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私と柔道、そしてフランス… - 第五十三話 パリでの仕事は...-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年9月26日

- 第五十三話 パリでの仕事は... -

 1970年初夏、三度目のパリ長期滞在が始まりました。

  私が所属する日本電子のフランス現地法人「JEOL(Europe)SA」は、パリの西方約10キロほど、パリのベッドタウン「ルエイユ・マルメゾン」にありました。この街にはナポレオンの妻“ジョゼフィーヌ”の居館になった“マルメゾン城”があることでも有名です。私の住居も市内にみつけました。

マルメゾン城
【マルメゾン城】

 この本部は、日本電子のヨーロッパ進出の拠点になったところで、東欧本部・西欧本部・仏現地法人の3世帯が同居していて、付随する展示場には、透過型/走査型電子顕微鏡(TEM/SEM)、核磁気共鳴装置(NMR)のデモ機が設置され、ヨーロッパ中の顧客を迎えていました。

  このデモ機を操作するのは、とくに選ばれたヴェテラン中のヴェテラン・オペレーターで、それぞれの機械が持っている最高の性能を引き出し、説明し、お客様が納得するまで議論できる優秀な技術者です。

 その中の一人がすでに第二十二話でご紹介した奥住宏さんです。日本電子の電子顕微鏡輸出第一号機は1955年にフランス原子力庁サクレー研究所から受注しましたが、その納入サーヴィスを担当し、その後、日本電子を退職、同機のオペレーターとしてサクレー研究所に残るという稀有な経歴の持ち主です。そして、1968年に復職、SEMデモ機担当として、得意のフランス語を駆使して活躍されていました。

 さて、パリでの私の役割については、当初は電子顕微鏡のセールス責任者ということでしたが、しばらくして、西欧本部の竹内支配人から、部長として営業部をまとめなさい、との通達がありました。彼は同年9月にフランス現地法人 の社長に就任します。

 差し置かれた形の先輩セールスマン、グリエネさん/ミッショさん達にとっては、納得の行かない人事だったと思いますが、それでも、二人とも定年まで同社で活躍。とくに、グリエネさんは、80年代後半に同社の社長に就任しました。

 私の最初の仕事は、主要機器のフランス全体の市場状況を把握することでした。

 まず、全体的には、理化学機器メーカーとしてのジェオル(JEOL)の認知度は申し分なく、当初問題にされたアフタサービス体制も充実してきていて、後は営業力が問われる状態になっていました。

 情報収集能力もさることながら、色々な意味で各機種ごとに強力なライヴァルが、少数とはいえ、存在しました。 例えば:

-TEM:フィリップス(オランダ)、シーメンス(ドイツ)、日立、オー・ペー・エル(フランス)
-SEM:ケンブリッジ(イギリス)、カメカ(フランス)
-NMR:ヴァリアン(アメリカ)、ブリュッカー(ドイツ)

  ここで特筆したいのは、TEMのシーメンスの存在です。ドイツ人・ルスカが開発したTEMをシーメンスが1938年に商用第一号機として世に出したからでしょうか、この頃にはかなりオールド・ファッション化していましたが、フランスには根強いファンが多く、それもなぜか医療・生物関係の研究所で絶大な信頼を集めていました。

 この牙城をジェオルはなかなか崩せませんでした。 あるとき、パリの有名病院の病理研究所でTEMの購入計画があることを聞き、著名な担当教授と面会しました。JEM-100Cの説明を自信を持って説明したところ、教授は「説明を聞いていて、戦時中の日本海軍の“戦艦大和”を思い出した」、と言うのです。その理由を尋ねたところ、「戦艦大和は、最新の装備を備えた、最強の戦艦として出航したが、結局アメリカ軍の集中攻撃にあって、結果を出せずに撃沈されてしまったではないか!ジェオルのTEMは、装備は完璧だが、実際に仕様通りに稼動するのかしら?」というものでした。

  この頃のフランスでは、「カメラはライカ!車はシトロエンDS!」というような感覚的な選択をする人が多かったのかも知れません。医療・生物関係では「TEMはシーメンス!」だったのです。

 次回は「第五十四話 ライヴァルとの熾烈な戦い」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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