豊かさが増してきた今日のロシアは、いまはどのような状態なのだろうか。 ともあれ、一般的に情熱的で知的レベルの高い国民の、当時の政治・経済・社会の体制に対する怒りの度合いは激しいものだった。
自国に戻れば自由と物質的豊かさを享受できる私のような者からみると、物がなく不自由な生活を強いられ、KGBが見張っているような社会に住む人々をとても気の毒に思えた。

そんな経験をすると、日本では感じたことのない民主主義という制度の意味が分かってくる。欧米が常に声高に叫ぶ「民主主義」の大事さが実感出来るような気もする。悪い政治制度のもとでの国民は悲惨である。

ソ連の勤務が終わると韓国に転勤した。

次回は、韓国のことを話したい。


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【小川 郷太郎】
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外交官 第12話 韓国で気が付いたこと (その1)相手の立場に立って考えてみる

【小川 郷太郎】
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第12話 韓国で気が付いたこと
(その1) 相手の立場に立って考えてみる

日本と韓国。いま、ますます難しい関係にある。
韓国人はいつも、「日本人は歴史を正しく認識していない」と非難し続けてきている。私の友人を含め多くの日本人は、「どうして韓国人はいつまでも謝れというのか。何度も謝ったではないか。いい加減してしてほしい。」と反発する。

最近は、竹島問題、従軍慰安婦問題、植民地統治時代の強制徴用への補償問題などもあって益々雰囲気が険悪化している。日韓間でいつもこうした問題で揉めているので、欧米やアジアの国々も注目する。そして従軍慰安婦の問題などを知って、「へえ、日本てそんなことをしたの」と我が国に疑念を投げかける人たちも出てくる。
朴大統領は日韓首脳会議を拒否するだけでなく第三国首脳にも日本の悪口を言うこともあるようだ。それが、日本人の嫌韓感情を一層刺激する。
日本では週刊誌をはじめメディアも競って反韓感情を高める記事を流すようになった。最近ようやく、韓国の一部に首脳会談を拒否し続けるのは賢明ではないとの意見も出てきたようだったが、昨年末の安倍総理の靖国神社参拝によって反日感情はまた強まり、日韓関係は最悪の状態になって来た。

困ったものである。終戦に伴い日本の植民地統治が終わってから69年たった。来年は日本と韓国が国交を正常化してから50年目になる。なぜ、いつまでも揉めるのだろうか。

私は、双方に問題があると思う。韓国の方には、昔から家庭や学校で培われた反日教育の伝統が残っているし、マスコミも何かにつけて日本批判を強める、そういう「国民感情」を見て政治指導者がそれにおもねるような言動をする。それがまた国民の反日感情を後押しする。この悪循環のプロセスにおける問題は、日本の戦後の平和的な国際活動や韓国への経済協力、あるいは今日の日本人一般の優しい心とか日常的な関心事、生活のレベルや質、多様な文化の実態がさほど知られていないことだ。

相手国側の問題はさておき、日本側の最大の問題と私が思っているのは、国民全体として植民地時代の統治の実態やそれが韓国人(北朝鮮人に対しても同様だが)に及ぼした根深い影響についての認識が欠けていることだと思う。学校でもあまり詳しく教えられてこなかったことにも一因がある。

韓国での3年余りは実に充実した生活を送ったが、とりわけ多くの人々と楽しくお付き合いさせていただいた。その体験から私は、韓国人は心の奥で、「自分たちの民族と文化が日本人により抹殺された」と深く思っていることを知った。
どういうことかと言うと、日本が植民地統治の政策として実施した「皇民化政策」が誇り高い民族意識を持つ韓国人(朝鮮人)の心に癒しがたい傷跡を残したのである。つまり、韓国併合の過程で日本が警察権や外交権を奪い、さらに全国の学校に日本人教員を送り、日本語で教育を進め、朝鮮人を「皇国の臣民」として同化させようとした。
最後には「創始改名」を行って朝鮮人の姓名を日本人の名前に変えさせたことは、家系を大切にしている民族に深い屈辱を強いることになってしまったのである。

韓国内を案内して下さったご夫妻と
韓国内を案内して下さったご夫妻と


ところが、日本人一般はある程度の歴史的事実を知ってはいるものの、韓国人の心に与えた深い影響のことにはあまり気付いていないようだ。植民地時代に日本がしたことについては歴代の陛下や首相が何度もお詫びの言葉を述べてきた。しかし、ときどき日本の政治家や知識人の一部が、植民地時代に日本は鉄道を敷いたり教育を向上させるなど良いこともしたなどと、公言することがある。

