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私と柔道、そしてフランス… -第五十六話 ルエイユからジュイ・アン・ジョザスへの転居-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年11月7日

- 第五十六話 ルエイユからジュイ・アン・ジョザスへの転居 -

 ルエイユ・マルメゾンで過した期間は、2年ほどの短い期間でしたが、ここでも幾つかの忘れ得ない想い出があります。

 まず、私の両親をフランスに招待できたことです。ただ、その当時、最も安いと言われたエジプト航空で、カイロでの乗り継ぎを経て、30時間以上掛けての大旅行は、60歳を超えていた二人にとって大変つらいものだったと思います。それでも、ル・ブールジェ空港で、私に気がついたときの嬉しそうな顔を、今でも思い出しますが...。

 3週間ほどの滞在中、車で妻の里・ポアチエやスイスなどに案内しましたが、一度も弱音を吐くことなく、旅を楽しんでくれたようでした。

マッターホルンをバックに 両親と
【マッターホルンをバックに 両親と】

 そして、“東京に着いたら電話するね”と言って帰路につきましたが、帰宅予定時間をかなりすぎても何の連絡もないので、両親と同居している妹に電話すると、“空港に迎えに出たが、聞いていた便には乗っていなかったとのこと。

 大騒ぎになりました。しばらくして、乗り継ぎ地・カイロのJALの所長から“ご両親は、(予約は確認済みにも拘らず)エジプト航空の乗り継ぎ便が満席と言う理由で、乗機を許されずにいたところを、JALがお世話しているので、ご安心を...”との電話が入ったとの連絡が妹からありました。後で分かったことは、父の義弟がその当時、JALの広島所長を務めていて、父はカイロ空港でJALの事務所を見つけ、そのことを思い出して、ワラを掴む思いで助けを求めたようです。その上、この所長と義弟とが偶然友達同士ということが分かり、ホテルの紹介・予約、帰国のためのJAL便の利用まで許可してもらったようです。

 母などは、“らくだに乗って、ピラミッド見学ができたわよ!”と余裕しゃくしゃくでした。女性は強い!

 もうひとつ、驚いたことがありました。両親がカイロのホテルに落ち着いた時だったのでしょうか、父から突然電話があったのです。ただ、“總チャンか ?”と言った後、 全く別の男の声で、“Speak English!(英語で話せ!)というのです。これが、アラブ諸国に良くあると言われていた「盗聴」ならぬ合法の「傍聴」であることを後になって認識しました。こうやって全ての電話の会話は、官憲によって傍聴されていることが分かって、背筋に冷たいものが走る思いがしました。

 また、同じレジダンスにお住まいの、資生堂のヨーロッパ責任者・星野史雄さんとの出会いもわすれられません。ある時彼から、それまで有力なお客様として全く認識していなかった、フランスの化粧品会社「ロレアル(L'Oréal)」についての数々の詳しい情報を得ました。そのなかには、“早晩、電子顕微鏡を必ず購入するだろう”との情報も...。

 化粧品会社の研究所の研究内容は多岐に亘り、それを支える高度な科学分析機器が必要となります。特に、皮膚・毛髪の研究にはTEM/SEMが欠かせません。

ヒトの髪の毛のSEM写真
【ヒトの髪の毛のSEM写真】

 1年ほどの地道な営業活動の結果、JEM-100CにSEMの機能を付したフル装備の電子顕微鏡を、1フランの値引きもなく、それまでの受注最高額75万フラン(当時、約4千4百万円)で受注したことを思い出します。

  そして、1971年9月9日、現在、映画制作のサウンド・エンジニアとしてフランスで活躍している長男・健が誕生しました。安本家としては、私以来の男子誕生でした。

 そのため、ルエイユのアパルトマンが手狭になったために、転居を考えるようになりました。そんな時、日本電子の電子顕微鏡輸出第一号機と共に、フランス原子力庁サクレー研究所(CEA Saclay)に残り、1968年に復職された奥住宏さんから、ヴェルサイユ宮殿に近いジュイ・アン・ジョザス(Jouy-en-Josas)という村のご自宅の前の家が空くという、耳寄りな話がありました。広い庭付きだという...。 

 ジェオルから約20キロ、車で約30分...。パリ大学理学部オルセー校、上記のサクレー研究所も直ぐそばという感じ...。躊躇なく、転居先はジュイ・アン・ジョザスに決めました。

 次回は「第五十七話 仏文学者・井上究一郎教授が見たジュイ・アン・ジョザス」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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