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愚息の独り言「幼年時代の旅行 第3話 香港」


愚息の独り言
「幼年時代の旅行 第3話 香港」

2013年9月6日



島の連なる夜の灯りを後に太平洋に出た。
その日は船の揺れが強かったせいか、食堂に行っても誰も居ない。
デザートのりんごをボーイさんが余分にくれた。

飛行機の場合、後部に行くほど揺れが強くなり、前部は揺れが少ない。
しかし船の場合は一番揺れるのが前部でそこが3等室、
その次に揺れる後部が2等室、1等室は一番揺れない中部にある。

揺れが薄らいだ頃、8メートルはあろうと思えるサメが
船の後ろにぴったりついてきた。
2日間のあいだずっと船から離れなかった。
船の後部から捨てられる残飯が目当てでそれを丸呑みしていた様だ。

海ではいろいろな事が起こる。
黒潮は深く文字通り真っ黒でこんな海に落っこちたらひとたまりもない。

3等室にいた大学生の中島さんがフランス語を教えてくれる
というので毎日午後3時からレッスン。
でも、ちんぷんかんぷん!!
「アべセデ?」英語もわからないのにフランス語がわかってたまるか!

もうすぐ香港だ。初めての外国!

母から「香港は怖いところだから気をつけなさい。
街に行ったら決してそばを離れないように!」と言われていた。
船室の窓も気をつけないと。
釣竿を使って中の物を盗む輩がいるらしい。

いくつかの島を通り抜け、霧で前が見えない状態から突然香港が現れる!
世界3大美港の一つ。
海から見えるのは美しく調和の取れた白い建物。
だが一歩裏に入ると闇ドル、人身売買、麻薬密売・・・・。 
当時香港は世界でもっとも胡散臭い街の一つであった。

文化大革命で上海から逃げて来たテーラー達が、
コック達が、世界のセレブを待ち構えていた。
フランク・シナトラにサミー・デイビス・ジュニア。

来日公演の前に彼等は香港でシルクのステージ衣装40着ほどを
2、3日で作ってしまう。
勿論普通のスーツは一日で安価に作ってしまう。
何処で何を食べても食事が美味しい。それが香港だった。

船がタグボートに先導され桟橋に着いたとたん、
まるでカリブの海賊のように中国人が船に網をかけよじ登ってくる。
でっかい袋を開いて、さあこれから露天商のお披露目。
香港のお土産品が甲板にざっと並ぶ。
そんな魅力的な光景を尻目に船を降りた。

1等室と2等室の客には観光バスが付くのだが
僕たち家族は知り合った3等室の人たち6人と一緒に税関をくぐって街まで行く。
そして我々9人はバス停で、ある迎えを待っていた。

何も知らされていない僕はバスが到着するといち早く飛び乗り
「お母ちゃん!お母ちゃん!席とったよ!!早く来て!」
体を横にして9人分の席をとり皆を待っていた。しかし誰も乗ってこない。

そのうちバスのドアは閉まり発車!
グレイの半パンツ・スーツにベレー帽の小学生は叫んだ。
「降ります!降ります!」
誰も日本語が分からない。ここは香港だ。

バスは左に曲がり1キロぐらい行った処で右に曲がり
既にバス停を2つ通りすぎてしまった。 誰も降りない。
そのうち車掌さんが切符を切りに来たが言葉が通じない。
たとえ通じてもお金を持っていない。乗車している他の客に笑われる。

そのうちお婆さんが柱にあるボタンを押すと音が鳴った。降りる合図だった。
愛媛の田舎者にボタン付きのバスは初めての出来事だった。香港は進んでる!
愛媛では降りますの掛け声ですんだ。

お婆さんが降りる隙を見計らって、彼女の腕の脇をすり抜けるように降りた。
走った!走った!生きるか死ぬか必死の思いで走った!
忘れないように必死で記憶した道をひたすら走った。

やっとの思いで皆に合流したが、なんと僕が消えていた事に誰も気づいていない。
母や姉さえも「香港は危険な所で人攫(さら)いが多く、失踪する人が多い」
などとあれだけ散々言っておきながら、
ふたりとも僕がいなくなっていた事にまったく気がついていなかった!


次回は香港の町




【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。



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