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私と柔道、そしてフランス…- 第五十五話 ライヴァルとの熾烈な戦い(その二)-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年10月24日

- 第五十五話 ライヴァルとの熾烈な戦い(その二) -

 (第三十三話でご紹介した、左右の技を同等にこなす“稀代の業師”渡辺喜三郎先輩が去る9月25日に83歳で逝去されました。心からご冥福をお祈りします。)

 さて、画期的なX線分析装置「X線マイクロアナライザー(XMA)(注1)」は、1951年、フランスのキャスタン博士の学位論文によって、装置として考案発表され、1956年にフランス企業・カメカ(CAMECA)によって製品化されたものです。

 その後、同機に走査型電子顕微鏡(SEM)の機能も持たせたCAMEBAXが開発され、日本電子のSEM/XMAコンバイン機との熾烈な戦いが始まっていました。価格面ではカメカが地の利を生かしてやや有利に立っていて、技術面では、我々は我々の優位性を主張しますが、当然のことながら“元祖XMA”を自ら任ずるカメカも負けてはいません。

 おまけに、フランス特有のショーヴィニズム(盲目的愛国主義)、この頃(1970年代前半)から明らかになり始めた保護貿易政策、非関税障壁が強まる中で、日本電子製のXMAは長い間苦戦を強いられることになります。

 さらに、液体クロマトグラフィ検出機(LC)(注2)については、年間輸入割り当て制度が適用され、ジェオルとしては、年間5、6台の割り当てしかもらえず、それ以上の受注をしても輸入ライセンスが下りず、客先に納入できないという事態が生じていました。

 日本の非関税障壁が非難されることはしばしばでしたが、フランスも時には意地悪と思えるほどの措置を突然施行することがありました。その一例を挙げると、時代も対象製品も違いますが、1982年ミッテラン大統領政権下、エディット・クレッソン貿易相が、対日貿易赤字拡大への対抗措置として、それまでル・アーヴルなどの港で行っていた日本製ヴィデオデッキの通関手続きを、内陸部のポアチエで行う決定をしました。当時の日本製ヴィデオデッキのマーケットシェアーは95%を越える勢いでしたが、ポアチエに滞留することで、事実上の輸入制限を受けることになりました。

 さらに問題になったのは、この措置の発表後に行ったインタヴューで、「ポアチエの戦い(注3)」になぞらえて、「外敵をポアチエで迎え撃つ」と発言したことでした。

ドラクロア 「ポアチエの戦い」
【ドラクロア 「ポアチエの戦い」】

 これに対して、日本はGATTに提訴したり、当事者の日立が全国紙に意見広告を掲載して、フランスの世論に問いかけるなど、猛烈に反撃を試み、“ポアチエの戦い”ならぬ“日仏貿易戦争”が激化しました。

  翌年、さすがに“ポアチエ通関”の措置は廃止されましたが、1991年首相に就任したクレッソン氏が、またまた「日本人は、ウサギ小屋の黄色い蟻」などの暴言を吐いたために、去る9月26日に死去した親日家・シラクの政権になるまでは、一向に摩擦はおさまりませんでした。

(注1)
X線マイクロアナライザー : 電子線を試料に照射した際に発生する特性X線の波長と強度から試料の表面の分析を行う

(注2)
液体クロマトグラフィー検出機 : その頃は、アミノ酸分析器とも呼び、人の体液、日常の食品、家畜、農産物中のアミノ酸の含有量を測定する装置

(注3)
ポアチエの戦い : スペインを征服、フランク王国に攻め入ったイスラム軍を、782年フランク王国のカール・マルテル将軍がポアチエ近郊で撃退した戦い。

 次回は「第五十六話 ルエイユからジュイ・アン・ジョザスへの転居」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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