RSS

私と柔道、そしてフランス… 第五十七話 仏文学者・井上究一郎教授が見たジュイ・アン・ジョザス -

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年11月21日

- 第五十七話 仏文学者・井上究一郎教授が見たジュイ・アン・ジョザス -

 転居先のジュイ・アン・ジョザス(Jouy-en-Josas)は、パリ南端から南西に直線距離で約12キロ...。パリの真西にあるジェオルへは、パリは通らずに、毎朝毎晩ヴェルサイユ宮殿の前を通っての快適なドライブ通勤です。渋滞など一切ありません。

ジュイ・アン・ジョザスの地図
【ジュイ・アン・ジョザスの地図】

 しばらくして、私を日本電子に導いてくれた恩人で、当時は日本電子のイタリア現地法人の責任者だった富永雅之さんから連絡がありました。東京外語仏文科の学生時代に教えを乞うた、元東大仏文科教授の「井上究一郎(注1)」先生を紹介するので、先生の希望を聞いてあげて欲しいとのことでした。

井上究一郎先生
【井上究一郎先生】

  先生は、研究されていた文豪ヴィクトール・ユゴーが、愛人ジュリエット・ドルエと暮らしながら『オランピオの悲しみ』(注1)を著述したジュイ・アン・ジョザス村に強い関心があり、1958年から何度か訪れておられましたが、しばらく行っていない当村の様子が知りたいとのことでした。

 そんなことから、私からは当村各所の写真などを送り、先生からは興味深いメモを写真の裏に記したものを送っていただいたりしました。

 これらの写真やメモから、ジュイ・アン・ジョザスの雰囲気、ユゴーとジュリエットの睦ましい暮らしぶりなどを、想像していただければと思います。臨場感抜群です:

*駅から眺めたジュイ村 : 文中、“ジブーレ(霧氷)が降っていた氷りつくような寒い春の日”とありますが、昔のヨーロッパは、11月から4月までは、このような厳しい天候が続いたものです。お日様が恋しい日々でした:

ジュイ・アン・ジョザス駅からの眺めジュイに最初に訪れた時の様子と、ジュリエットとの睦まじさを語っています
【ジュイ・アン・ジョザス駅からの眺め】
ジュイに最初に訪れた時の様子と、ユゴーとジュリエットとの睦まじさを語っています

*「ユゴーの家」周辺と「記念碑」 : 「記念碑」には、『オランピオの悲しみ』」の一片が記載されています。

ジュイ・アン・ジョザス駅からの眺め
【「ユゴーの家」周辺と「記念碑」】
【「ユゴー通り」についてのメモ】

「ユゴー通り」についてのメモ

*「ヴィクトール・ユゴーの家」 : 我々が住む一角から、600メートルほどのところにあり、そのひっそりとした佇まいに、
“誰にも邪魔されたくない”との二人の気持ちがこもっているような雰囲気が漂っていました。

「ヴィクトル・ユゴーの家」安本訳:「オランピオの悲しみ」を書いたジュイ・アン・ジョザスのメッス地区にある「ユゴーの家」
安本訳:「オランピオの悲しみ」を書いたジュイ・アン・ジョザスのメッス地区にある「ユゴーの家」
【「ヴィクトル・ユゴーの家」】

*レ・ロッシュ(Les Roches)の館 : ジュイ・アン・ジョザス村とビエーヴル村との境目にあって、ユゴーの文人社交界への登場につながった館。

レ・ロッシュの館「レ・ロッシュの館」について
      「レ・ロッシュの館」について
【レ・ロッシュの館】

*レストラン「L'Ecu de France」 : レストランの外に、ビリヤードやダンスもできる、ジュイ・アン・ジョザス唯一の社交場だったようです。

ジュリエットと通ったレストラン「l'Ecu de France」「このレストランは改装されてまだ存在します」
【ジュリエットと通ったレストラン「l'Ecu de France」】
このレストランは改装されてまだ存在します

(注1)
井上究一郎 : マルセル・プルースト研究の第一人者であり、『失われた時を求めて』(ちくま文庫1974年)の個人全訳で知られる。また、ユゴーの『レ・ ミゼラブル』の名訳も有名。1970年、東大教授定年退官後、武蔵大学教授。1999年逝去。

(注2)
『オランピオの悲しみ』 : ジュリエットとの恋をうたった「ロマン主義詩編の最高傑作」といわれている。

 次回は「第五十八話 風戸健二社長のこと...」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




▲ページ上部へ


ページトップへ