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私と柔道、そしてフランス… -「第二十七話 稀有な経験と嬉しい出会い」 -

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2018年9月27日

「第二十七話 稀有な経験と嬉しい出会い」

  1964年10月の東京オリンピックを見据えてINSでの稽古が日毎に真剣度を増していたころ、稀有な経験と嬉しい出会いがありました。パリにいなかったら恐らく体験できなかったことでしょう。

  2月のある日、突然、仏柔連の本部に私だけ呼び出されました。いよいよ、地方に追い出されるのかと危惧しながら出頭しますと、意外にも柔道の紹介映画への出演を要請されたのです。それも半ば強制的でした。今もって、なぜ私に白羽の矢が立ったのか、分かりません。

  柔道の紹介なら自分にもできるだろうと、たかをくくって撮影所に行きましたが、受付で聞いた説明にびっくり。なんと、その映画は、柔道とは縁もゆかりもない、当時の人気映画、“007”のフランス版である“OSS117”シリーズの « Banco à Bangkok »(バンコックでの最後の賭け)であること、主役はアメリカのカ-ウィン・マシュ-ズ、共演はピア・アンジェリ、ロベール・オッセンという、大変なキャスティングであることが判明しました。 

シャンゼリゼ通りの封切館
【シャンゼリゼ通りの封切館】

  それ以上の説明が無いまま、生まれて初めてメイクをしてもらい、中国の工人服を着せられると、不安が募ってきましたが、もう後の祭り。覚悟を決めて、スタジオに入ると、ホテルの一室とおぼしきセットで、ベランダの向こうには、書割の東南アジア風な街並が望めました。 

  この時点では私はまだ、どんな場面で柔道の紹介をするのかしら、“天使”とよばれているピア・アンジェリとどんな絡み合いがあるのかしら、などと暢気に考えを巡らせていました。

 そして、ようやく紹介された振り付け師がおもむろに「空手の達人だそうだな?」とのたまうのです。「空手は一度もやったことはない!」と正直に答えますと、奴さんはエッとびっくり。話が違うとばかりに、映画のストーリー、及び、私の役を慌てて説明し始めました。それを聞いて、今度はこちらが大びっくり。 

  私に与えられた役はなんと“チベットの殺し屋”! 設定はタイのバンコック。とあるホテルの10階の一室で、あろうことか空手で主役を襲撃。殺しに失敗するや、そのまま、ベランダから飛び下りて自殺する役だというではありませんか!

  幸か不幸か、ここまでくると、腹が据わる質で、急遽呼んでもらった空手三段のフランス人殺陣師から“組み手(注1)”の特訓を受けて撮影にのぞむことにしました。二日後、実際に撮影が始まりましたが、主役となかなか意気が合わず、NGの連続。そして、“撮影とは待つことなり”と言いたくなるほど、理由の説明がないまま、ただ待たされます。

  それでも、やっとのことでこのシーンを3日ほどで撮り終えました。お互い夢中になって演じた甲斐があって、迫力だけはかなりあったようです。

主役に取り押さえられて
【主役に取り押さえられて】

  緊張したのは最後の自殺の場面です。主役の手を振りほどいて、3メートル先にあるバルコニーの欄干(高さ約1メートル)を越え、空中で反転、5メートルほど下に積み上げられたダンボールの上に背中から落ちるというもの。バルコニーから飛び出すときは、下が見えない状態ですので、恐怖に駆られました。

  それでも、中学時代から何千回と繰り返して身についた柔道の受身、前方回転を思い出しながら飛び出し、本番は見事一発で決めました。スタッフのみんなが拍手喝采してくれました。 

  封切り後、この映画は大ヒットを記録。1964年カンヌ映画祭で、興行面で新しい可能性を開拓したとして、興行上のグランプリとも言うべき「ゴールデン・チケット賞」を受賞。日本でも『バンコバンコ作戦』のタイトルで上映されました。

  フランスでは、その後、TVで何度も放映され、このシーンもかなり評判になったとみえて、何年もたってから、カフェで見知らぬ人にビールをご馳走になったり、サインを求められたりしました。

Banco à Bangkok 封切館の前で
【Banco à Bangkok 封切館の前で】

  封切りの数ヵ月後に、再び映画出演の話が転がり込みました。今度は、ピーター・ユスティノフ(Peter USTINOV)監督の『 L夫人(Lady L)』。私の役は、主役ソフィア・ローレンの護衛役。その他にも、数本の誘いがありましたが、この道で生きてゆくつもりがまったくなく、丁寧に断りました。ちなみに、ギャラは数倍にもなっていました。

  その当時は、なんとなく「だまされた」という意識が強かったのですが、今になってみると、若き日の貴重な体験としてしばしば思い出します。 

  同年6月には、早大柔道部の先輩で日刊スポーツの横尾一彦記者から、「大相撲初場所で優勝した横綱・大鵬がエールフランスの招待でパリに行くので、その一行の案内役を務めるように」との依頼がありました。私は、同じ昭和15年生まれの大鵬の大ファンでしたので、大喜びで引き受けました。

【オルリー空港に到着した一行】右から二人目:大鵬関、女優・加賀まりこ、花篭親方。 左端:琴桜関。
【オルリー空港に到着した一行】
右から二人目:大鵬関、女優・加賀まりこ、花篭親方。 左端:琴桜関。

  花篭親方と琴櫻関(引退後、佐渡ヶ嶽親方)も同行していました。琴櫻関も同い年で、3人はとても話が合い、楽しい一週間でした。琴櫻関は鳥取での中学・高校時代は柔道の選手として活躍、大鵬関も柔道に大変興味を持っていて、柔道話に花が咲いたものです。さらに、巨人軍の王貞治選手、東映フライヤーズの張本勲選手も同い年で、「昭和15年会でも作るか!」などと話したのを昨日のように思い出します。

大鵬関と(1964年)オペラ座前にて
【大鵬関と(1964年)オペラ座前にて】

 その後、大鵬関とは何度か国技館で会い、一度は大鵬部屋を訪れ、ちゃんこ鍋をご馳走になったことも懐かしい思い出です。

  大鵬親方も佐渡ヶ嶽親方もすでにあちらに召され、寂しい限りです。

20数年後? 国技館で
【20数年後? 国技館で】

(注1)
組み手 : 二人で相対して行う空手の練習形式の一つ

次回は「第二十八話 1964年東京オリンピックでの“日本敗北”」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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