それを聞くと韓国人の心は一層傷つけられ、日本の指導者のお詫びはうわべだけの言葉ではないかと思ってしまう。自分たちが誇りにする母国語や大事にしている姓名を変えさせられた屈辱を結局日本人は分かってくれていないと思うからだ。

韓国で多くの人々とお付き合いし、何度も「過去の歴史問題」を議論したりしてみると、相手の気持ちもよくわかるようになるものだ。 韓国で学んだ最も重要なことは、相手の立場に自分自身の身を置いて考えてみることの必要性だ。

韓国の若い人たちとの懇談
韓国の若い人たちとの懇談


国際社会は弱肉強食のような側面がある。それも事実だが、どんな政治体制の国でも、あるいは強い国に戦争を仕掛けられたり侵略された国でも、そこに住む国民は皆人間の心を持っている。圧政者や侵入者を恨み、親族や友人が殺されると悲しむのは人間としてあまりにも当然だ。

もし、全く仮定の問題として、日本が戦争に負けた際、アメリカではない別の近隣国に占領された場合を考えてみよう。日本人が好きでないその国に力で統治され、その国の言葉で教育も受け、嫌いな指導者を信奉するよう強制され、挙句の果てに日本人としての姓名をその国式の名前に変えさせられたら、どう感じるだろうか。恨んでも恨みきれないかもしれない。

世界の経済の動きや日本周辺の安全保障環境をみると、日韓両国が協力してやるべきことが多く、それができれば双方に大きな利益をもたららす。繰り返される日韓の葛藤から脱却するために日本側がやるべきことは、時間はかかろうが、国民全体として日韓近代史をあらためて見つめ直し、相手の立場にも身を置きながら謙虚に考えることだ。それができれば日本としての振る舞いもおのずと決まってくるはずである。

ちょっと難しい話になってしまったので、次回は実際の韓国について感想を述べたい。


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【小川 郷太郎】
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外交官 第12話 韓国で気が付いたこと (その2)私の見た韓国人

【小川 郷太郎】
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第12話 韓国で気が付いたこと
(その2) 私の見た韓国人

法務省によると、2013年の訪日外国人数(速報値)は初めて
1000万人を超え1125万人となったが、国別では韓国人がトップで231万人だそうだ。日本からもそれ以上の人が韓国に行くので、日韓双方がともに相手国に関心を持っていることになる。それなら、もっと分かり合える土壌はある筈だ。

人間関係も非難し合っていると相手のいいところはわからずに益々相手が悪く見えてきて、気分的にも不愉快になるものだ。そもそも、外国人について自分たちと違うところを探すのは興味深いし、いろいろなことが分かって参考にもなる。だから、いいところや面白いことを探すのが良い。そこで、私が見た韓国人の良いところ、面白いところについていくつか話してみたい。

韓国人について私が好きなところは、率直に物を言い、しかも情が熱い点にある。遠慮せず言ってくるので、ちょっとドキッとするが、言葉をそのまま受けとめれば相手の気持ちがよくわかって安心感がある。あまりウラオモテがない。日本人の場合、相手への思いやりや遠慮があってそれも心地はいいが、本心がわからないことがある。
ひとつのエピソードをお話しする。1990年代の前半、私は在韓国日本大使館で広報文化担当公使をしていた。日本のことを正しく韓国に伝え、相互理解や交流を深める仕事だ。
よくあることだが、ある日、韓国メディアが誤った情報に基づいて大々的に一斉に日本批判をした。日本の原発が危険な廃液を垂れ流しているというのである。ニュースの大きさに驚いて私はすぐ東京に事実関係を照会した。外務省が調査して送ってくれた回答により、通常の原発の廃液で危険なものではないことが確認された。韓国の原発でもやっているとのことである。

私はすぐさまソウルのマスコミ全社に対し通報し、この件で緊急記者会見をする旨伝えた。普段やらないことなので、多くの報道各社が驚いて大使館にやってきた。私は、丁寧に事実関係を説明して韓国マスコミが報じた記事の誤りを指摘した。そして続けて、これまでも幾多の誤った報道で反日記事があったことに触れて、このような根拠ない日本批判の姿勢は日韓関係に有害である旨を主張した。
面と向かって韓国マスコミ批判をしたので、大分叩かれることを覚悟していたが、意外に反論もなく、私の説明の要点は、翌日新聞やテレビ各社が報じてくれた。その素直さに、拍子抜けしたほどだが、事実に基づいてはっきり主張すれば、韓国側は分かってくれるのだということを悟ったのは良い経験だった。
韓国人とのお付き合いは、はっきり言い合うことで親しくなれるし、気持ちのいいものだ。

