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私と柔道、そしてフランス… -「第三十二話 仏柔連との契約切れも近付き...」 -

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2018年12月6日

「第三十二話  仏柔連との契約切れも近付き...」

  オリンピックが終わってしばらくすると、それまで漠然としか考えていなかったその後の身の振り方を真剣に考えるようになりました。

  私と大国君の仏柔連との契約は1965年11月末に切れることになっていて、大国君はすでにフランスに残ることに決めていました。富賀見先輩・伊藤君もやはり残るという。

  私に対しても、大変お世話になった粟津先生初め、多くの方々から、フランスで柔道の指導を続けることを勧める向きもありましたし、協力し合ってきた日本人コーチ陣から外れる寂しさも、大いに感じていました。

【粟津先生ご夫妻と長男・浩三君を囲んで】 後列右から:大国・富賀見先輩・安本・伊藤
【粟津先生ご夫妻と長男・浩三君を囲んで】 後列右から:大国・富賀見先輩・安本・伊藤

  しかし、私としてはできるだけ早く柔道を離れ、国際ビジネスに係わる仕事がしたいという思いが強くなっていて、国際ビジネスに必須の英語の勉強のために、イギリスに移ることを考え始めました。ただ、その場合でもイギリスでの生活費や授業料の工面は、やはりしばらく柔道に頼っていかなければなりません。 

  ところが、1965年6月になると、傷めていた膝の状態が悪化し、歩行にも支障をきたすようになりました。もはや柔道どころではなく、コーチ仲間のギー・ペルチエ(Guy PELLETIER)さんに相談し、仏柔連の顧問医を紹介してもらいました。診察の結果、「半月板損傷・断裂」で手術が必要。手術後一ヶ月ほどで復帰できるとのことなので、8月のスペイン/ポルトガル旅行直後に手術を受けることにしました。

損傷した半月板
【損傷した半月板】

  パリ警察病院での手術は成功し、一週間ほどで退院した、というか、させられました。この入院期間の短さもさることながら、入院中に日本では考えられないことをいくつか経験しました。 

  まず最初はとてもフランスらしい、微笑ましいお話から。

  病院の食事は、その頃の学生食堂で供されるものと大して変りませんでしたが、違うのは手術の翌日から昼食・夕食にワインの小瓶がつくことでした。もちろん、病気・病状にもよるのでしょうが、膝の5センチほどの傷口からはまだ血が滲み出してきそうな状態で、です。

  日本では、入院中の患者に“お酒”を出すなんて、現在でもありえないと思いますが、ましてや手術直後の患者に!最初はびっくりしたものの、医学の進んだフランスですから健康に影響はないのだろうと納得しはじめたところで、隣のベッドを眺めると、やはり私と同様前日手術を終えた、感じの良いお年寄りがニコニコしながら美味しそうにワインを飲んでいます。「セ ボン?(美味しいですか?)」と思わず尋ねると、満足そうに頷いていました。

  当時の私はお酒は不調法でしたので、私の分を毎回そのお年寄りにあげました。彼は分をわきまえた人で「退院してから、楽しむ」と、毎日お見舞いに来る奥さんに手渡していました。あの嬉しそうな顔が忘れられません。

  手術の2日後、リハビリのために理化学療法士がやってきました。そして、おもむろに手術した右足の親指を掴み、自分の目の高さまで持ち上げました。何をするのかと思った瞬間、パッと手を離したのです。心の準備が出来ていなかったためか、痛いのなんのって、思わず「イタイ!」と日本語で叫んでいました。

  回復度をチェックする方法かもしれませんが“何と乱暴な理化学療法士だろう”と、腹立たしく思いました。ところが、退院後通った町の理化学療法士も、チョクチョク同じことをするのです。痛みに強いと自負する私でさえつらいことでしたが、これも「所変れば品変る」と納得せざるをえませんでした。

  もう一つ驚いたことは、手術にはある程度の出費を覚悟していましたが、それがゼロ!前述のペルチエさんからは、「すべて保険で」とは言われていましたが。当時の日本とは比較にならないフランスの充実した社会保障制度について、いろいろ聞いてはいましたが、ここまでとは!とにかく、保険の申込書類にサインしたこともなく、ましてや、保険料の支払いなどは一切していなかったのですから。ここでも狐につままれたような思いでした。

  一ヶ月ほどの厳しいリハビリの後、10月にはINS道場に復帰し、柔道が続けられることだけは確認しました。と言っても、手術の影響は手術した右足だけでなく、左足にも及んでいて、あれだけ「兎跳び」で鍛えた両足の筋肉が削がれたようになくなっているのに気づき、愕然としました。そこで、私は寝技を中心とした乱取と、INSのトレーニング室で器具を使っての筋トレ、INSのプールでの持久力回復トレーニングに必死の思いで取り組み、周りからは、「無理のし過ぎ!」という声が上がりましたが、12月にはかなり調子を取り戻しました。

次回は「第三十三話 イギリスへの移住を決めました」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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