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私と柔道、そしてフランス… ー 第六十八話 ロレアルの決断ー

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2020年4月23日

- 第六十八話 ロレアルの決断 -

 コーセーがこれほど“定価販売”に拘った理由については、この年(1976年)、コーセーが創業30周年を迎えた折に出版された『化粧品ひとすじ(小林孝三郎伝)』を先般読み返して、改めて納得しました。

 小林孝三郎創業社長は、若干16歳で化粧品メーカー・高橋東洋堂に入社し、1921年、50歳でコーセーを起こし、98歳で亡くなるまで現役として活躍しました。

 その間、乱売合戦の果てに利益を確保できず、メーカーも小売店も倒産・閉店に追い込まれるケースが続出するのを見てきた彼は、“定価販売”はメーカーと小売店の適正利潤の確保、最終的には消費者の利益に繋がるとの主張を崩したことはありませんでした。それも、コーセーのみならず、他のメーカーにも呼びかけ、その先頭に立って、組織作り、小売店の指導、消費者の理解を得る努力などをつづけてきたことが、本書から読み取れます。

 さらに、1967年からの5年間は、東京化粧品工業会の会長に就任し、自動的に日本化粧品工業連合会の代表理事に選出されました。コーセーの社長としてだけでなく、業界のトップリーダーとして、再販制度(第六十七話 (注1)を参照のこと)維持のために、公正取引委員会との交渉の前面に立って活躍しました。

 このことから、コーセーが製造・販売するロレアル商品が、コーセーが関与することができないルートで販売され、廉売・乱売されることはあってはならなかったのでしょう。

 冬の声を聞くころには、この値引き問題が深刻化し、コーセー・ルートのロレアル製品の扱い率が低迷していました。そんな中、ついに痺れを切らした小林禮次郎専務が雨宮慎一(注1)秘書課長を伴って、ロレアルのフランソア・ダル二代目社長、及びジャン・レヴィー副社長兼パブリック部門長に対して、状況報告するために12月初旬に渡仏しました。

 表向きは状況報告ですが、日本でのロレアル業務用製品部門をリーダーに育て上げたという大きな論功行賞や、「ランコーム」の行方も握っているという背景を後ろ盾に、小林専務は背水の陣で、ロレアルのパブリック(一般消費者向け)商品の流通問題についての“直訴・交渉”に臨んだことは明らかでした。

 交渉は12月6日から10日まで行われ、コーセー側の迫力に押されたのか、ロレアルは大きく譲歩し、次のような合意に達しました:   

  • (株)ロレコスへの出資比率を、ロレアル50%/小林コーセー50%にする。
  • コーセーはロレアル製品の営業体制を強化する。
  • 山陽スコット(株)との契約を早急に解除する。
  • 山陽スコット(株)との交渉は、レヴィー副社長が早々訪日しこれに当たる。

 予想はしていたものの、大変ショックな結果です。ただ、ここにも、ロレアルの日本市場に対する熱い思いも現れていて、私の心には複雑な思いが錯綜していました。

 同時に、シャンプー・ライン発売を前にやる気満々だったスコットのロレアル担当者たちの顔が目に浮かびました。

 1977年1月末、レヴィー副社長が来日。2日間ほどの交渉の際、予想に反してスコット側の強い抵抗はなく、有利な条件での契約解除を望んでいることが明らかにみてとれました。

 こうなると、ロレアルの大きさがはっきりと現れました。保障関係は、ほとんどスコットの要求どおりに、下記のような合意点に達しました:    

  • 販売代理店契約の解除。
  • 66代理店(問屋)の商権をコーセーへ委譲。
  • 在庫品/返品の有償引き取り。
  • 遺失利益の保証。

 下手をすると法廷闘争になると心配する関係者も多くいた中で、スコットが早々に身を引いた理由のひとつは小林孝三郎社長の存在でした。スコットの役員の多くが業界のこのトップリーダーを尊敬していたのです。化粧品業界をまとめてきた小林社長の影響力はここでも発揮されたということです。

 遺失利益の保障のため、私は一定額の小切手を、約束通り、3ヶ月ごとの決められた日、決められた時間に、一日・一秒の遅れもなく、1979年3月まで届け続けました。そして、最後の支払いが終った日には、お世話になった笛田営業担当常務がスコットの入り口で満面に笑みを浮かべて私を迎えてくれたことを思い出します。

 相当な額の違約金でしたから、ロレコスは払えなくなるに違いない、とスコットは予想していたのでしょう。それに反して、しかも約束通りの日・時間に約束通りの額を支払った「ロレコスを見直した!」ようです。その晩には、赤坂の高級中華料理店で大ご馳走になりました。その時の常務の笑顔が忘れられません。

 さて、コーセーもこれに対して、スコットから委譲される66社の代理店との取引を至急開始しなければなりません。とりあえず「パブリック部門」を開設、年末にはロレアル製品のみを扱う新会社「(株)コーセーコスメタリー(小林禮次郎社長)」を設立して、対応することになります。課題の「定価販売」も自分達で解決しなくてはならなくなるのです。

(注1)
雨宮慎一:現在、化粧品・美容関連のマーケティング情報誌「beauty buisiness」などを制作・発行する「ビューティビジネスグループ」代表

次回は「第六十九話 “柔道”再開へ」です。 


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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