情が熱いのも、韓国人のいいところである。親しくなると、本当に家族のように相手を思ってくれる。私より年上の女性の中には、「私はあなたの姉だから」と言って、美味しいものを作って持ってきてくれるとか、風邪をひかないようにこれを飲んだらいいよと言って、何かと気にかけてくれる。

親しくしていただいた立派な文化人の御夫妻は、よく韓国国内旅行に誘ってくれた。いろいろなところを案内していただき、各地で美味しいものをたくさん食べ、毎日一緒に酒をたくさん飲んで、車の中でも、カラオケ店でも多くの歌を歌って楽しかった。

韓国・五台山上院寺にて
【韓国・五台山上院寺にて】


日本に帰国して暫くしたあと、父が亡くなった。韓国の友人には知らせなかったのに、多くの人が弔電を送ってくれ、中には「仏壇に飾ってください」とのメッセージをつけて素晴らしく美しい白磁の燭台一対を送ってくれた人もいた。

韓国を離任して数年後、私が還暦を迎えたとき、前述の文化人御夫妻が、還暦をお祝いしたいから是非おいでなさい、と繰り返し誘ってくれた。「仕事があるので」と言ってお断りしていたが、あまりに熱心だったので、お言葉に甘えて休暇をとってソウルに行った。ご家族の伝統衣装を貸してくれ、韓国の伝統に沿った盛大な儀式をして、家族全体でお祝いしてくれた。

韓国人と日本人は顔つきも一見似ているが、似て非なるところも結構多い。例えば、ともにご飯を食べ味噌汁も飲むし、箸も使う。しかし、ご飯を食べる時、茶碗でなく金属の器を使い、その器は手に持たず、食卓に置いたまま匙を使って食べるのが普通だ。
日本人から見るとちょっと異様に思えるが、韓国人から見ると、手に茶碗も持ち上げて箸で食べるのは異様に映る。要するに文化が違うのだが、お互いに違いは違いとして批判せずに尊重するのがよいと思う。

先ほども述べたが、日本人は相手のことを気にして遠慮したりするが、韓国人は率直にものを言う。日本人が本心を言わずにいるのを韓国人は歯がゆく思うらしい。
他方、友達だと思っているのにお礼を言われると、とても他人行儀に感じるようだ。友達は兄弟のようなものだから、お礼を言うのは「水臭く」、むしろ人間関係に距離を置かれていると受け止められることになる。親しい者同士の間では遠慮はいらないし、お互いに徹底的に面倒を見るようなところがある。

韓国には、美しいもの、美味しいもの、興味深いものがたくさんある。2年ほど前、私は知人・友人を誘って韓国企画旅行をした。そういうところを日本の人にもっと知ってもらいたいと思ったからだ。

この企画旅行で作った日程のいくつかを紹介すると、世界遺産4か所を見学、国宝級の美術や人間国宝のデモンストレーションを見学、昼と夜は毎回違う料理を食べ歩く(13種類の韓国料理を味わった)、日本統治時代に生きた人々と懇談、高校を訪問し高校生と対話、世界トップの造船所視察などがある。

韓国・儒達山からの風景
【韓国・儒達山からの風景】


1週間の韓国滞在によって、韓国の歴史、美術、食文化、産業の一端を知り、韓国人との接触を通じて、若い人や企業指導者がいつも世界を見ていることもわかり、今日の韓国の勢いを実感した。また、植民地時代に生きた人々の話を聞いて、当時の雰囲気を想像する機会にもなった。

結局、隣の国には面白いものがあり、また親しくなれる人たちがいる。最近の両国の困難な雰囲気のなかで、メディアの報道や一部の政治家の過度の韓国非難に惑わされるべきではない。日本と韓国の間にある現実の全体像は、彼らの言う通りではない。相手を批判したり、現状を嘆いていたりしていても埒があかない。やはり、向こうに行って直接接してみることだ。お互いの良いところを知ることは面白いし、日本人として感じることを率直に言っていい。向こうの言い分を聞くのも参考になる。

韓国に行くのは日本国内旅行より安い場合も多い。人と接することもさほど難しくない。学校の韓国修学旅行がもっとあってもいいし、旅行社が韓国の人々と接する機会をつくることも出来るだろう。隣同士でいがみ合っているのはあまりにももったいない。


筆者近影

【小川 郷太郎】
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